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伊勢西条藩

伊勢西条藩(いせさいじょうはん / いせにしじょうはん)は、伊勢国三重郡西条村(現在の三重県鈴鹿市西条町)の西条陣屋に藩庁を置いた藩。徳川吉宗の側近有馬氏倫が加増により大名に取り立てられて成立し、拠点を上総国に移すまで5代約50年間存続した。その後期、藩庁は南林崎陣屋(現在の鈴鹿市南林崎町)に移されたため、南林崎藩(みなみはやざきはん)とも称される。藩主有馬家(摂津有馬氏)は、筑後久留米藩主家の分家であり、久留米藩初代藩主・有馬豊氏の三男・有馬頼次を祖とする。頼次は徳川忠長に仕えて1万石を得ていたが、忠長改易に伴って所領を失っている。頼次の継嗣有馬吉政は徳川頼宣に仕え、子孫は紀州徳川家に代々仕えた。頼次から4代目の有馬氏倫は紀州時代より徳川吉宗に仕え、享保元年(1716年)に吉宗が将軍に就任すると幕臣に転じて御側御用取次となり、伊勢国三重郡内に1,300石を与えられた。享保2年(1717年)に下野国芳賀郡内で1,000石の加増を受けた後、享保11年(1726年)に伊勢国多気郡・河曲郡・三重郡内、下野国河内郡内、上総国市原郡内において7,700石を加増されて都合1万石となり、享保12年(1727年)閏1月28日に領知の御朱印状を賜った。ここに有馬氏倫は大名となり、伊勢西条藩が立藩した。本家にあたる久留米藩が外様大名であるのに対し、大名取立ての経緯から伊勢西条藩は譜代大名である。第2代藩主有馬氏久は大番頭を務めた。氏久の時代である元文2年(1737年)、もしくは延享2年(1745年)に、藩庁を西条村から南林崎村に移している。氏久の後は継嗣に恵まれず、幼少・短命の藩主が続いた。第3代藩主・氏恒、第5代藩主・氏恕は、縁戚(氏久正室の実家)である信濃飯田藩主・堀家からの末期養子で継承している。氏恕の代の天明元年(1781年)、陣屋を伊勢国内から上総国市原郡五井に移したため、以後は五井藩となった。歴代藩主は定府が定められていたために実際に領地に赴くことはなく、伊勢・下野・上総にまたがる所領の経営はそれぞれ代官に委ねられていた。藩庁のある伊勢国の所領は、代官の棚瀬氏が管掌している。1万石 譜代

出典:wikipedia

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