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オリンパスOMシステム

オリンパスOMシステムとは、オリンパスが開発した35mmレンズ交換式銀塩一眼レフカメラ、およびそのシステム全体の総称である。レンズシャッターカメラ、オリンパス35シリーズ・オリンパス・ペンシリーズの大ヒットによってカメラメーカーとして確固たる地位を築いたオリンパスは、当時急速に拡大しつつあったライカ判一眼レフカメラ市場への参入を考えていた。当市場への参入としては後発メーカーとなるため、他のメーカーの商品にはない特色が必要であった。それまでのライカ判一眼レフカメラは全てボディーありきで、それにレンズ・モータードライブ・ファインダー・フォーカシングスクリーン・フラッシュ等のユニットを取りつける形態であった。これに対し設計者(今で言う“プロダクトマネージャ”であり、図面は書いていない。)の米谷美久は、「Mシステム」として、ボディーをそれだけで独立したユニット、すなわちスクリーン、ファインダーはおろか、フィルム収納部や巻き上げ機構すらない単なる暗箱とし、スクリーン、ファインダー、フィルム収納部、巻き上げ機構はそれぞれ独立したユニットとするシステムとすることを考案した。試作機を仮称「MDN」(マイタニ・ダークボックス・ノーマル)とし、巻き上げユニットにはレバー式、バネチャージ式、モータードライブ式等、ファインダーユニットにはプリズムを用いたアイレベル、二眼レフカメラのような上から覗く簡単な物、フィルムバックユニットも36枚撮りの他により多く撮れるユニット等があった(各ユニットと組み合わせの一例)。実のところ、一眼レフカメラ「M-1」は、このようなシステムカメラ(例えるならば大判カメラのような各ユニットを自由に組み合わせるシステムを35mmカメラで実現したもの)を考えるうちに、ラインナップの一種類で通常の一眼レフのボディに相当する全機能をオールインワンとしたモジュールを同じく「MDS」(〜シンプル)として、システムの寸法を確定するに当たって有効なモデルとなるよう設計を先行させたものである。但し、その一眼レフも他社の後追いになるようなものではなく、米谷がそれらの欠点として挙げた“ボディが大きい”“重い”“音が大きい”という問題を克服するべく機構部分からの抜本的な新開発が行われた。結局、MDNをはじめ当初計画されたMシステムはユニットの結合部分の強度確保に難があったことから商品化を断念し、MDSのみが「M-1」として発売されて以後OMシリーズとなって日の目を見ることとなった。さらにOMシステムは「宇宙からバクテリアまで」というメインテーマを掲げ、膨大なアクセサリー品を含む壮大なシステムカメラとして出発した。総数280余点に及ぶOMシステムは、大まかに次のグループに分けられた。このように、さまざまな撮影条件を主眼に置いたシステムを構成していた。開発時から発売当初、システムは「Mシステム」の名称が与えられ、初号機の型番も「M-1」とされた。この「"M"」の文字について、米谷は自身のイニシャルを元に決まったと述べている。が、実際は一眼レフの“1”を意味する“MONO”から来ている。フォトキナにて、ライカMシリーズを展開するエルンスト・ライツ社(現ライカ社)から困るとの旨コメントがあり、会社名のオリンパスの頭文字を付けてOMシステム、カメラボディーもOM-1とした。しかし、すでに製造されていた初期ロットの約5000台は表記がM-1のまま出荷され、中古市場でも少数が確認できる。出荷されたM-1の外装はほとんどがクロームボディであったが、黒塗装のM-1が20台程生産され、その一部はカメラ雑誌などで紹介されている。カメラのボディを部品の一つとして考え、他の豊富なアクセサリー品により巨大なシステムを構成するという理念は1971年に発売されたキヤノン F-1が代表的な例であるが、オリンパスにもすでにハーフ判一眼レフカメラのオリンパス・ペンFのシステムが存在した。このように当時の国内カメラメーカーは大なり小なりある程度のシステムを保有しており、OMシステムはこのような時代背景の下、さらに自社のペンFを凌駕する前提で開発された産物といえる。他社のシステムとの最大の相違点は、カメラボディすらシステムを構成する一要素としている点である。他社のシステムにおいてはカメラボディが主たる存在で、モータードライブやデータパック、ファインダースクリーンなどは各ボディごとの専用品が用意されていたが、OMシステムでは一部の例外(代表例:OM10にモータードライブが使用できない)を除くとシステム内のアクセサリーの互換性が最大限確保されていた。また、前述のように「宇宙からバクテリアまで」の理念に沿ってオリンパス自社製の内視鏡や顕微鏡、さらに各社天体望遠鏡に対応したOMマウントアダプターがそれぞれ用意された。このような大掛かりなシステムは開発に大変な予算と手間が掛かり、モデルチェンジも制約されるため長く維持するのは難しいが、カメラの可能性を極限まで追求した結果であり、また消費者にある種の夢を与えたのもまた事実であった。しかし1980年代半ばからのオートフォーカスカメラの台頭や高倍率ズームレンズの登場により一眼レフカメラのコンパクト化、つまり機能の統合化が行われてシステムカメラとしての意義は次第に薄らぎ、当然のごとくシステムは縮小されていった。また、OMシステムにおける初のボディ内モーター使用オートフォーカス機であるOM707が、その互換性の低さや操作性の悪さから市場に受け入れられなかったため、AFの後継機種は登場しなかった。このため、一眼レフカメラがMFからAFへ急速に移行している中、OMシステムはMFに限定されたシステムにとどまることになった。2003年、OMシステムは約30年に渡る生産及び販売を終了。実質上の後継機として、新規格のフォーサーズシステムを採用したデジタル一眼レフ・E-システムシリーズが同年に発売された。2012年には、OMシステムの名称・デザインを踏襲したマイクロフォーサーズ規格のミラーレス一眼カメラ、OM-D E-M5が発表されたが、当OMシリーズとの互換性はレンズマウントアダプターのみが保っている。OM-Dシリーズはその後、フォーサーズシステムの従来型一眼レフをも統合し、フラッグシップ機OM-D E-M1、普及機OM-D E-M10も発売しており、大衆向けであるPENシリーズに対し、OM-Dシリーズはカメラマンなど、一眼レフユーザーをターゲットにしている。専用のオートフォーカスレンズにはピントリングがなく、マニュアルフォーカス時はボディ側のボタンやダイヤルでピントを合わせなければならない(パワーフォーカス)。そのためAFレンズでのMF操作は劣悪を極める。また、オートフォーカスレンズには脱着ボタンがなく一度マニュアルフォーカスボディに装着すると外せなくなり、パワーフォーカス操作も不可能なためマニュアルフォーカスボディには使用できない。これらの欠点から、OMシステムのオートフォーカス機は市場に受け入れられなかった。当時マニュアルフォーカスからオートフォーカスに市場が急速に移行している中でオートフォーカス化への対応失敗は致命的であり、オリンパスはレンズ交換式一眼レフカメラのメインストリームから事実上外れることになってしまった。オリンパスOM-2が発売されるより前の自動露出一眼レフカメラには、記憶式のTTL測光が使われていた。この装置はあらかじめ被写体の明るさを測りその露出値を記憶、シャッターを押すと同時にそのままの露出で撮影するものであった。しかしこの方式は、モータードライブ等を使用した連写の場合「最初の1コマ目」の露出を記憶してその後も撮影を続けるため「日なた⇔日陰」といった光線状態の変化には対応できず、さらに「撮影前に光量を予測する」事自体が不可能なフラッシュバルブやストロボを使用した撮影の際には当然適用外となる。よってストロボ装置では外光式オートといってフラッシュ側に付いた受光部より光量を調節していた。これは予めこちら側もフィルム感度をセットする必要性や撮影距離によって使える絞りが限られる、レンズ交換による測光条件の違いには対応できないなどの制約が多かった。オリンパスOM-2で採用されたTTLダイレクト測光は記憶装置を用いず直接フィルム面からの反射光、また高速シャッター時はシャッター幕に描かれた白黒の不規則なドットで標準反射率を構成する「ランダム・パターン」と呼ばれる模様を、ボディ下部に置いた受光器を用いて測光するので連写中も全てのコマで露出制御が行え、フラッシュ光も絞り値や撮影距離に制約されず実際に使用しているレンズを通してボディ側での制御が可能となった。またミラー上昇時(=シャッター作動時)はファインダーからの逆入する光は塞がれるので、セルフタイマー撮影時などこの光にも影響を受けないというメリットもある。これら数々の特長は当時としては画期的な出来事であり、のちに各社カメラがこの方式を導入するに至った。この測光方式の欠点として、フィルム面の反射率の、メーカーやカラー・白黒などの方式による違いにより、測定値に差異が生じ露出精度に問題が出る。しかし、設計陣が世界からフィルムを買い集め、実測した結果0.1EVの範囲と確認され採用されており、通常の撮影では概ね安定した露出精度を出す測光システムとなっている。但し、オリンパスOM-2Nまでのダイレクト測光採用カメラでは“固有の欠点”として、AE撮影時においてシャッターを切る直前までのファインダーに表示されるシャッター速度指針の測光回路はペンタプリズムに設けられたセンサーを使用し、実際の露光時には上述の通り「ダイレクト測光」による露出制御が行われていたため、ファインダー表示が異なる回路による「近似値」でしかなかったが、オリンパスOM-4以降はサブミラーを組み合わせてセンサーの統一がなされるよう改良された。小型軽量のカメラボディにはそれに合わせた専用レンズが必要となり、設計にコンピュータを駆使して小型軽量化と同時に高画質レンズとしてのさまざまな追求がなされた。フィルター用のアタッチメント径は大口径望遠、超望遠レンズ、魚眼レンズなどを除いて基本的にφ49mmネジ込みとφ55mmネジ込みで統一されている。これも米谷のシステムとしてのこだわりである。ズイコーレンズの特徴としては、一般的には比較的安価な価格設定でシャープな画質という点が挙げられる。しかし初期に8mm魚眼レンズから1000mm超望遠レンズを揃え、共に世界初となる「21mmF2」という大口径超広角レンズや「24mmシフトレンズ」を開発するなど、意欲的なラインナップが行なわれた。また、マクロ撮影用のレンズを充実させたのも特徴であり、拡大撮影用の20mm、38mmマクロレンズ、またこれも世界的に非常に珍しい等倍率付近撮影専用の80mmマクロレンズをラインナップした。また他社と異なり絞りプレビュー機構やレンズ脱着ボタンをカメラボディ側ではなくレンズ側に設けたのも特徴的であり、特にマニュアルフォーカスの全レンズに絞りプレビューを設けたことで、結果としてOMシステムの全ボディで絞りプレビューが可能になっている。ただし設計変更されたオートフォーカス/パワーフォーカス用のレンズでは、レンズ側の絞りプレビューボタンが廃止され、レンズ脱着ボタンもボディ側に設けている。ズイコーの名称は、オリンパス黎明期の同社のレンズ研究部門である瑞穂光学研究所の省略形であり、また吉兆の光という意味を持つ「瑞光」という言葉に由来する。ズイコーレンズの小ささに関する自負については、発売当時ズイコー200mmレンズと他社135mmレンズがほぼ同様の大きさであることをアピールするCMを流したり、開発者の米谷本人が外国人記者にズイコー100mmレンズを見せ「何mmにみえますか?」と質問したところ「50mm」と返事が返ってきたことをエピソードとして公表している所からも覗える。

出典:wikipedia

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