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伊号第十九潜水艦

伊号第十九潜水艦(いごうだいじゅうきゅうせんすいかん、旧字体:伊號第十九潜水艦)は、日本海軍の伊十五型潜水艦の3号艦。伊号第十九潜水艦は1938年3月15日、三菱重工神戸造船所で起工され、1939年9月16日に進水し、1941年4月28日に竣工した。その後太平洋戦争中のアメリカ西海岸沿岸における通商破壊作戦に参加した。12月23日にのサンディエゴ西方30浬で米タンカー「 H・M・ストレー」(H. M. Storey、10,763総トン)を砲撃しているが命中せず、魚雷2本を発射して命中させたが、沈めることはできなかった。25日にはカリフォルニア沖で米木材運搬船「バーバラ・オルソン」(Barbara Olson)を雷撃するも失敗。同日、のサンペドロ沖で米貨物船「アブサロカ」(Absaroka、5,695総トン)を撃破した後、ロサンゼルス港口で米哨戒ヨットアメジストの爆雷攻撃を回避した。30日にはカリフォルニア沖でPBY飛行艇により爆弾2発を投下されるも、被害はなかった。1942年1月5日には搭載機を水上発進させて真珠湾を偵察した後、15日にクェゼリンに入港した。7月15日、横須賀を出港後、ソロモン諸島南東方面に進出。26日午後、ガダルカナル島南東約200浬で米空母ワスプを中心とする任務部隊を視認し、報告後これを追跡した。29日にはサンタ・ クルーズ諸島ヌデニ島を飛行偵察し、駆逐艦1、飛行艇6を視認と報告。31日にはヌデニ島グラシオサ湾を砲撃した。9月15日、伊号第十九潜水艦(艦長木梨鷹一中佐)はソロモン諸島、サンクリストバル島南東で米空母ワスプを再度発見し、1145に酸素魚雷6本を発射、このうち3本がワスプに命中し、ワスプは航空機用のガソリンに引火して爆発炎上し、駆逐艦の魚雷で処分された。さらに残り3本の魚雷は偶然10km先を航行していた第17任務部隊に到達し戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに各1本命中した。オブライエンは大破し、その損傷が元で10月19日に沈没した。また、ノースカロライナは復帰まで3ヶ月(9月15日被撃, 11月26日復帰)を要した。伊号第十九潜水艦はその後、トラックに入港した。1943年3月に入り、伊号第十九潜水艦はトラックを基地に南太平洋で通商破壊に参加した。4月30日、フィジー島スバ南東で米貨物船「フェーベ・A・ハースト」(Phoebe A. Hearst、7,176総トン)を雷撃して撃沈した。5月2日には米貨物船「ウィリアム・ウィリアムズ」(William Williams、7,181総トン)を雷撃して撃破した。16日にはにのスバ南西沖で米貨物船「ウィリアム・K・ヴァンダービルト」(William K. Vanderbilt、7,181総トン)を雷撃して撃沈した。8月13日にはフィジー沖で米貨物船「M・H・デ・ヤング」(M.H. De Young、7,176総トン)を雷撃して撃破した。10月17日、第1潜水隊司令潜水艦としてトラックを出港。11月17日、真珠湾を飛行偵察後、敵哨戒機の出現により搭乗員のみを収容した。18日、真珠湾内に空母1、戦艦1、巡洋艦1、戦艦か空母1、その他若干と報告。19日にギルバート諸島方面への急行を命ぜられ、1032に状況報告後消息を断つ。11月25日、マキン島近海で米駆逐艦「ラドフォード」の爆雷攻撃を受け戦没し、潜水艦長の小林茂男少佐以下全乗員が戦死した。1944年2月2日に亡失と認定され、4月30日に除籍された。撃沈隻数は4隻で、撃沈トン数は計31679トンにのぼる。また、艦艇や商船5隻、計67015トンに損傷を与えた。

出典:wikipedia

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