『嵐が丘』(あらしがおか、原題:"Wuthering Heights"ワザリングハイツ"、"ウザリングハイツ")は、エミリー・ブロンテの唯一の長編小説。「世界の三大悲劇」や「世界の十大小説のひとつ」などと評されている。「最後のロマン主義作家」とされるブロンテ姉妹のひとりエミリー・ブロンテが29歳の時に発表した作品。姉妹が暮らしていたイギリス・ヨークシャーのハワースを舞台にした長編小説で、わびしく厳しい荒野(ヒース・ムーア)の自然を背景に、荒々しくかつインモラルなストーリーが展開する。作者のエミリーは牧師の娘で、若い頃から音楽教師をしており、この作品の着想は20歳の頃に得たとされている。当時は女性作家に対する評価が低く、姉妹は男とも女ともとれるようなペンネームを用い、1847年にエミリーは「エリス・ベル」名義で『嵐が丘』を、姉のシャーロットは「カラー・ベル」名義で『ジェーン・エア』を出版した。姉の『ジェーン・エア』はベストセラーになって「作者は男か、女か」が世間の話題になったのに対し、『嵐が丘』は酷評された。エミリーは出版の翌年に病没しており、のちに姉のシャーロットが『嵐が丘』の2版で作者が妹のエミリーだったことを明かした。20世紀に入った頃には高く評価されるようになっており、日本では1920年代に東京帝国大学で英文学を教えたエドマンド・ブランデンが、『リア王』、『白鯨』、『嵐が丘』が「英米文学の三大悲劇」と教えたことから広まったという。当時文部省の研究員としてイギリスに派遣された浜林生之助は、帰国後の1930(昭和5)年に出版した『英米文学巡礼』のなかで、その頃既に「ブロンテ・カンツリ」と呼ばれるようになっていたハワース一帯を紹介している。物語は「アーンショウ家」と「リントン家」の2つの家で三代に渡って繰り広げられ、とくに「ヒースクリフ」と「キャサリン」との間の愛憎、悲恋、復讐が主要に描かれる。ストーリー展開の荒々しさや非道徳的な内容もさることながら、表現上の複雑な構成は、この作品の発表当時の不評の主因であり、のちに高く評価されることになる大きな特徴である。ストーリーの語り部が次々に変わるうえに「また聞き」の形で描写されたり、時系列が入り乱れて後日談や回想が入れ子状になっており(そのために『嵐が丘』の出来事を年代順に並べ直した書も出版されている)、しかも主要な語り手がしばしば「嘘(語り手自身の誤解や正しくない情報)」を述べる。こうした手法は後世には巧みな「戦略」と評価されたが、発表当時は「物語史上最悪の構成」とまで貶める評論家もいた。原題は『Wuthering Heights』といい、ハワースにある「トップ・ウィゼンズ」という荒野の廃墟をモデルにしている。「wuther」は「風がビュービューと吹き荒れる」を意味する語で、「Wuthering Heights」はアーンショウ家の屋敷のことだが、これを『嵐が丘』とした斎藤勇の邦訳は「歴史的名訳」とされている。1801年、都会の生活に疲れた自称人間嫌いの青年ロックウッドは、人里離れた田舎にある「スラッシュクロス」と呼ばれる屋敷を借りて移り住むことにした。挨拶のため「スラッシュクロス」唯一の近隣であり大家の住む「嵐が丘」を訪れ、館の主人ヒースクリフ、一緒に暮らす若い婦人キャサリン・リントンや粗野な男ヘアトンといった奇妙な人々と面会する。ヒースクリフは無愛想だし、キャサリン・リントンは彼の妻でもなさそうだ。ヘアトンは召使の様な格好をしているが、食卓を一緒に囲んでいる。しかもこの住人達の関係は冷え切っており、客前でも平気でののしり合っている。彼らに興味を抱いたロックウッドは、事の全貌を知る古女中エレン(ネリー)に事情を尋ね、ヒースクリフと館にまつわる憎愛と復讐の物語を聞かされることとなる。昔、この「嵐が丘」では旧主人のアーンショーとアーンショー夫人、その子供であるヒンドリーとキャサリンが住んでいた。ある日、主人は外出先で身寄りのない男児を哀れに思い、家に連れて帰ってきた。主人は彼をヒースクリフと名づけ自分の子供以上に可愛がり、ヒースクリフはキャサリンと仲良くなった。しかしアーンショー氏が亡くなり館の主人がヒンドリーになると、今までヒースクリフを良く思っていなかったヒンドリーはヒースクリフを下働きにしてしまう。それでもヒースクリフとキャサリンは仲が良く、お互いに恋心を抱くようになっていた。そんなある日、二人は「スラッシュクロス」の住人と出会うことになる。当時、「スラッシュクロス」には上流階級の主人リントンとリントン夫人、その子供のエドガーとイザベラが住んでいた。彼らの優雅な生活に衝撃を受けたキャサリンは上流階級に憧れを持ち、ヒースクリフを必要としながらも自分を下げることはできないとエドガーの求婚を受けてしまう。ショックを受けたヒースクリフは姿を消す。やがてヒースクリフは裕福な紳士になって戻ってくるが、それは自分を下働きにしたヒンドリー、キャサリンを奪ったエドガー、そして自分を捨てたキャサリンへ復讐を果たすためであった。まずは、「嵐が丘」のヒンドリー。彼は妻を早くに亡くし、その悲しみから息子ヘアトンと共に荒れた生活を送っていた。そこへ賭博の申し出をして、「嵐が丘」と財産をそっくり奪い取ってしまった。その次は、エドガーと結婚したキャサリンの住む「スラッシュクロス」に訪れ、一緒に住んでいたエドガーの妹イザベラを言葉巧みに誘惑し、一緒に駆け落ちさせて結婚。だがそこに愛はなく、あるのは冷たい言葉と虐待だけだった。耐えきれなくなったイザベラは「嵐が丘」を出て、一人でリントンを出産した。その合間にもエドガーに内緒でキャサリンにたびたび会い愛を語っていたが、そのせいでキャサリンは発狂してしまう。二人の間で板挟みになったキャサリンは苦しみ、ついには亡くなってしまう。その時お腹にいたキャサリン・リントンは助かり、キャサリンの忘れ形見になった。こうして復讐を終えたヒースクリフだったが、その憎悪はとどまるところを知らなかった。復讐はヒンドリーの息子であるヘアトンとエドガーの娘、キャサリン・リントンにも及んだ。「嵐が丘」ではヒースクリフとヒンドリー、ヘアトンが住んでいたが、ヒンドリーは亡くなり、ヒースクリフはヘアトンと二人で暮らすようになった。ヘアトンは元の素質が良く、本来は頭も顔も悪くなかったのだが、ヒースクリフはあえて野良仕事をさせ、悪態を覚えさせた。そうしてヒンドリーの嫌うような、教養のない人間に育てることに成功した。イザベラが亡くなり、ヒースクリフの息子であるリントンはイザベラの遺言によりエドガーに引き取られるはずだったが、ヒースクリフは無理やり引き取ってしまった。しかしリントンは病弱で気弱、素質が悪いと見限ったヒースクリフは、彼を愛することはなかった。「スラッシュクロス」ではエドガーとキャサリン・リントンが仲良く静かに暮らしていた。ある日、キャサリン・リントンは「嵐が丘」に迷い込み、住人達と出会う。過去の出来事を全く知らない彼女はヒースクリフ達に興味を持った。特に前に少しだけあったリントンがいとこだとわかると、友達ができたと嬉しがる。そこに目をつけたヒースクリフは、リントンとキャサリン・リントンを結婚させ、「スラッシュクロス」とエドガーの財産を自分のものにしようと企む。この頃エドガーは衰弱しており、亡くなれば財産はリントンのものなのだが、リントンは病弱で、20まで生きられないのではないかと言われていたのだ。どちらが先に亡くなるか分からないのだから結婚させてしまおうと考え、ヒースクリフはリントンに入れ知恵をする。ヒースクリフの策により、キャサリン・リントンはリントンに恋したと錯覚し、エドガーに内緒で会いに行くようになる。しかしリントンの死期は迫っており、まともに相手をすることはできなかった。キャサリン・リントンは目を覚まし始めるが「嵐が丘」へ行き、そこでヒースクリフに閉じ込められてしまう。リントンと結婚しなければここから出さないと脅され、エドガーの死に目に会いたかったキャサリン・リントンは、リントンへの同情心も手伝って承諾する。数日後、エドガーは亡くなり、しばらくしてリントンも亡くなった。ヒースクリフは遂に、「スラッシュクロス」とエドガーの財産をも自分のものにしたのだった。エレンの長い話に納得したロックウッド。しばらくここで過ごしていたが、あまりの退屈さに一年の契約期間を待たず都会へと帰って行った。そうして時間が過ぎ契約が切れるとき、たまたま「嵐が丘」の近くを通り過ぎ、契約終了の挨拶でもしようと思い立った。すると「嵐が丘」は前に来たときとまるで変わっていた。キャサリン・リントンはののしり合っていたヘアトンと仲良く勉強しており、幸せそうにしている。エレンに問いただしたところ、ヒースクリフは亡くなったのだという。キャサリンに対する愛と憎しみにより、幻覚を見て発狂したと。この「嵐が丘」と「スラッシュクロス」は本来の持ち主であるヘアトンとキャサリン・リントンに戻り、二人は和解し、愛し合い、いずれ一緒になるだろう。ヒースクリフはキャサリンの墓の横で、静かに眠っているのだろうか。それとも二人で亡霊になって、今もまだ嵐が丘をさまよっているのだろうか。『嵐が丘』は作者エミリーのほぼ唯一の作品だったうえ、発表後間もなく早逝してしまったこともあり、作者本人による作品についてのコメントや解説がほとんど残されていない。一般的に、『嵐が丘』はヨークシャーの荒野の厳しさを力強く描いていると評される。物語の冒頭に「This is certainly a beautiful country!」という台詞があるが、これは反語的な表現であり、作者のエミリーはハワースの荒野をわびしく、さびしい、そして苛酷な土地ととらえていた。とはいえ、エミリー自身はこうした荒野ならではの自由さを気に入っていたとされている。作中では、ハワースの地理・動物や植物の生態が正確な写実性をもって描かれたり、登場人物の多くがヨーク方言を用いたりする。そのためヨークシャーでは『嵐が丘』が郷土の風土や文化を世界に広めた作品として愛されており、ウェスト・ヨークシャーには「ブロンテ地方(ブロンテ・カウンティ)」()との異称もある。しかし、「ヨークシャーの自然が力強く描かれているという読後感」は、荒々しいストーリー展開によってもたらされるものであり、実際には野外のシーンは少なく、自然に関する直接描写は少ないという分析もある。「身を切るような北国の天候、通行止めの道」というような荒野の苛酷な姿は、この物語の展開の激しさのメタファーになっていると指摘されている。また、「厳しい荒野が描かれているという印象」は、実は後世の映画によるものだという指摘もある。原作の『嵐が丘』では、ストーリーの終末は直接的には描かれておらず、第三者による事後の報告の形式をとっているのだが、何度か映画化された作品ではクライマックスシーンを荒野で撮影して直接描写しており、それが印象に影響を及ぼしているとしている。出版直後に不評だったのが、構成の複雑さである。いろいろな人物が入れ替わってストーリーを語り、手紙や日記の形をとることもあれば、回想や後日談が階層を成している。そのうえ、主要な語り部である家政婦は思慮が浅く、しばしば読者に誤った情報を与えたり、主人公たちに対して与えた影響が裏目に出る。現代の読者には「だからこそ面白い」のだが、出版当時の文学界からはこうした点が奇異であると批判された。『嵐が丘』についての分析で必ず引き合いにだされるのは、「アーンショウ家」と「リントン家」が完全な対照・対称をなしていることである。両家の屋敷、家族構成、性格、名前、行動から、章構成までがこうした対称性・対照性をもって描かれている。主人公の一人である「ヒースクリフ」は苛烈な人物として描かれるが、その名「Heathcliff」は「荒野(ヒース)」+「崖(クリフ)」という意味をもっており、ゴシック的な象徴性を帯びている。しかしあまりにも苛烈な人物設定は、当時の書評者たちに「人物造形がおかしい」と批判された。2015年に起こった一連のテロ事件の被害者に対する共感を表す合言葉として「I am 被害者」が世界中に広まった。自分の名前に被害者の名称を位置付けるこの表現は、英語として破格であるが、これは直接的には、その前年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイの I am Malala.の表現をもじったものだと考えられるが、原型としては、すでに「嵐が丘」のキャサリンが発する次のセリフに求めることができよう。Nelly, I am Heathcliff. (ネリー、わたしはヒースクリフよ)。
出典:wikipedia
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