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しらね型護衛艦

しらね型護衛艦(しらねがたごえいかん、)は、海上自衛隊が保有するヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の艦級。第4次防衛力整備計画(4次防)中の昭和50・51年度計画において各1隻が建造された。先行するヘリコプター搭載護衛艦であるはるな型(43/45DDH)の発展型であり、イージスシステム搭載DDGであるこんごう型(63DDG)が建造されるまでは、海上自衛隊最大の護衛艦で、名実共に海上自衛隊の顔であった。なお、設計に蒸気機関及びマックを採用した自衛艦は本型が最後である。海上自衛隊では、第3次防衛力整備計画(3次防: 1967年(昭和42年)〜1971年(昭和46年)度)において、護衛艦8隻、哨戒ヘリコプター6機により戦術単位(護衛隊群)を編成するという"8艦6機体制"を策定していた。続く第4次防衛力整備計画(4次防: 1972年(昭和47年)〜1977年(昭和52年)度)の計画策定にあたり、オペレーションズ・リサーチの手法によってこれがさらに具体化されて、8隻の内訳としてはHSS-2哨戒ヘリコプター3機搭載のヘリコプター護衛艦(DDH)2隻、ターター・システム搭載のミサイル護衛艦(DDG)1隻、多目的護衛艦(DDA)1隻、そしてこれらを補佐する対潜護衛艦(DDK)4隻が妥当であるという結論を得ていた。4次防原案の作成段階においては、対潜戦能力強化のため対潜掃討部隊の新編が計画されたこともあり、この8艦6機体制で1個戦術単位(護衛隊群)に求められる航空運用能力と艦隊防空ミサイル能力を1隻で充足できる艦として、基準排水量8,700トン、機関出力12万馬力でヘリコプター6機搭載、スタンダードミサイルを装備し、将来的にハリアーの搭載・運用を考慮して全通飛行甲板を備えるヘリコプター搭載大型護衛艦(DLH)が計画された。後に第一次オイルショック(第一次石油危機不況)に起因する経済的理由から、8,300トン、10万馬力でスタンダードSAMを建造当初は搭載せず、隻数も2隻から1隻に減らす内容の、4次防期間中における整備規模縮小案に変更され、その後、同案は防衛庁内局の同意を得て庁案に盛り込まれ、大蔵省と国防会議事務局への説明に入る事になった。大蔵省からは指摘は出なかったが、国防会議事務局への説明に於いて海原治がヘリコプター搭載大型護衛艦に猛反発し、内局防衛局の伊藤圭一、海幕防衛課長の矢田次夫、防衛班長の前田優と、後に海上幕僚長になる中村悌次が海原への説明に赴いたが、海原は説明を聞かずに、「時間のかかる船を先に作らせてください」と懇願する伊藤を一方的に責めるばかりで、ヘリコプター搭載大型護衛艦にまったく理解を示さなかった。その後、ヘリコプター搭載大型護衛艦は4次防を巡る客観情勢の悪化から削除され、従来の8艦6機体制という運用構想に基づき、4次防縮小で削除されていたヘリコプター搭載護衛艦をヘリコプター搭載大型護衛艦の代替として復活させる事となった。艦名は山岳名である「こんごう」と「きりしま」になる予定だったが、当時の防衛庁長官だった金丸信が、自らの選挙区にある白峰三山北岳の俗称、白根山からとって、「しらね」とすることを推したため、このような変則的命名となった。「こんごう」「きりしま」は、後にこんごう型(イージス艦)に採用された。ちなみに「しらね」の命名由来として、「白根山」という単一の山があると思われがちだが、これは誤りである。全国にいくつか「白根山」という名前を冠する山岳があることから、所在地区名を頭につけており(日光白根山、草津白根山等)、それぞれ「白根山」と地元では呼ばれているが、いわゆる俗称であり正式名としての「白根山」は存在しない。金丸信も白峰三山の北岳の俗称である「白根山」を推したが、前述のようにあくまで俗称であるため、海上自衛隊は「白峰三山」からとっているとしている。(護衛艦しらねの公式パンフレットに記載有り)船体・機関については、おおむね、先行するヘリコプター護衛艦であるはるな型(43/45DDH)のものが踏襲されている。船型もほぼ同様で、遮浪甲板型(平甲板型)の後端をカットした長船首楼型が採用されており、限られた排水量要求をクリアしつつ、船体の後方3分の1を占めるヘリコプター甲板の横幅を確保し、なおかつ旗艦機能を持たせるために必要な艦内容積を増やすため、全長にわたるナックルが設けられている。加えて、指揮統制能力の強化に伴い艦橋構造物は3層から4層に拡大された。煙突がマストと一体化したマック方式の採用も踏襲されたが、はるな型に比べ艦外装備アンテナ・電子機器の数が著しく増加したため、電波干渉を防ぐ目的で本型では2本に増設やされた。また、第1マックは船体中心線上にあるが、第2マックは航空機発着艦時の利便性を考慮し、はるな型とは逆の右舷側にシフトされている。これは主機の煙路がマックのある舷側に配置されているため、これにより、ヘリコプターの格納様式もはるな型の右舷2機・左舷1機から、右舷1機・左舷2機となっている。フィンスタビライザーの装備様式も異なっており、はるな型では5m²フィン2式であったのに対し、本型では8m²フィン1式で同等の減揺効果を確保している。また、フィンスタビライザーに関して、「くらま」は5m²フィン2式に回帰したとの資料もあるが、これは誤りである。また、はるな型では着水したヘリコプターをクレーンで船積みすることが考慮されていたが、ローターが停止するとHSS-2は転覆することが判明し、着水機を回収する状況そのものの現実味が薄いと判断されたことから、デッキクレーンはより小型の吊り上げ荷重5トンのものに変更された。また、対潜戦のパッシブ戦への移行に対応し、水中放射雑音を低減するため、船体にマスカー、プロペラにプレーリーが装備されたともされている。主機関については、「ひえい」のものが踏襲されている。主ボイラーは石川島播磨重工業・社製D型2胴水管2基、蒸気性状は圧力、温度480℃、蒸気発生量各130トン/時。主蒸気タービンは石川島播磨重工業のダブルフロー式ロックド・トレーン二段減速 2胴衝動型シリーズ・パラレル型、出力はそれぞれである。設計において多くの点ではるな型(43/45DDH)を踏襲した一方で、装備においては多くの点で刷新がなされている。対潜戦のパッシブ戦への移行に対応し、部隊対潜戦指揮支援機能が強化され、防空力も増強された。本型は、戦術情報処理装置としてOYQ-3 TDPS(Tactical Data Processing System)を搭載する。これは部隊対潜戦指揮支援機能を重視して開発されたこともあり、海上自衛隊の戦術情報処理装置として初めて、双方向の戦術データ・リンクであるリンク 11の運用に対応しており、海軍戦術情報システム(NTDS)への全面的な対応を実現した。このことから、本型は「海上自衛隊初のシステム艦」とも称される。当初は武器管制機能を有さなかったことから、デジタル式のAN/UYK-20コンピュータを用いるTDS-2目標指示装置()が国内開発されて搭載されたが、1990年代後半の改修により、OYQ-3に統合された。この改修を受けて、OYQ-3B CDSと改称されている。ただし「しらね」に関しては、2007年12月の火災事故でCICもろともOYQ-3Bを全損したため、現在は「はるな」に搭載されていたOYQ-6-2を移植して搭載している。センサー面も全面的に刷新された。レーダーとしては、対空用には3次元式のOPS-12、対水上用にはOPS-28が搭載されたが、これらはいずれも本型で初めて装備化されたものである。さらに高度測定用のOPN-8も装備されており、これと航海用のOPS-22はヘリコプターの誘導にも用いられることから、OPS-22とOPN-8でNOPN-18着艦誘導レーダー・システムを構成する。また、ソナーとしては、やはり国産新開発の75式探信儀 OQS-101を船首装備式として搭載したのに加え、「しらね」では可変深度式のSQS-35(J) VDSを、そして「くらま」では曳航式のAN/SQR-18A TACTASSをアメリカからの輸入によって装備した。特に後者は、当時志向されていた対潜戦のパッシブ戦への移行において重要なものであった。艦載機がソノブイの運用に対応したHSS-2Bに更新されたこともあり、従来艦と比して捜索範囲が飛躍的に増大したことから、対潜情報処理の効率化のため、国内開発のOYQ-101 対潜情報処理装置(ASWDS)が搭載された。電子戦装置としては、「あさかぜ」より装備化されたNOLQ-1 電波探知妨害装置が搭載された。これは電子戦支援(ESM)および電子攻撃(ECM)の両方の能力を持つシステムであった。また、OLR-9Bミサイル警報装置も搭載された。本型は、護衛艦としては初めてシースパローBPDMS(個艦防空ミサイル、短SAM)を搭載している。これは元来、1974年(昭和49年)度計画の2500トン型対潜護衛艦(49DDK)で後日搭載による装備化が計画されていたものであるが、第一次オイルショック(第一次石油危機)の影響でこの計画は撤回され、翌年度計画に基づく本型で装備化されることとなった。発射機としては、アスロック用のMk.16 GMLSで使われていた8連装発射機Mk.112(日本でも74式アスロック・ランチャーとしてライセンス生産化)を76mm連装砲のマウントに組み込んだMk.25 GMLSがヘリコプター格納庫上に搭載された。ここから発射されるのはRIM-7Eミサイルで、これは事実上、空対空型のAIM-7Eスパローそのものであった。ミサイル射撃指揮装置(MFCS)としては、オランダのシグナール(現在のタレス・ネーデルラント)社のWM-25を輸入により搭載した。これにより、本型は、ミサイル護衛艦(DDG)以外では初めて艦対空ミサイルを搭載した護衛艦となった。なお、これらのシースパローBPDMSを搭載したのは本型のみであり、1977年(昭和52年)度計画のはつゆき型(52DD)以降では、改良型のシースパローIBPDMSが搭載されるようになっている。本型のBPDMSも、2003年(平成15年)から2004年(平成16年)において行なわれた長期修理の際にIBPDMSに更新されており、ミサイルはRIM-7Mに、発射機はIBPDMS用に新規設計されたMk.29 GMLSを国産化した短SAM発射機3型(GMLS-3)に、MFCSも国産の81式射撃指揮装置2型12(FCS-2-12)に換装されたが、これらはたかつき型(37DD)において近代化改修(56FRAM)の際に搭載され、これらの艦の退役に伴って撤去されたものの再利用である。主砲と対潜兵器の装備要領ははるな型(43/45DDH)のものが踏襲されており、艦後部がヘリコプター格納庫及びヘリコプター甲板となっているため、2門を背負い式配置にした73式54口径5インチ単装速射砲とアスロック用の8連装発射機(74式アスロック・ランチャー)は、艦橋前方に集中して配置されている。砲射撃指揮装置(GFCS)としては72式射撃指揮装置1型A(FCS-1A)が引き続き搭載され、水中攻撃指揮装置(UBFCS)としては新開発のSFCS-6が搭載された。また、「くらま」では、海上自衛隊で初めて近接防空火器(CIWS)の高性能20mm機関砲を装備化しており、「しらね」でも後日搭載された。はるな型と同様、最大で3機の哨戒ヘリコプターを搭載したが、はるな型が当時HSS-2Aを運用していたのに対し、本型では新型のHSS-2Bへの更新が考慮されていたことが大きな変更点である。HSS-2Bは米海軍のSH-3Hに準じた機体であり、HSS-2Aがセンサとして機上レーダーとディッピングソナーしか持たなかったのに対して、HSS-2Bでは機上レーダーを高性能のAN/APN-182に更新するとともに、AN/ASQ-81磁気探知機(MAD)、AN/ALR-66電子戦支援装置(ESM)、ソノブイ受信機が追加されており、1980年12月に部隊使用承認を受けた。特にソノブイは、対潜戦のパッシブ戦化にあたって非常に重要であったが、その膨大な音響信号を機上で処理するのは困難であり、AN/UYK-20コンピュータを用いるOQA-201ソノブイ信号処理装置(SDPS)が艦上に配置された。また、後にはSH-60J、SH-60Kに順次に移行している。駆逐艦相当の規模の艦での大型ヘリコプター運用の先駆者であるカナダ海軍では、はるな型に1年先行していたイロクォイ級駆逐艦でシーキング2機を搭載したのが最大数であり、3機搭載するのは海上自衛隊特有の運用である。また、2013年にブルネイで行われた「ADMM+ MM HADR実動演習」では「しらね」がSH-60Jと陸上自衛隊所属のUH-1Jをそれぞれ1機ずつ搭載した実績がある。本型は準同型艦であるはるな型と共に30年に渡り海上自衛隊の対潜戦闘能力に資してきたが、平成26年(2014年)度末から退役が始まる。現在防衛省はその代艦としてヘリコプター運用能力を大幅に向上させ、物資の輸送・補給能力を付与したいずも型を取得中である。2015年5月27日の報道によると、訪日したフィリピンのアキノ大統領とガズミン国防相は日本への軍事援助を求めるとともに、しらね型の中古購入についても要望した。2007年12月14日、戦闘指揮所(CIC)から出火し、これによる火災と消火活動により戦闘指揮所および指揮通信系統を全損した。一時除籍も検討されたが、2009年3月に退役した「はるな」のCIC部分を「しらね」に移植する事で存続が決定し、2009年4月より損傷区画の移植改修工事と艦齢延長工事の為IHI マリンユナイテッド横浜工場へ入渠。この事故の後、全自衛艦艇に火災報知機が増設された。2008年12月15日、横須賀港内で作業船と接触したが、双方ともに負傷者はなかった。2009年10月25日に神奈川県沖相模湾で行われた平成21年度自衛隊観艦式に観閲艦として参加後、母港佐世保基地へ帰還する途中の2009年10月27日夜、関門海峡で韓国籍コンテナ船「カリナ・スター」(7,401総トン)に衝突される事故が発生した。この衝突事故により「くらま」は主錨巻き上げ部を含む艦首部分を大きく破損、観艦式のために艦首倉庫に積んでいた塗料から火災を発生した。火災は約10時間後に鎮火されたが、この事故で「くらま」乗員6名が負傷し、「くらま」は門司港に接岸される。11月8日、門司港を多用途支援艦「あまくさ」先導の元、(自力航行は可能だったが大事をとって)58号型曳船2隻に曳航され出港。9日午前に母港佐世保基地に帰港、損傷部分を修理された。

出典:wikipedia

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