広瀬 宰(ひろせ おさむ、1947年2月20日 - 1999年9月9日)は、大分県佐伯市出身のプロ野球選手。ポジションは内野手(主に遊撃手)である。現役時代はロッテオリオンズ、中日ドラゴンズ、太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズ・西武ライオンズに在籍した。引退後は西武のコーチ、編成担当を務めた。佐伯豊南高から東京農業大学に進学。東都大学リーグでは一部昇格はならず、二部リーグ通算打率.303、本塁打4。1968年、ドラフト2位でロッテオリオンズに入団。一年目の1969年、山崎裕之が二塁手に回った後を受けてレギュラー遊撃手となるが、打撃面で伸び悩み、翌1970年には千田啓介に定位置を奪われる。その後も千田とのレギュラー争いが続くが、1972年オフに江島巧選手との交換トレードで中日に移籍。ここでもレギュラー遊撃手として起用され、1974年のリーグ優勝に貢献。同年の古巣ロッテとの日本シリーズでも5試合に先発出場。第2戦で本塁打を放ち、シリーズ通算14打数5安打1打点を記録した。1975年オフには梅田邦三選手との交換トレードで坪井新三郎と共に太平洋に移籍。1977年まで正遊撃手をつとめ、同年は自己最高の打率.273を記録するが、1978年には真弓明信にポジションを譲る。1980年よりコーチ兼任となり、1981年限りで現役引退。その後は二軍守備・走塁コーチ(1982年 - 1992年)、二軍総合コーチ(1996年)を歴任。1999年9月9日、腎不全のため死去。52歳。西武コーチ時代の教え子だった田辺徳雄は広瀬を「自分を野球漬けにしてくれた恩人」と尊敬しており、2015年シーズンからの一軍監督就任にあたっては当時広瀬が付けていた背番号「90」を希望して付けている。
出典:wikipedia
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