キハ38形は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車である。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は、7両全てが東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。現在は同社からは既に形式消滅し、5両はミャンマー国鉄に譲渡され、水島臨海鉄道が1両購入して在籍している。八高線で使用されていたキハ35系気動車は1960年代初頭に製造されたもので、初期製造グループは既に製造後25年近くを経過しており、老朽化が深刻となりつつあった。また、周囲の電化線区の冷房化が進み、非冷房の同系列をそのまま使用し続けることは、サービス政策上望ましくなく、冷房車の八高線への導入が必要であると判断された。そこで、キハ35系のうち特に状態の悪いものの置き換えを目的として、1986年(昭和61年)から1987年にかけてキハ35形の改造名義により7両が各地の国鉄工場(大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場)で、コストダウンと共に、国鉄工場の技術力維持が目的として製造され、台車や変速機などの主要機器にキハ35形からの発生部品を流用し、合わせてバス用の部品を多用することで軽量化と製造コスト抑制を図っている。トイレ付きの0番台が4両、トイレなしの1000番台が3両の計7両が製造された。いずれも片運転台であるため、最小運行単位は2両となる。なお、0番台のトイレは、久留里線移籍時に閉鎖されている。番号の新旧対照は、次のとおりである。朝夕のラッシュ時に対応する必要があったことから、通勤形気動車として設計されたキハ35系の扉配置が踏襲されている。このため、キハ35系と同じく前面貫通形で、側面に3か所の両開き扉を備える普通鋼製車体であるが、車体構造は1983年(昭和58年)に製造されたキハ37形の設計を基本としており、車体長は19.5 m、車体幅は2.8 mである。乗降口はキハ35系と同じくステップ付きで、扉は自動・半自動(押ボタンによる開閉操作)の切り替えが可能な構造である。キハ35系の外観上の特徴だった外吊り戸は、車体との隙間が大きく冬期に車内の保温性に難があったことと、ステップと戸袋を設けても車体強度の上で問題がない(補強を加えても重くなりすぎない)と判断されたことから、本形式では外吊り戸を止め、通常の両開き扉となっている。そのため、キハ35系に比べすっきりとした外見となったが、縦形機関(直立シリンダー形エンジンの国鉄での呼称)搭載のキハ37形の構造をそのまま流用したため、新型の横型機関(同じく水平シリンダー形)を搭載しているにもかかわらず、床面高さが高く、腰高な印象となっている。側面窓はバス用のユニット窓(上段下降・下段上昇式)を使用し、戸袋窓は廃止している。前面には、前照灯・尾灯がケーシング中に水平に並べて配置されている。201系電車等に採用された、前面窓回りにジンカート処理を施した黒い外板を採用することで窓寸法を実際より大きく見せるデザイン処理である当時流行のブラックフェイス化(額縁スタイルの一種)もあって、その印象はまったく異なったものとなった。車体塗装はクリーム10号地に赤・黒帯とされた。キハ35系と同様、全席ロングシートで、1席ずつ区分されたバケットシートとなっている。ただし0番台のトイレ向かい側の座席のみ、横向きのボックスシートである。本形式では新製時より冷房装置を搭載している。急行形気動車や快速形として製造されたキハ66・67形を別にすれば、国鉄の一般形気動車としては初である。冷房装置はこれらと異なり、2階建てバス用の冷房システムを流用したサブエンジン方式のAU34を搭載している。冷却能力は26,000kcal/hで、通勤用車両としては若干能力が不足気味となっているため、扇風機も併設している。ただし扇風機は車両ごとの一括制御で、乗客が操作することはできない。暖房装置はキハ37形などと同様の温風暖房である。走行用機関としては、キハ37形のDMF13Sを横型とした新潟鐵工所製のDMF13HS(250PS/1,900rpm) 過給器付き直噴式ディーゼルエンジン1基を搭載している。従来のDMH17系やDMF15HS系などに比べ小型、軽量、高出力、低燃費で、始動性や整備性にも優れている。液体変速機は、キハ35形からの発生品である、神鋼造機TC-2Aおよび新潟コンバータDF115Aで、エンジン出力の向上に対応して、トルクコンバータとクラッチ回りに改良が施されている。台車についても、キハ35形からの発生品であるDT22C(動台車)・TR51B(付随台車)が流用されている。当初は高崎第一機関区(→高崎運転所)に配置し、八高線全線を他形式と混結で運用された。民営化後の1996年に八王子 - 高麗川間が電化され、気動車運用区間は高麗川 - 高崎間となり、同時に同区間では新造気動車のキハ110系が導入された。本形式は久留里線に転用され、当初はすでに運用していたキハ30形、キハ37形と同様に、東京湾アクアラインをイメージしてクリーム地に青のストライプを施した旧久留里線色に塗装されていた。その後、1999年にキハ37形と同様、新塗装に変更された。すべての車両は幕張車両センター木更津派出に所属していた。2012年12月1日をもって久留里線の本形式はキハE130形100番台により置き換えられ、定期運用を終了した。2013年7月10日、水島臨海鉄道は久留里線で運用されていたキハ30形気動車2両、キハ37形気動車3両とともに本形式1両(キハ38 1003)をJR東日本から購入し、リフレッシュ工事を行った上で2014年3月から運行開始すると発表した。なお、正式に運転開始したのは5月12日からである。2014年3月改正ダイヤでは三菱自工前-倉敷市間を朝と夕方2往復ずつ運行している。ミャンマー国鉄に譲渡された車両は、2014年4月に船便でミャンマーに輸送された後現地で改造を受け、同年8月16日より営業運転を開始した。ミャンマー国鉄では初となるエアコン+自動扉装備車両として、ヤンゴン環状線で2時間に一本程度の頻度で運転している。
出典:wikipedia
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