馬鹿(ばか)とは、漢字では莫迦、馬稼、破家、跛家等と表記するが、馬鹿を含めいずれも借字である。平仮名や片仮名でばか・バカと表記する場合もある。また、インターネット上では「ヴァカ」や「βακα」(ギリシャ文字等の特殊な字を使うクサチュー語表記)などと表記されることもある。日本語で相手をからかったり、罵倒(その立場を低く見なす事で、相手の感情を損なう・人格の否定)するため、最も普通に使われる公の席で使うと刺激が強過ぎることがある。広辞苑によると、古くは僧侶の隠語であったものとされており、おそらく梵語(サンスクリット語)のmoha(「無知」という意味の語)から転じた語とされている、が、様々な説がある。→#語源この語は、日本語で広く用いられているが、地域・使われる場により意味やニュアンスは異なる。たとえば関東では一般的には軽い揶揄程度で使われることが多いのだが、関西では強い感情を込めて罵り倒すときに使用される、といった相違がある。聞き手の出身地によって受け取られ方も大きく異なることには注意を要する(下記方言と分布状況参照)。比較的多く見られるニュアンスでは「知識が足りない」や「思慮が足りない」、さらには「理解の度合いが足りない(ステレオタイプを乱用している)」という意味合いで用いられる。ただ、基本的に当人の理解しようとする意思や努力が不足しているとする傾向が強い。類語の「阿呆(あほう:理解したり思考する能力が不足している)」との使い分け(意味の強弱)に地域による相違がある。関東では「馬鹿」は軽い意味で用いる傾向があり(時には愛情を込めて用いられることがある)のに対して、「阿呆」というと、かなり強い軽蔑の感情を込めて用いられる傾向がある。だが関西では、その反対に、「阿呆」が軽いニュアンスで用いられ(愛情を込めて用いられることもあるのに対して)、「馬鹿」は強い罵りの感情を込めて用いられる傾向がある。関東では「馬鹿」は、罵りの感情は込めずに用いる場合も多い。典型的な例としては、親しい間柄や恋人の間でかわされる会話が挙げられる。短所も併せて好き合っている間柄などで用いられる。この場合の意味にはののしる意味はない。「親しさ」の表現や「恥じらい」、または「本気で愛している」を表現する上での符丁のように、様々な局面で用いられる。非常に親密な状態を示すバロメータともなり得る。何かに熱中するあまり、社会的常識を失ってしまったような状態も「馬鹿」と言う。これは何かに熱中する余り、一般的な配慮や常識的な配慮が等閑(なおざり)になっている様子を指している。「親馬鹿」(おやばか)とは、親が自分の子供ばかりを溺愛するあまりに、はた目には愚かなことをしてしまっているのにその愚かさに親自身が気づいていないことである。「専門馬鹿」とは、特定の分野(特定の学問など)についてのみ異常なほど執着し知識を持っているが、その分野以外に関しては、一般人以上にひどく無知な人のことである。「釣りバカ」と言うと、釣りに熱中するあまりに、社会的常識を失ってしまい、家族や仕事よりも釣りを優先してしまうような人を指す(この意味では「道楽」が類義語に当たる)。(社会的常識を失いかかっていることに多少なりとも自覚のある人は「親馬鹿ですみません」などと言って、他人に不快感を与えてしまっていることや、不快感を与えてしまっている可能性について先手を打ってお詫びすることもある)馬鹿の中でも極端な人は、昔から「大馬鹿」などと言うが、ごく最近の若者言葉では、あまりにも常識を踏み外した者は「超馬鹿」「激馬鹿」などと言うこともある。「馬鹿」は多かれ少なかれ感情的な意味合いを含む言葉であるため、その用法は公的な場では制限される事が多い。例えば、所属組織の上司に向かい同語を用いると、社会人として致命的な状況に追い込まれる可能性がある。また、子供同士の他愛の無い喧嘩などで、お互いにバカだ何だと罵り合う・掴み合う様がしばしば見られるが、これは傍目には、双方が馬鹿のように見える一つのケースである。さらに、同語を繰り返し用いると、相手の気分を害したり、人を見下す意味合いになる場合もある。先述のように、馬鹿を強調する場合には前に「大」を付ける「大馬鹿(おおばか)」が一つの定型である。そして、もう一つの定型としては、後ろに野郎がつく「馬鹿野郎」がある。また、「馬鹿者(ばかもの)」という使われ方もある。さらに、強調ではなく個人を特定する表現で「馬鹿者」がある。これを強調する場合には「大馬鹿者(おおばかもの)」が使われる。罵倒語同士の組み合わせとしては「馬鹿たれ」がある。逆に皮肉な表現としては「小馬鹿(こばか)」がある。たとえば『空手バカ一代』のように、不器用ながらも一つの道を曲げずに歩き続けることで何らかのものを大成する、そのような姿をバカという例もある。「愚直の一念」といった表現もある。また、素直ではあるが気が利かないために役に立たない者は、しかしその真っ直ぐさのために何らかの感動を与える場合もある。こちらの例としては満田拓也の『MAJOR』シリーズでは「野球バカは褒め言葉だ」という一種の売り文句があり、同作のCM等でも使用されている。ややこしい考えやたくらみを練らなければ、生きてゆく上では失敗や損もあるだろう。特にだまされることはあるに違いない。「正直者が馬鹿を見る」との言葉もある。しかし、だますのは罪だがだまされるのは罪ではない(場合が多い)。このような馬鹿は、少なくとも正直者ではいられる。『イワンの馬鹿』や『雨ニモマケズ』はこの方向と思われる。やや似ているが、様々な状況を配慮し、それにそう形で物事を解決するような大人の判断に対して、それでは正義が真っ直ぐに貫けない場合がある。若者がそういった状況に耐えられずに真っ直ぐに進む様を「馬鹿」という例もある。馬鹿正直などは場合によってはこれを意味する。あるいは若者の暴発しがちなエネルギーをさして馬鹿という例もある。たとえば年を感じて「もう馬鹿はできないなあ」というのが逆説的であるがそれを示している。他方、物事を考える力が弱く、うまく物事を進められない場合、様々な失敗をすることになるが、その姿は、むしろ色々なことに気を遣い、先を読んで動かざるを得ない社会においては、一服の清涼剤ともなるであろう。禅僧の一つの姿としての良寛などはこれに近い。漫画『天才バカボン』のキャラクターであるバカボンのパパもそういう役割を担うことがある。遠藤周作の小説『おバカさん』はキリストを模しているとされる。なお、より大きな馬鹿は大物となり得る、といった表現は文学などで見ることがある。例えば司馬遼太郎は小説『項羽と劉邦』にて漢の高祖劉邦をそのように描いている。語源についてはいくつか説があるが、決定的なものはない。ただし、文献による初出が太平記における「馬鹿者」であり、「馬鹿」という用法はそれより後世である事から、当初は「馬鹿者」という熟語としてのみ使われたと思われ、それを前提とした説のほうが若干優勢であると言える。文献における出典は次のとおり。南北朝時代の太平記での「馬鹿者(バカノモノ)」の使用が初出である。初期の頃での「馬鹿者」は文明本節用集にあるとおり「狼藉をはたらく者」で、現在の「愚か」の意味を含む言葉ではなかった。「愚か」を指す言葉には他に古代から使われていた「烏呼者(ヲコノモノ)」があり、そちらが使用されていた。馬鹿が「愚か」の意を含むようになるのは江戸時代の好色一代男あたりからである。関東は「馬鹿」、関西は「阿呆(アホ)」であるとする場合もあるが、実際の分布状況はそう簡単ではない。大阪の朝日放送のバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』において「『アホ』と『バカ』の境界線はどこか」という視聴者からの依頼を元にした調査が行われた。この際に名古屋で「タワケ」が用いられていたこと、番組に秘書として出演していた長崎県出身の岡部まりが「(長崎では)『バカ』と言っていた」と発言したこと、これを見た視聴者から全国各地の「バカ」に相当する方言が寄せられたことなどから、出演者の上岡龍太郎の提案でより本格的な調査が試みられた。1991年(平成3年)、(当時の)全ての市町村の教育委員会を対象にしたこの種の表現の分布状況についての大規模なアンケート調査が行われ、その調査結果に基づいた特別番組が放映され、多数の賞を受賞したほか、日本方言研究会でも注目された。この制作過程を記した『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(同番組プロデューサー・松本修著、ISBN 4101441219)に非常に詳しい調査結果と考察が載っている。この番組で制作された「全国アホ・バカ分布図」によれば、「馬鹿」は近畿以西でも却って使われており、また全国各地の方言において「馬鹿」以外の表現も数多く見られる。例えば東北地方では「ホンジナシ」という言葉や、これに似た言葉が多く見られるが、「バカ」系の言葉や「タクランケ」「ハンカクサイ」(半可臭い)という言葉も見られる。愛知県は「タワケ」が多いと言われるがこれは西部(尾張地方)で、東部(三河地方)では静岡県の一部などと共に「トロイ」「トロクサイ」が多い。三重県や岡山県には「アンゴウ」という言葉が見られる。富山県・石川県・滋賀県高島市・鳥取県・島根県東部には「ダラ」、「ダラズ」という言葉が見られる。また沖縄地方では「フリムン」や「プリムヌ」という言葉が見られる(これらは一例であり、これら以外の語彙もそれぞれの地域に見られることに注意する必要がある)。「ボケ」などといったその他の言葉も含めて、同心円状に分布しており、同書ではその円の中心が長らく日本の首都であった京都であると指摘している。これは柳田國男が『蝸牛考』で考察している他の言葉の分布状況とも対応する。馬鹿と阿呆のどちらが厳しい表現か、「概要」の節で触れたように、関東の人は「アホ」と言われると非常に侮辱されたと感じる場合が多いし、関西の人は「バカ」と言われると非常に見下されたと感じる場合が多い。ややこしいのが北海道で、移住(入植)した人々がそれぞれに「バカ」「アホ」その他の言葉を持ち込んだのだが、地域によってどの言葉がより厳しい表現なのかが異なっている。要は、これに依れば馬鹿はアホより古い言葉であるが、関東圏が明治以後に文化の中心となり、その地域の語を元に標準語が制定されたため、これに類する語の基本が「馬鹿」になった、と言うことである。中国には馬鹿(ばろく)という、鹿の一種がいる。ヨーロッパや中東のアカシカ(学名:Cervus elaphus)に近縁で、北米北部とユーラシア大陸北東部に分布するワピチ(学名:Cervus canadensis )のうち、北東アジアに住むものであり、「馬鹿」を「マールー」と発音する。馬鹿の古い角が、脱落した後に新生する幼角を乾燥させたものは、漢方薬の鹿茸(ロクジョウ)として珍重されている百鬼夜行絵巻に収録されている妖怪。馬の顔に鹿の体を持ち、顔は「馬鹿」という名を表した様な滑稽な表情をしている。この妖怪に関しては多田克己・京極夏彦著の妖怪図巻でも言及されている。近年「バカ」という言葉がブームになっている。古典的には、このような風潮は、ホルスト・ガイヤーの『馬鹿について 人間――この愚かなるもの』がヒットした1960年代まで遡ると思われるが、とりわけ『バカの壁』の大ヒット以降、「バカ」を冠した書籍が相次ぎ発刊されている。ただし当の『バカの壁』については、著者が述べたのとは違う意味で理解され、言葉そのものが一人歩きしてしまったという点がたびたび指摘される。また、「平成之大馬鹿門」騒動というのもあった。これは、彫刻家の空充秋が佛教大学に寄贈した石造りの門柱にこの語が彫り込まれていたのが発端である。佛教大学は「馬鹿という言葉は大学には不適切」としてこの語を削ることを求めたが、空がこれを拒否したことなどにより大騒ぎに発展した。結局門柱は佛教大学から撤去されたが、空の思想に共感した兵庫県宍粟郡千種町(現:兵庫県宍粟市)がこの門柱を引き取り、町内の2つの山の山頂に1本ずつ移設された。馬鹿キャラとは、馬鹿なキャラクターを意味する語である。落語においては、知恵の足らない(足りない)馬鹿の代表に与太郎がある。また、常識を知らない馬鹿の代表に権助などがある。2007年(平成19年)ごろから日本ではバカ(無知)なキャラクターを売りにしたタレントであるおバカタレント(バカタレ)がブームとなった(おバカタレントブーム)。このブームのきっかけはテレビのクイズ番組であるクイズ!ヘキサゴンIIだといわれる。米国で、知ってる日本語を挙げよと言えば「バカタレ」が高頻度で挙げられる。これは日本からの初期アメリカ移民の出身地が、この語を多用する中国・九州地方であったことからと考えられ、映画「二世部隊」のセリフの中でもたびたび聞かれる。第二次世界大戦末期、日本の特攻兵器「櫻花」には連合軍から日本語の馬鹿に由来する「BAKA」のコードネームが与えられていたとされる。中国でも戦後から現在まで無数に作られてきた抗日題材の映画やテレビドラマでは、日本兵は口癖のように「バカヤロ」()と口にするものとして描かれる。「バカヤロ」は同じく日本兵の口癖とされる「ミシミシ」(米西米西=「飯、飯」)に次ぎ頻繁に中国のマスメディアに登場する日本語である。中国語の「馬鹿」という漢字は、シカ科シカ属の動物『アカシカ』を指す意味である。韓国では2008年(平成20年)に知的障害者が登場する『バカ』(原題『』)という映画が公開された。リールを用いない釣竿である延べ竿を用いた釣りにおいて、特に渓流釣りでは竿の長さに対して道糸とハリスを合わせた仕掛けの全長が長くなった分を「バカを出す」という。例えば、全長3 m の竿に対し仕掛けの長さが3 m 10 cm あった場合、10 cm がバカとなる。糸の巻き取り能力が無い延べ竿を使う場合、竿よりあまりに長い仕掛けでは釣った魚を取り込むという釣り最大の目的を達成できなくなる。このため仕掛けの長さは竿と概ね等しいことが望ましいが、渓流の深場狙いやテンカラ等といった漁法では多少なりともバカを出す必要がある。ネジを切る必要がないがネジを通す為には必要な穴を「バカ穴」と言う。例えば「ここにバカ穴を開ける」場合は「そこにはネジ棒が通る」事を意味する。他に基礎等にケミカルアンカー等でアンカーボルトを埋める場合に必要な下穴も「バカ穴」と呼ぶ。いわゆる「ネジ本来の下穴」に対する用語である。
出典:wikipedia
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