


益城ルネサンス熊本フットボールクラブ(ましきルネサンスくまもとフットボールクラブ、)は、熊本県上益城郡益城町をホームタウンとする女子サッカークラブ。本拠地は熊本県熊本市に隣接した上益城郡益城町。益城町総合運動公園陸上競技場などでホームゲームを開催する。2011年シーズンより益城町へホームタウンを移転し、現在のチーム名へ改称。日本女子サッカーのトップリーグ昇格を目指し活動を続けている。1983年、飽託郡飽田町(当時、現:熊本市南区)の飽田南小学校サッカー部の母親たちを中心とするママさんサッカークラブとして発足。1985年には中学生も加入し始めたため、1987年にママさんチームの「飽田ママ」と、のちに中高生を中心にしたチームになる「熊本レディース飽田」に分離した。1989年には中高生チームが「飽田FCレディース」と改称。九州女子選手権大会で6連覇、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会には出場12回の実績を残し、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)の日興證券ドリームレディース、松下電器パナソニック バンビーナなどに選手を送り出した。その一方で「九州からL・リーグを」との期待を受けてJLSLチャレンジマッチ'96にも参加するが、浦和レディースFCとの対戦に敗れてしまう。翌1997年、熊本県酪農業協同組合連合会(酪農マザーズ)の協賛を得ることになり、クラブ名を「マザーズ熊本フットボールクラブ」、チーム名も「マザーズ熊本レインボーレディース」と改称。シーズンオフに行われた「L・リーグ入替戦」に参加したが、宝塚バニーズとの対戦(ホーム・アンド・アウェー方式)では2戦とも「無得点2桁失点」という大差により参入に失敗した。1998年、マザーズ熊本レインボーレディースから主力選手が脱退し、独立した新チーム「ルネサンス熊本フットボールクラブ」を結成。同年、九州女子サッカーリーグを創設し、これに参加。競技スポーツとしての女子サッカーの探求と、選手を主体としたチーム運営でよりよきクラブチームの再生(ルネサンス)をめざしての命名であったといわれる。2000年、創部3年目にして念願のL・リーグ入りを果たしたが、入れ替え戦を経験せずの参入ということもあってか、なかなか勝利をあげられず、2002年10月27日のYKKフラッパーズ戦での引き分け(1-1)により、リーグ戦で初の勝ち点獲得。2003年までは一次リーグを地区別に分けたリーグ戦(西地区)であったため、田崎ペルーレ、伊賀FCくノ一といった強豪クラスとの対戦では2桁失点での大敗を繰り返した。チームの実力別に分けた2004年のリーグ戦ではなでしこリーグDiv.2(L2)に参加。2004年7月4日のジェフユナイテッド市原レディース戦でリーグ戦初勝利(3-1)。初勝利をあげるまで52敗2分という成績だった。その後も勝利を重ね、初めて最下位を脱出することができた。しかし翌2005年には再び最下位に転落、2006年も開幕時のメンバーに高校生・中学生世代の選手が登録されるなど、他チームと比べて選手の平均年齢が低い。その後も成績は低迷。2010年はリーグ再編によりチャレンジリーグWESTに編入。リーグ戦では未勝利で最下位(6位)となり、2010チャレンジリーグ入替戦に参加。11月14日及び21日に行われたスフィーダ世田谷FC(東京都1部リーグ所属)との入替戦で1分1敗となったため、11年間所属した日本女子サッカーリーグからの降格が決定した。なお、この年はなでしこリーグ昇格の権利を持つなでしこリーグ準加盟制度の承認を受けていたが、地域リーグ降格によりなでしこリーグ準加盟の会員資格も規定により喪失となった。長年、代表兼監督としてチームを率いてきた山形秀晴が2010シーズンで勇退。運営体制を刷新。戦いの場を九州女子サッカーリーグDiv.1に移し、ふたたびチャレンジリーグ、なでしこリーグ昇格を目指すこととなった。4月よりホームタウンを熊本市から隣接した益城町(ましきまち)へ移転。益城町の所有するスポーツ施設の優遇利用などのバックアップを受けることになった。それに伴いチーム名称を「益城ルネサンス熊本フットボールクラブ」へ変更。ユニフォームスポンサーに新日本製薬株式会社(胸、袖)、五木食品株式会社(背中)を獲得。早稲田大学ア式蹴球部女子コーチの福田あやを監督に迎えるなど大幅にチーム体制の強化を図り、2000年の第2回、以来の参戦となった第13回九州女子サッカーリーグでは9勝1敗2分の成績で同リーグを初制覇。10月に開催された第33回全日本女子サッカー選手権大会の九州予選では上位リーグであるチャレンジリーグWEST3位のジュブリーレ鹿児島を準決勝(2-0)で破り意地を見せた。11月に行われた2011チャレンジリーグ入れ替え戦出場決定戦で、チャレンジリーグ復帰を賭けたが、1回戦は豊田レディースフットボールクラブに2-0で勝利。1回戦シードのJAPANサッカーカレッジレディースに2回戦1-3で敗れ、念願のチャレンジリーグ復帰は果たせなかった。2012年は再び、九州女子サッカーリーグ(2012年度は1部制へ変更)に所属。ユニフォームメーカーをA-LINEジャポネスポーツに変更。ユニフォームスポンサーに五木食品株式会社(胸)、株式会社杉養蜂園(背中)、株式会社お菓子の香梅(袖)、南九州ペプシコーラ販売株式会社(パンツ裾)と地元熊本で知名度の高い企業によるフルスポンサードを獲得。公式ウェアスポンサー(ジャージ、ピステ)にも地元の医療機関、益城病院のロゴが入るなど運営体制を更に強化。5月に開催された九州No1を決める第24回九州なでしこサッカー大会では決勝で神村学園高等部女子サッカー部を破り優勝。九州女子サッカーリーグでは、8勝0負3分の成績により勝点1差で2位となった。シーズン終盤には、福岡J・アンクラスより谷原ゆかり選手が新加入、元九州松下電器サッカー部監督、尾上賢二がコーチに就任。公式練習着にも複数のスポンサーを獲得するなどチーム基盤を強化している。11月に開催された2012チャレンジリーグ入替戦予選大会では1回戦で2010年チャレンジリーグを同じく降格となった東海リーグ所属の清水第八プレアデスと対戦するも2-3で敗戦。その後の敗者復活戦でもノルディーア北海道に0-1で敗れ、入替戦進出への最後の一枠をかけたNGU名古屋FCレディースとの試合にもPK戦の末敗れたことで、チャレンジリーグ復帰はまたも果たせなかった。福田あや監督はシーズン終了後退任。2013年は指導体制を一新。元INAC神戸レオネッサ監督高須理稔をエグゼクティブアドバイザー(総監督待遇)として迎え、監督に葎迫大輔という体制を発表。主力選手6名が退団となったが新規加入選手8名はジュ ブリーレ 鹿児島や愛媛FCレディースなどからの移籍組と徳山大学などからの新卒組。選手層は大幅な若返りとなった。昨年に引き続きユニフォームスポンサーは継続しフルスポンサードを受け、新たにオフィシャルウェアスポンサーとして地元熊本の航空会社天草エアラインからも支援を受けることになった。シーズン後半からは元INCAレオネッサ、スペランツァFC高槻に所属した小林未央がコーチに就任。九州女子サッカーリーグでは8勝3分0負でリーグ優勝。チャレンジリーグ入替戦予選大会に進出したが1勝1負の成績で入替戦への進出は果たせなかったが、第17回 九州女子ユース(U-22)選手権大会ではアンクラス・ユースを下し優勝し、下部組織として九州タイトルを取得した。前年、福岡J・アンクラスを指揮した八木邦靖氏が監督に就任。コーチ陣も一新することになり新たにウェアサプライヤーとしてヨネックスとの契約が発表された。バニーズ京都の主力であった亀岡夏美、中村美希が新加入。他にも愛媛FC、長野パルセイロなどから4名が加入。昨シーズンまで在籍していた選手で熊本学園大学へ在籍・入学する選手は昨年新設された熊本学園大学女子サッカー部へ移籍となった。メンバーの大半が、なでしこリーグ・チャレンジリーグの経験者となり2010年以来のチャレンジリーグ復帰を目指す。また、ヨネックスとの契約に合わせる形でユニフォームカラーが2001年以来のイエロー(当時はシャツ=イエロー、パンツ=ブルー)に変更となった。九州リーグでは11勝1分無失点で圧勝。昨年チャレンジリーグから降格したきたジュブリーレ鹿児島をも下し2連覇を成し遂げた。2014チャレンジリーグ参入チーム決定戦に参戦。第1週は新潟医療福祉大学女子サッカー部に0-1、横浜FCシーガルズ1-3で破れ自動昇格は逃したが第2週はディオッサ出雲F.C.13-0、ジュブリーレ鹿児島2-0で勝利。2014チャレンジリーグ入替戦に進出。2014チャレンジリーグ16位の清水第八プレアデスとホーム&アウェーで対戦。4-0、1-0で勝利し2010年以来のチャレンジリーグ復帰が決まった。チャレンジリーグWESTでは4勝10敗1分。得失点差で最下位(6位)となりチャレンジリーグ入替戦へ。入替戦では入替戦予選大会1位のオルカ鴨川FCと対戦。アウェイでの1戦目は0-1、ホームでの2戦目は2-1の2戦合計2-2だったが、アウェイゴールルールにより敗退。1年での九州リーグ降格となった。元々はブルー&イエローがチームカラーであったが、「熊本からJリーグチームを誕生させよう!」といった県民運動に歩調を合わせる形でチームカラーをロッソ熊本(現 ロアッソ熊本)と同じ赤に変更。2014シーズンからは創設当時に戻りイエローカラーの復活となった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。