志賀高原(しがこうげん)は、長野県下高井郡山ノ内町にある上信越高原国立公園の中心部を占める高原のこと。高原一帯には志賀高原スキー場が開設されている。北志賀高原は、志賀高原に含まれない。今から20万年前ごろ、志賀山などの火山活動により周囲の川が堰き止められ、志賀湖と呼ばれる湖ができた。火山活動はなおも続き、湖がほぼ埋め尽くされた結果、現在の志賀高原の大部分が湿地帯になり、埋め残った所に沼や池がある。池の水は農業用水として利用されるほか、中部電力の水力発電所(平穏第一・第二・第三発電所)に送水し、合計最大1万6,700キロワットの電力を発生する。自然が豊富で、動植物は多岐にわたり生息している。志賀高原全体が1000メートル以上の高地に位置するため、高山植物も生育している。東館山山頂には東館山高山植物園が設けられている。生育する主な植物は、ニッコウキスゲ、ミズバショウ、キンコウカ、チングルマ、マツムシソウ、シラネアオイ、キヌガサソウ、タテヤマリンドウ、ヒメシャクナゲ、ダケカンバ、レンゲツツジ、サンカヨウ火山地帯ならではの豊富な湧出量を持つ多数の温泉は江戸時代から知られ、近傍の松代藩出身である幕末の洋学者・佐久間象山もこの地域の温泉を賞揚した。標高が高く自然環境に恵まれ、積雪量も多い条件から、スキーや登山、避暑などを中心とした近代的なリゾート開発の歴史も古い。早くも1920年代から地元住民・自治体と、1927年に湯田中まで鉄道を開通させた長野電鉄グループとのタイアップで、戦前から観光地としての開発が進められた。総称して志賀高原スキー場と呼ばれている。戦前から開発が進められており、白馬エリアと並んで、日本屈指の一大スキー場地帯である。当初こそ小規模ではあったが戦前から著名なスキーリゾートであり、戦時中を除いて日本でのスキーブームに伴う開発が進められてきた。1947年には当時この地域を軍関係者のリゾート地としたGHQの意向により、日本で最初のスキーリフトが掛けられた。このうち、奥志賀、横手山(一部区域)、熊の湯(笠岳スキー場往復は除く)はスノーボード滑走禁止であったが、2015-2016シーズンより奥志賀、熊の湯でスノーボードが解禁された。長野オリンピック開催時に、道路や鉄道が整備されたため、以前よりアクセスは容易になった。
出典:wikipedia
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