トーゴ共和国(トーゴきょうわこく)、通称トーゴは、西アフリカに位置する共和制国家。東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面する。首都はロメ。南部は高温多湿の熱帯性気候。北部はサバナ気候で南部より雨量が少なく、湿度も低い。正式名称はフランス語で、 (レピュブリク・トゴレーズ)。通称、 (トゴ)。公式の英語表記は、 (トウゴウリーズ・リパブリック)。通称、 (トウゴウ)。フランス語で、英語でと表記することもある。15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていた。1884年にドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がと宣言された。第一次世界大戦にドイツが敗戦すると、イギリスとフランスによる委任統治とされ、フランスは東トーゴランドを統治した。これは国際連合成立後、信託統治として継続された。なお、1957年に西部のはのちのガーナとなる英領ゴールド・コーストと併合された。1956年に、自治権を獲得し、フランス領地域が1960年4月27日独立、1963年のクーデターでシルバヌス・オリンピオ初代大統領が暗殺され、ニコラ・グルニツキー元首相が大統領就任。しかし1967年1月、ニャシンベ・エヤデマ陸軍中佐がグルニツキー大統領を追放し、4月には自ら大統領就任。1979年の民政移管に伴う大統領選でエヤデマ大統領が当選。1991年6月、実権はエヤデマ大統領からジョセフ・コクー・コフィゴー首相に移ったが、大統領派の軍が反発し首相官邸を襲撃。12月に国民統一暫定政府を樹立。トーゴ人民連合 (RPT) による一党独裁から複数政党制へ移行後初めての大統領選が1993年8月行われ、エヤデマ大統領が当選。1994年2月、議会選で大統領与党であるRPTが過半数割れし、野党の革新行動委員会 (CAR) が第1党に。エヤデマ大統領は4月、野党第2党であるトーゴ民主連合 (UTD) のエデム・コジョ党首を首相に任命。1996年8月の選挙では与党RPTが過半数を回復し、コジョ首相は辞任。エヤデマ大統領は新首相にRPT党員のクワッシ・クルッツェ計画・地域開発相を任命。1998年6月21日の大統領選でエヤデマ大統領が当選したが、野党陣営は不正があったとして反発。1999年3月の総選挙では野党がボイコットする中、与党RPTが81議席中79議席を獲得した。5月エヤデマ大統領は新首相にウジェーヌ・コフィ・アドボリを任命したが、2000年8月経済立て直しの遅れを理由に、議会が首相の不信任案を可決し、アドボリ首相は辞任。エヤデマ大統領は後任首相にアベヨメ・コジョを任命。2002年8月、CARなど4つの主要野党は対RPT連合の結成で合意、与野党の対立が深まった。エヤデマ大統領は2002年6月27日、「議会選に向けた体制準備」としてコジョ首相を解任、RPT党員のコフィ・サマ国民教育研究相を後任に任命。議会選は10月27日に実施され、RPTが81議席中72議席を獲得して圧勝。野党はボイコット。ほぼRPT支配下の議会は12月30日、大統領の3選禁止事項を撤廃する憲法改正案を可決した。2005年3月5日、エヤデマ大統領が病気療養のためフランスに向かう途中、心臓発作で死去。同大統領は、1967年のクーデターにより政権の座に就いてから死去するまでのおよそ40年近く政権の座にあり、アフリカ最長政権の大統領として事実上独裁に近い体制を敷き君臨した。トーゴ共和国憲法では大統領死去の際の代行職には国会議長が就くとされているが、ナンジャ陸軍参謀長は「国会議長は外遊中であり、権力の空白を防ぐため」として、エヤデマ大統領の息子フォール・ニャシンベ設備・鉱業・電気通信相が代行職に就いたと発表した。しかし実際は、トーゴ軍が陸海空全ての国境を閉鎖したため、国会のウタラ()議長がトーゴ国内に戻れなくなっており、「権力世襲」「憲法違反」の措置であると西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS) やアフリカ連合 (AU) などの国際社会から非難され、2月25日にニャシンベ大統領は辞任。議会のボンフォー・アッバス副議長が暫定大統領に就任したが、4月24日の大統領選でニャシンベが当選、5月4日より再びニャシンベが大統領の座に就いた。しかし、選挙に不正があったとする野党側との対立で154人が死亡する流血事件に発展した。2010年3月4日には大統領選挙が行われた。事実上ニャシンベ大統領と、党の総書記の一騎討ちとみられていたこの選挙では、抗議デモがあったほかは流血沙汰には至らず、選管はニャシンベ大統領が60.9%の票を獲得したと発表した。トーゴは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年と長く、再選制限がない。大統領は強大な権力を憲法により保障されている。内閣に相当する閣僚評議会は首相および閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。議会は一院制の国民議会(81議席)で、議員任期は5年。主要政党にはトーゴ人民連合 (RPT) がある。RPTは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他の主な政党には変化の力同盟 (UFC) 、パン・アフリカン愛国連合 (CPP) があるが、いずれもRPT寄りか、政治勢力が小さいため、政権交代の可能性は極めて低い。2001年1月、当時の首相森喜朗が日本の総理大臣として初めてサハラ砂漠以南のアフリカ諸国(南アフリカ共和国、ケニア、ナイジェリア)を訪問し、21世紀に向けた日本の対アフリカ協力基本方針を明らかにした。日本はトーゴへのODAを実施し、現在もそれは続いている。資金援助の他にも、放送器材を提供して国営放送を支えている。日本はトーゴから綿花や魚介類を輸入している。東日本大震災において、国際熱帯木材機関を通じ、復興用木材の提供を行った。トーゴの地方行政区画は5つの州に分かれる。また、5州は首都のロメ(コミューン)と30の県に分かれている。主要な都市はロメ(首都)がある。人口10万人以上の都市はソコデ、カラがある。北部はなだらかに起伏するサバナで、中部は丘陵である。南部は高原だが、海岸平野は潟と沼沢からなる。海岸は熱帯で平均気温27°C、北部は乾燥した熱帯サバンナで平均気温30°Cである。南部では4 - 7月と10 - 11月が雨季だが降雨量はあまり多くない。農業が国内総生産 (GDP) の約39%、労働人口の約64%を占める農業国。綿花、コーヒー、ココアが輸出額の30%を占める。世界最貧国の1つ。外国からの援助に依存しているが、欧州連合 (EU) は1998年6月のニャシンベ・エヤデマ大統領当選を認めず、7月から協力停止を発表した。トーゴの鉱物資源はリン鉱石である。1969年時点には14万3000トンだったが、1991年には296万5000トンまで採掘量が増加し、世界シェア10位に達した。しかしながら、資源の枯渇も早く、2003年時点には53万トンまで減少している。主要産品はセメントに取って代わられている。未開発の資源として鉄鉱石が確認されている。鉄を40%含むため、最高品位ではないものの採算が取れるとされている。推定埋蔵量は9500万トン。選抜徴兵制。兵役は2年。陸軍9千人、海軍200人、空軍250人。2002年の国防予算は3,300万ドル。住民は、アフリカ系が99%で、40以上の民族がある。主な民族はエウェ族、、ミナ族などである。他にドイツ、フランスやレバノンからの移民がいる。言語は、フランス語が公用語だが、、旧宗主国ドイツのドイツ語やエウェ語やカビエ語、ダバニ語(Dagomba)などが主要言語。北部はのモシ語や。宗教は、伝統的宗教が51%、キリスト教が29%、イスラム教が20%である。
出典:wikipedia
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