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浅草演芸ホール

浅草演芸ホール(あさくさえんげいホール、英語:"ASAKUSA ENGEI HALL")は、東京都台東区浅草の通称「公園六区」と呼ばれる歓楽街の中心に位置する寄席である。都内に4軒ある落語定席の一つで、落語を中心に、漫才、手品などの色物芸が多数執り行われている。東洋興業株式会社が経営している。メインの客席は1階にある。全席椅子席である。完全自由席。2階席もある(定席では新宿とここだけ)。エレベーターなどはなく階段でしか行けない。また、2階席そのものも単なる雛段である。1階2階合わせた収容人員は“桟敷席”を含まなければ340。なお、その“桟敷席”と称する席は2階上手側にあるが、単なる踊り場である。売店は1階にあり、酒類も販売している。自動販売機も1階にある。楽屋は下手側にある。かつて、メクリが寄席文字(ビラ字)でなく、丸ゴシックを変形させた特殊な字体であった。その字体は他では見かけない。木戸に書かれた出演者の名前も明朝体で書かれた時期がある。現在はいずれも寄席文字だが、いつ変わったのかは不明。つくばエクスプレス開業により駅前の立地となった。歴史的に、浅草の真裏が吉原(新吉原)で、両者は不可分の関係。現在もタクシーで行けば至近。そのせいか、落語のマクラの中で「(ソープランド街の)吉原に行くご予定のお客様がちょっと時間つぶしに浅草演芸ホールに立ち寄る」ことが多いと言っている。本当にそういうケースがあるのかは不明。営業力が高く、団体客をよく入れている。他にも、観光地の真中にあることから集客は上々である(客の立場から言えば、いつ行ってもごった返しているということでもある。立ち見を強いられることも多い)。「浅草演芸ホール」の位置する浅草公園六区4号地北東の角地には、1884年(明治17年)に同地が区画整理され、その後に建てられた「開進館勧工場」があり、1907年(明治40年)7月16日、同勧工場に替わって、映画会社・吉沢商店(現在の日活の前身の一社)が開場した映画館「三友館」が開場した。1945年(昭和20年)、第二次世界大戦が終了、6年後の1951年(昭和26年)、東洋興業が、「三友館」跡地にストリップ劇場「フランス座」を開業した。戦後長く、芸処・浅草に落語定席が無かった。日本芸術協会(現在の落語芸術協会)の幹部落語家・2代目桂枝太郎は、同じアパートにたまたま東洋興業従業員が住んでいたことから、同社社長・松倉宇七に浅草に寄席を作るよう直談判した。松倉も元々はストリップより演劇をやりたかったので、企画替えとして「フランス座」を閉鎖・改装し、1964年(昭和39年)、演劇の新しい劇場「東洋劇場」を開業した。渥美清、萩本欽一、ビートたけしらを輩出した。1964年(昭和39年)、「東洋劇場」の建物を増築、4階と5階に落語定席「浅草演芸ホール」は開場した。1971年(昭和46年)、東洋興業が同地での演劇から撤退し、1階の「東洋劇場」を閉鎖した。空いた1階に本ホールが移った。同年、上階に再開場した「フランス座」は、1982年(昭和57年)に再度閉館、1987年(昭和62年)に三度開場したが、経営不振により1999年(平成11年)ストリップ興行を打ち切った。かつて東洋興業が経営していた「ロック座」は、既に元踊り子・斎藤智恵子に譲り渡していたため、東洋興業は遂にストリップから完全撤退となった。2000年(平成12年)、建物上部を改装し色物専門の演芸場「東洋館」として新規開場、本ホールの姉妹館となった。毎月10日ごとに出演者・演目が入れ替えられている。出演者は以下のとおり。設立時は初席のみ日本芸術協会だったが、落語協会(円生会長)により奪取され、1967年(昭和42年)に上記のルールがそのまま適用されるようになった。つまり、落語協会が初席をとる。加えてゴールデンウィーク(5月上席)も落語協会の芝居となる。同じ協会がまる一日を担当するが昼の部と夜の部では出演者が異なる。なお、これは東京の寄席では通常のことである。落語芸術協会のみ、10日間を5日ずつに分けてそれぞれ別個の番組を編成している(いわゆる5日興行制)。昼夜入れ替え制はとっていないため、通しで見ることも可能。毎月31日は余一会と呼ばれる特別興業が行われている・正月には浅草に観光客が殺到する。2008年(平成20年)初詣では浅草寺に221万人が足を運んだ。その大量の客が参拝の後に当ホールに立ち寄るので、立錐の余地もないほどごった返す。もちろん初席なので顔がいいことはいうまでもない。ただし一人当たりの持ち時間が通常の定席興業と比較し、極端に短いためネタをやらずに小噺や雑談で高座を降りる噺家も多い。上述のとおり落語協会のスター落語家が勢ぞろいする。加えて、初席は「東洋館」でも落語を行う。ここも落語協会の定席となる。初席のみ客は一枚のチケットでどちらにも行けるが、現実には身動きが取れず移動には相当の困難が必要となろう。協会を問わない顔付けをしていた東宝名人会のヒット企画「納涼住吉踊り」。3代目古今亭志ん朝が8代目雷門助六を踊りの師として始めたものであった。東宝名人会終了後当ホールが受け継いだ。毎年8月中席に開催する。上記の通りこれは落語協会の芝居だが、(東宝名人会では協会を問わず出演していたことから)落語芸術協会所属の落語家が多数顔付けされる、定席で唯一の混成ラインナップともいうべき特別な芝居となっている。志ん朝亡き後、かつて東宝名人会所属だった4代目三遊亭金馬が中心となって開催された。金馬が膝を痛めたことと、高齢であるため、現在では金原亭駒三が後を継いで座長を務めている。(いずれも、2015年(平成27年)9月現在)そのほか、三つ柏

出典:wikipedia

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