岩下 修一(いわした しゅういち、1973年6月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。2006年のみ、登録名を岩下 修壱(読みは同じ)とした。現在は、北海道日本ハムファイターズの打撃投手。難病である白血病を克服した事でも知られている。浜松工高から三菱重工自工名古屋、分離した三菱自動車岡崎を経て、1999年秋のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから4位指名を受け入団。この年、三菱自動車岡崎の同僚・山口和男が同じくオリックスに1位で指名された。2001年7月、急性骨髄性白血病にかかり入院。2002年、開幕戦で復帰登板。2004年末の分配ドラフトにより、2005年はオリックス・バファローズと契約。同年オフ、戦力外通告を受けオリックスを退団。2006年、北海道日本ハムファイターズにテスト入団。トレイ・ヒルマン監督に白血病を克服した強い精神力を高く評価された。登録名を岩下修壱に変更。しかし3試合の登板にとどまり、1年で再び戦力外通告を受け打撃投手に転向した。希少な存在である左のサイドスローで、シュートとスライダーを武器にする。100試合近く登板したが、一度も敗戦投手になることなく現役を終えた。現代のプロ野球では稀な例である。妻と3人の娘がいる。オリックス在籍時に雑誌のインタビューで次女(2003年生まれ)が、牛乳・卵・小麦に重度のアレルギー(アトピー性皮膚炎)と闘っていることを明かす。岩下はインタビュー内で、次女・妻(当時授乳中であった)のために長女と除去食(アレルギーの原因の食品を含まない料理・献立)に付き合うのは楽ではないと明かした。また、2004年末には、病と闘い且つマウンド復帰へ向け這い上がる岩下と、それを献身的に支える妻ら家族の姿を描いたドキュメンタリー番組がフジテレビ系で放送された。なお、ナレーションは自身も石井浩郎の妻であった経験を持つシンガーソングライターの岡村孝子が担当した。2000年12月、当時オリックスに在籍していた木田優夫が出演した毎日放送のバラエティ番組「痛快!明石家電視台」の収録を訪れ、客席にプレゼントされたイチローのサインボールを獲得した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。