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連江県 (中華民国)

連江県(れんこうけん)は、中華民国福建省の省轄県。歴史的な連江県の島嶼部にあたり、大陸の中華人民共和国にも同名の県がある。台湾海峡北部、福建省江河口部の馬祖島に位置し、南北54キロ、総面積は29平方キロ強の島嶼群であり、東引、西引、亮島、高登など36の島から構成されている。島嶼群最大の南竿島の面積は10.64平方キロ、中華人民共和国の福州から僅か16海里に位置するため、両岸対立時には最前線の島であった。馬祖島の旧名は南竿塘である。宋代に媽祖から改名された。宋代の伝承によれば福建省興化府莆田県湄州島に林願之という漁民が住んでいたという。その六女默娘は孝心に富み、また毎晩海岸で火を起こし漁船が遭難することを防いでおり、島民の賞賛の的であった。しかしある日父が遭難してしまうと、黙娘は海にでて父を探した。結局遺体は南竿島に流れ着いたが、地元の人々がその孝心を顕彰して廟を立て「媽祖」と称するようになり、後にこれが「馬祖」に改められ島嶼名となったと伝わる。無人島であった馬祖であるが、元代の1277年から1367年にかけて、閩浙沿海の漁民達が天然の良港となることを発見し、悪天候の際の避難ばかりか、水の補給も可能であった為に、漁民の補給地点として利用された。明代になると、漁民達が入植し村落を形成するようになった。中華民国成立後、政府は南竿、北竿、東犬、西犬各島に監倉を設置し、漁業振興政策を推進した。1934年には南竿に聨保弁事処を設置し、保甲制度を整備した。1937年には日本軍によって占領されるが、1945年には福建海上保安総隊及び軍隊が西犬に駐留し治安維持に当たった。1949年、国共内戦で中華民国軍が各島に進駐し、馬祖軍管区行政公署が設置された。その後1950年には福建省政府閩東北行署と改称、1953年には南竿にて連江県政府、西犬にて長楽県政府が、翌年には東引設羅源県政府が設置されるなど目まぐるしい行政変更が行われた。1955年、閩東北行署を福建省第一区行政督察専員公署と改編し連江、長楽、羅源の各県政を統括するようになった。馬祖は金門と並び両岸対立の最前線となっていたため、福建省政府(台湾)は国防部の要請を受け入れ1967年に専員公署を廃止、馬祖守備区(現在の馬祖防衛司令部)による軍政が敷かれると同時に東犬(現在の東莒)、西犬(現在の西莒)島、羅源県を連江県に編入した。1992年11月7日、本島に遅れて馬祖でも戒厳令が解除され地方自治が復活、県長の直接選挙や県議会が成立し現在に至っている。海路は台馬輪(定員550名)と合富輪(軍用船、民間人用定員50席)が南竿島福澳港及び東引島中柱港から基隆港への便が運航されている。島嶼間の交通は小白船と呼ばれる小型船による連絡がある。空路は南竿島東岸に位置する南竿空港から台北、台中へ、また北竿島の北竿空港から台北線が運航されている。このほか小三通の一環として福澳港から福州馬尾港まで週2便の両岸航路が開設されている。連江県では1993年から県長の民選が行われている。

出典:wikipedia

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