池袋演芸場(いけぶくろえんげいじょう)は、東京都豊島区・池袋駅前・西一番街中央通り入口にある寄席である。都内に4軒ある落語定席の一つで、落語を中心に、漫才、手品などの色物芸が多数執り行われている。城北興業株式会社の経営である。池袋は戦後遅くに発展した、歴史の浅い新興の商業地であり、伝統的に客足が悪い。落語協会の落語家が、「人が誰も居ないさま」「客が全く入らないさま」を「まるで池袋の芸協のようだ」と形容することがある。当寄席は地下室であり、あたかも客数人に対して密談をするような形になることから「池袋秘密倶楽部」という異名がある。当寄席の裏手には池袋歓楽街が広がっている。1951年(昭和26年)に開場。もともとは映画館『池袋ピース座』の三階にあり、全席畳席であった。客が全く入らず、1970年(昭和45年)に席亭は閉鎖を検討するも、落語協会・6代目三遊亭圓生会長の説得により存続が決まり、以降は落語協会専門の定席となる。なお、席亭が経営していた一階の『池袋ピース座』は松竹第一興行の経営に移り、『池袋松竹名画座』と改称している。1990年(平成2年)2月28日、改築のため閉鎖。周辺の再開発のため建物は解体された。1993年(平成5年)9月再開場。改装前と所在地は同じながら入口の通りが異なり、路地裏(現在のエビス通り)から駅前(西一番街中央通り)に進出した。現在はビルの地下に位置する。地下に位置する定席としては当席が唯一である。改築を機に、全席椅子席となった。再開場時より、旧来のように落語芸術協会・落語協会両方の番組が組まれるようになった。座席数は93席であり、他の都内3件の落語寄席に比べ狭い。どこに座っても演者の息遣いが分かる。また、定席以外でも下席夜の部に独特の企画を興行する(後述)。毎月10日ごとに出演者・演目が入れ替えられている。出演者は以下のとおり。同じ協会がまる一日を担当するが、昼の部と夜の部では出演者が異なる。なお、これは東京の寄席では通例である。落語芸術協会のみ、10日間を5日ずつに分けて別の番組を編成する(いわゆる5日興行制)。上席、中席は昼夜入れ替え制はとっていないため、通しで見ることが可能である。なお、下席のみ毎月常に落語協会の芝居となり、昼席は通常興行、夜席は日替わり特別企画興行「落語協会特選会」を行う。下席のみ昼夜入れ替えがある。落語協会、落語芸術協会両協会所属の落語家・芸人が上述の通りに出演する。基本的には通常の番組を組むが、冒険的な企画が行われることがある。2008年7月下席昼の部にはオリンピック金メダリストの森末慎二が落語家として出演して10日間の興行を務めた。93席。全席自由席(特別興行除く)。客席はすべて椅子席であり座席には飲み物などを置く組み立て式のテーブルが付属している。近年になって固定席の端に追加する形でパイプ椅子が置かれるようになったため、上記よりも20席ほど多い。それでも混雑することがあり、その場合は立ち見することになる。扇に桃
※改築後は使用されていない。10代目桂文治は落語芸術協会会長職にあるにもかかわらず、当寄席を名指しして「こんな寄席は、昔でいえば、“端席”って言ったもので…」などと差別的な言を平気で吐いていた。もちろん当寄席はれっきとした定席のひとつである。しかしステータスは最も低く、定席の中で真打などの披露興行が回るのが最後で、入場料が一番安く、収容人員数が最も少ない。その一方、演者一人当たりの持ち時間は他の寄席に比べて長めで、噺家にとっては新しい演目や他の寄席でできないような演目を試す絶好の場となっている。7代目立川談志が落語協会にいたころ、談志持ち前の義侠心を発揮して、しばしば当席に主任として出演し、たった一人の力で客を満員にした。西武池袋線、東京メトロ有楽町線の池袋駅からはやや離れている。
出典:wikipedia
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