アドマイヤコジーン(英:、中:)とは日本の元競走馬(持込馬)である。1998年にデビュー。デビュー2戦目を大差で勝ち上がり、東京スポーツ杯3歳ステークス、朝日杯3歳ステークスと3連勝でGIを制した。これらの活躍により、この年のJRA賞最優秀3歳牡馬(旧称。現在のJRA賞最優秀2歳牡馬)に選ばれた。しかし、翌年の1月に右トモを骨折し(手術でボルトが埋め込まれる)、長期休養を余儀なくされると、復帰を前に今度は左トモを骨折、休養のため1年7ヵ月もの間レースから遠ざかることになった。2000年、函館のUHB杯から始動するも4着に敗れ、それからも函館記念、札幌記念、富士ステークス、京阪杯、シリウスステークスと立て続けに重賞に出走するが、結局この年は1勝も挙げることができなかった。2001年も阪急杯を皮切りに、短距離競走に出走し続けるが福島民報杯(オープン競走)の2着が最高で、この年も勝ち星は無かった。2002年、主戦騎手が上村洋行から後藤浩輝に替わった。すると、この年の初戦となった東京新聞杯で10番人気ながら久々の勝利を挙げ、次走の阪急杯も勝利して重賞を連勝した。久々のGIレースとなった高松宮記念は2番人気に推されたが、ショウナンカンプから3馬身半差の2着、しかし続く安田記念では大外枠からのスタートながら直線は早めに抜け出し、追い込んできたダンツフレームを首差抑えて優勝、朝日杯3歳ステークス以来約3年半ぶりのGI勝利を挙げた。騎乗した後藤浩輝にとってはデビュー11年目にして初の中央GI勝利であり、レース後は人目も憚らず号泣した。安田記念後の夏は全休し、秋はスプリンターズステークスにぶっつけで出走し勝ち馬ビリーヴから半馬身差の2着、この時点で2002年は1度も連対をはずしていなかった。しかし1番人気に推されたマイルチャンピオンシップではトウカイポイントの7着に敗れ、その後は初の海外挑戦となる香港マイルに出走、鞍上には武豊を迎えるが4着に敗退し、この競走を最後に引退した。この年のJRA賞最優秀短距離馬に選ばれた。現役引退後は種牡馬となり、2003年から2010年まで北海道安平町の社台スタリオンステーションで繋養される。2010年の種付けシーズン終了後に新ひだか町のレックススタッドに移動し、2011年からこの地で供用される。2006年の新種牡馬サイアーランキング1位。2007年には初年度産駒のアストンマーチャンがスプリンターズステークスを制し、産駒のGI初勝利をあげた。産駒の傾向としては芝向きのスピードタイプで、自身と同様に短距離戦で活躍するスプリンターが多い。2015年の種付けシーズン途中、生殖能力の低下により種牡馬を引退することが発表された。スノードラゴンの活躍で再注目され種付け依頼が集まったが、体調が戻らず断念したと報道されている。引退後は日高町のクラウン日高牧場で功労馬として繋養される。祖母ミセスマカディーは1977年の1000ギニー馬。本邦輸入種牡馬トライバルチーフがイギリス供用時代に残した代表産駒である。産駒に本邦輸入種牡馬のアーティカス、チャンピオンステークス2着のシティダンサーがいる。晩年の1990年にダンスオブライフの仔を抱えた状態で大樹ファームに輸入され、持込馬のミセスタイキと本馬の母アドマイヤマカディの二頭の仔を残した。母は橋田厩舎に所属していたが不出走のまま繁殖入りし、すぐさまアメリカに渡りCozzeneを配合して大樹ファームに戻り、本馬を産んだ。本馬は持込馬だったが、肝心のクラシックシーズンは故障で長期休養していた上、短距離向きの馬だったため、持込馬としての特権を活かす機会は競走生活ではほとんどなかった。
出典:wikipedia
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