都営バス練馬支所(とえいバスねりまししょ)は、東京都練馬区豊玉上の千川通り沿いにある都営バスの営業所(支所)である。池袋駅、新宿駅周辺から練馬区東部にかけての地域を担当している。正式名称は東京都交通局北自動車営業所練馬支所で、営業所記号はFを用いる。練馬車庫を発着する系統については、行先を判別し易くするためと、国際興業バス練馬営業所、西武バス練馬営業所の混同を防ぐために「練馬車庫(桜台)」の行先表示で運行される。新宿駅西口から山手線内の新宿区牛込、文京区関口・目白台地区へ向かい、目白駅前で山手線の外に出て練馬方面を目指す路線である。21系統として設定され、豊島園までの運転であった。1972年に白61系統となった。乗客は目白駅を境に入れ替わる傾向にある。新宿駅西口 - 目白駅前間は南北方向の交通が希薄な牛込地区、坂道の多い目白台地区などから両駅への貴重な交通手段であり、また目白駅前から下落合、中落合地区から南長崎二丁目にかけても池65系統と共々利用者が多いようである。また、1977年12月15日に橋68系統(後述)を短縮した白61乙系統が営業中は、白61甲系統として営業されており、方向幕にもはっきりと「甲」と表示が有り、区間便の練馬車庫 - 江戸川橋便も多く運転されていたが、こちらも運転区間こそ乙系統と同じであるが、こちらの方向幕もはっきりと甲の文字が表示されており当時は甲乙両系統共練馬車庫行(1977年12月15日をもって豊島園行きは廃止となった)となるので、[白61甲江古田二又経由練馬車庫]と表示されていた。※白61乙系統の方向幕には、[白61乙練馬区役所前経由練馬車庫]と表示されていた。※1977年12月15日までは、新宿駅西口から新宿駅東口、新宿追分経由で運転されていたと1972年12月1日現在の当時の路線図に記載されている。(プロムナード時には、三光町まで靖国通り経由),一旦新宿通りを四谷四丁目交差点(停留所名は「新宿御苑前」)まで行き、市ヶ谷富久町の停留所へ出て来ていた。廃止が予定されていた新宿営業所の草79系統が1979年11月23日に都営地下鉄新宿線の開通に伴う路線の整理で、廃止になる為に厚生年金会館(現在の新宿一丁目北)、花園町経由の靖国通り直進に変更された。南長崎二丁目 ← 江古田二又の一部が一方通行であることから、練馬車庫行きと練馬駅行きは落合南長崎駅・新江古田駅(目白通り)経由となり、新宿駅西口行きと離れて運行されるのも特徴である。練馬車庫 → 江戸川橋止まりの便は折返しの都合上、江戸川橋の1つ先・山吹町まで乗車できる様になっている。午後にはホテル椿山荘東京(21系統の設定時は関口三丁目) - 目白駅を運行する折返し便が運行し、ホテル椿山荘東京構内まで運行する。長年JR山手線と椿山荘・フォーシーズンズホテル(現:ホテル椿山荘東京)を結ぶメインのアクセス手段の役割を担ったが、2004年より池袋駅への無料シャトルバス(国際興業バスによる貸切運転)が運行されるようになり、状況は変わりつつある。出発は、折り返し場が、山手線の線路際にあるため目白駅前の停留所は、学習院大学の向かい側の川村学園の前から出発となる。新宿駅西口行も目白駅停留所の次は、目白駅前(川村学園前)停留所に停車する。練馬車庫前 - 目白駅便は、目白駅発着系統の出入庫運用を兼ねたもので、学05の出入庫便は日本女子大休校日が運休となる。朝設定の目白駅行は、白61折り返し系統として運転される。2013年4月1日より一部の便が練馬車庫から練馬駅まで延伸されているが、大半が練馬車庫止まりのままで、下りの桜台駅の停留所は設置されず本数は1時間に1 - 2本と少ない。上り新宿駅西口行での練馬駅と桜台駅の停留所は、新江62系統と同じものを使用し、下りの練馬車庫・練馬駅行は、池65系統池袋駅東口行きと(旧)新江62出庫便が使用していたものを使用している。その後、同年9月30日に新江62系統が廃止された為、現在、都営バスで唯一、練馬駅へ乗り入れる路線となった。池袋駅東口から明治通りを千登世橋まで南下した後、目白通り、新青梅街道を哲学堂公園・中野区江古田・練馬区豊玉中方面へ西進する路線である。新青梅街道沿いのやや鉄道利用が不便な地域をカバーし利用客は多いが、江古田二丁目付近では中野駅方面へ向かう関東バスや京王バスも走っている。戦後すぐに20系統として開業し、池袋 - 豊島区役所へ、練馬方面は桜台駅前から、千川通りを左折して、練馬駅前を経由をし、白61・橋68と共に豊島園まで乗り入れていた。1973年(昭和48年)に豊島区役所乗り入れを廃止、続いて第2次再建計画に伴う路線再編成で豊島園乗り入れを他の系統共々廃止。下りの終点を丸山一丁目と練馬車庫行とし、さらに1978年(昭和53年)の追加再編成で丸山一丁目 - 江古田二丁目間の新青梅街道直進部を廃止すると同時に池袋サンシャインシティへの乗入れを新設する。だが乗降客が定着しなかったこと、サンシャインシティ構内への乗入れに支払う賃料の観点から、1982年(昭和57年)の第3次再建計画に伴う路線再編成で廃止され、現在まで続くルートが完成した。長く練馬車庫と池袋の全区間運転を主流としてきたが、国立療養所中野病院(現・国立国際医療研究センター)の廃止などで客足が減り続けた為減便が続き、現在は江古田二丁目止まりが殆どである。大江戸線開業によるダイヤ見直しは行なわれているが、白61と隣接しているとはいえ練馬区南部・中野区北部と目白駅前を別ルートで結び、乗換えなしで池袋駅東口へ向うことが出来るため、かつては営業係数がワースト20に入る赤字路線であったものの需要は大きい。江古田一丁目付近には関東バスの丸山営業所があるが、営業所前のバス停に停車するのは関東バスと京王バス東の各系統(関東は「丸山営業所」、京王は「丸山車庫」)のみで、都営バスは停車しない。また、中63系統が運行されていた時は、池65系統として練馬車庫 - 江古田二丁目間を営業運行していた。現在では、上りは朝の出庫と昼頃に休憩を終わった乗務員の出庫、交代した乗務員の出庫が昼から14:00位迄で、下りは11:00頃から昼前位迄の乗務員の交代、休憩、バスへの給油の為の入庫と、夜の終業の為の入庫のみに減っている。以前有ったC代のリフト付きバスが当系統の専用として一部ダイヤが固定されて運行されていた時期が有ったが、その折国立療養所中野病院南口 - 豊玉中一丁目間に存在した江古田川の下徳田橋の重量制限に引っ掛かり運行不能なため、この車両のみ江古田二丁目 - 豊玉中二丁目を新青梅街道を江古田四丁目まで直進し、江古田四丁目交差点を左折。江古田川は中新井橋を渡るという京王の中91・92系統と同じルートを走行し、この区間内にある江古田三丁目、国立療養所中野病院南口(現・合同住宅前)、豊玉中一丁目の各停留所は通過扱いとなっていた。後年橋の補強が済むと、この車両も通常ルートを走行するようになった。旧系統番号は学バスを表す50番台の55系統として設定され、以前は椿山荘の目の前にある独協学園行きもあったが、営団地下鉄(現:東京メトロ)有楽町線の開通時に、日本女子大打ち切りになった(後述)。現在は、目白駅前(川村学園前)から日本女子大学構内まで運行される。関係者以外も乗車可能で、休校日は運休する。日本女子大前停留所は、白61系統などが通る目白通り上にも専用の停留所がある。また、小学校の児童の利用もあり、小学校は女子大の向かい側なので、児童は大学を出発し目白通りを下り向きになった所で下車する。これは、目白通りを渡らせるのが危険であると言う事で行われている。他の特色として、朝の日本女子大前発目白駅前行に限り、目白駅に向かう通勤などの利用者が多いので、白61折返系統の一部として、一般運行となる。55系統として設定され、1972年(昭和47年)に学バスの系統番号を与えられて学05系統となった。営団地下鉄有楽町線の開通に伴い、日本女子大学への輸送に一本化する形で日本女子大と独協学園の間が廃止になった。学校名と停留所名の独と獨で違っている。なお、同じ独協学園でも獨協大学は1964年(昭和39年)の創立当初から埼玉県草加市にキャンパスを置いており、この路線とは一切関係がない。現在は、白61系統に統合されている。王子駅から王40丙系統として宮城地区を循環運行する。王子駅までの出入庫は王78系統(王子駅 - 豊玉北)として行っていた。当初は北営業所の担当で王40乙系統を名乗っていたが、1988年(昭和63年)の練馬への移管とともに王40丙系統となり、同時に開設された豊島循環が王40乙系統を名乗るようになった。1992年(平成4年)4月1日付けで北営業所へ再移管された。練馬営業所→練馬支所で、唯一都心部へ直通していた路線であった。8系統として設定され、1972年に系統番号整理で、橋68系統となったが、長距離のために次第に乗用車が増えだすと交通渋滞などで定時運行が困難となり、交通局第2次再建計画に伴う路線再編成で槍玉に挙げられる。1977年(昭和52年)12月15日限りで江戸川橋と新橋駅の間を廃止、白61乙系統に変わる。これに伴い、当時の白61は「白61甲」となった。勿論こちらの方向幕にも、江戸川橋折り返しの区間便も「白61甲」と表示された。さらに追加の路線再編成により、白61甲系統に一本化して新宿駅行きを基本とすることにし、1979年(昭和54年)11月22日限りで江戸川橋打ち切り便は廃止された。「白61乙」系統の練馬車庫前行きの方向幕には、[白61乙練馬区役所前経由練馬車庫]と表示されていた。なお、橋68系統は練馬区役所より出入庫していた。その後、2013年(平成25年)に練馬車庫からの江戸川橋(山吹町)折り返しが再登場。白61乙系統が34年ぶりに事実上復活した(前述)。1959年(昭和34年)3月1日付けで132系統として新宿駅西口発着で運行を始め、当初は西武自動車(現・西武バス)と相互乗入れを行っていた。1972年(昭和47年)の系統番号再編成により宿62系統に変わる。翌1973年(昭和48年)6月10日限りで西武バスが撤退するが、路線改変は実施されず都営単独で継続される。目白五丁目停留所のある目白通りと山手通りとの交差点である南長崎一丁目交差点から山手通りに入り、現在の西武バス・宿20系統と同経路を走行していたが、新目白通り開通後は中落合四丁目経由に変更された。ダイヤは単に西武バスが抜け、その減少分を増便しなかったため混雑が増したが赤字額が高い路線であった。バスの運転時分は豊玉北六丁目交差点、西落合一丁目の交差点、中野坂上・成子坂下交差点の平日朝、新宿方面がほぼ必ず渋滞していたがダイヤは定時通りだった。西武バス宿20系統と共通定期券を発売し、新宿 - 中落合までどちらにも乗れたが、最初のころの新宿駅西口の乗り場は別々で、利用しづらかった。1985年に大泉学園駅 - 谷原小学校および練馬総合体育館 - 中村橋駅入口間が狭い旧道を走るため、中型車(日産ディーゼルP-RM80G)が投入されたため混雑に拍車をかけたこともあった。1996年の廃車後は再び大型車での運行に戻ったが、1997年(平成9年)12月19日の都営地下鉄12号線(現・大江戸線)新宿延伸開業により、地下鉄と重複する新宿駅西口 - 江原町二丁目間を廃止し、新江62系統として生まれ変わる。新江古田駅前が起点になったのは地下鉄乗り継ぎのためと、当時は練馬駅北口ターミナルが未完成(2003年4月1日に完成)のため、乗り入れることが出来なかったためである。新江古田駅前起点となった直後から、新江古田駅前で都営地下鉄12号線と新江62系統を乗り継いだ場合、バスと地下鉄の合計運賃が割引になる制度を実施してチケットを配布し、それが証拠としていたが、元々この地下鉄開通時には70歳以上の乗客が使用できる東京都シルバーパス使用者が多かったことと、このチケットを受け取る方法が分からない乗客が多かったこと、短縮前より割引をしても結局割高なこともあり浸透せず、1年で廃止された。また、大泉学園駅前・三原台・谷原・練馬区役所前付近から「新宿駅直通」という唯一の利点を失ったことで乗り換え無しという唯一の長所が無くなり利用客が激減して行き、ダイヤ改正毎に本数が減少していった。2005年の改正で、利用客の少なくなった新江古田駅前 - 練馬駅間の運行本数が約1/3にまで減回されていき、大泉学園駅前 - 練馬駅の折返便が多くなっていた。2009年4月1日にはとバス委託となり杉並に移管された後、2013年(平成25年)4月1日付で西武バスが同一ルートの新江線を創設したため事実上移譲の形で大幅減便となる。そして、同年9月30日限りで都営バスとしての運行を終了した。交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1979年(昭和54年)11月23日付で小滝橋営業所の橋63系統を分割し誕生した路線。国立病院医療センター構内(国立病院医療センター正面玄関そば)を起終点とし、状況によっては発車までバス車内で座って待つことが可能であったり、わざわざ大久保通り上の橋63系統大久保駅行のバス停まで徒歩で往来せずに済む、などのメリットがあった。しかし、分断で都心まで直通しなくなったこと、国電中野駅南口の京王バスと北口の関東バスの両方のターミナルに乗入れなかったこと、中野駅以北において京王帝都電鉄の練馬線や関東バスの練馬線・茂呂線といった併走系統と歩調を合わせたダイヤが組まれないなどといったデメリットが多く、乗客数は伸びなかった。それに加え、京王帝都の初台線、関東バスの野方線が中野駅から東中野二丁目ないしは大久保駅前まで重複していて、此方でもダイヤがうまく組まれておらず団子運転状態になってしまっていた。この結果、本系統は不採算と判断されて1988年(昭和63年)10月15日限りで廃止された。これにより、京王帝都電鉄は国鉄(現・JR)山手線内へ入り込む路線の運行がなくなった。1966年(昭和41年)に堀ノ内営業所(現・杉並支所)の単独所管で開設。志村営業所を経て杉並営業所に戻されていたところに、1988年(昭和63年)に練馬営業所が参入して共管となっていた。その後、はとバス委託に伴い2003年3月31日をもって杉並支所単独に戻され、同時に入出庫系統であった豊玉北発着が廃止された。王子駅 - 豊玉北便は1992年まで当時練馬担当だった王40丙系統の出入庫便も兼ねていた。指定車種:(民生産業→民生デイゼル→日産ディーゼル→UDトラックス→)指定メーカーなし終戦直後の民生産業の時代からUDを指定としてきたが、UDトラックスのバス部門撤退と交通局の車両調達が入札制に移行したことにより、2008年度を最後に事実上指定がない状態となっている。2016年現在は、UD、いすゞ自動車、日野自動車、三菱ふそうトラック・バスの国内4メーカーすべてから新造車の直接納車を受けている。音声合成:レゾナント・システムズ開設当初からUD車を投入し続けていたが、2009年にいすゞ・エルガを1台(F-T230号車)投入した後、新宿支所からエルガVPが転入。入れ替わりで日デZ代(1993年度)ツーステップ車が転出したほか、杉並支所からも1台(T196号車)が転入してきた。R代ではいすゞとの統合モデルの日野・ブルーリボンⅡ(F-R639 - 641号車)が、T代ではブルーリボンシティハイブリッド(F-T271 - 276号車)が配置された。2010年度には三菱ふそう・エアロスター(F-V373・374号車)が2台配置されたほか、臨海支所からも同型車(W470・471号車)が転入し、入れ替わりで日デK代中型ロング車(K628・629号車)が転出した。その後、2014・2015年度にはいすゞ・エルガ(F-Z643 - 645・A624 - 627号車)が配置されている。中型ロング車はH・K代の日産ディーゼル・JPが在籍していたが、H代車が除籍され、またK代車も臨海支所へと転出したため、配置がなくなった。練馬所属のUD車のうち富士重工業製はF-K501号車が1台だけ、それ以外はすべて西日本車体工業製となっている。
出典:wikipedia
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