LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

POLYSICS

POLYSICS(ポリシックス)は、日本のニュー・ウェイヴ・ロック・バンド。1997年に結成。キューンレコードに所属。POLYSICSはインディーズ時代、メンバーをそれぞれPOLY-1、POLY-2、POLY-3、POLY-4というコードネームで呼んでいた。これはアメリカのニュー・ウェイヴ・バンドのディーヴォのBOB1号、BOB2号(メンバーにボブが二人いたため)を発展させたものである。POLYSICSに最も大きな影響を与えているのはディーヴォであり、バンドリーダーのハヤシがたびたび述べている通り、バンド活動の初期からPOLYSICSはディーヴォの精神の継承者として音楽を作ってきた。彼らのディーヴォへのリスペクトはPOLYSICSの楽曲や映像作品の随所に見ることができる。メンバー揃いの目隠し線を模したバイザーとつなぎも彼らの影響であり、結成当初はオレンジのつなぎに、丸いPのバッジと、四角い黒いバイザーを着用していた。しかし、これらは年月を増すごとに少しずつデザインが変化し、一時期はジャケット姿やボーイスカウトを模した衣装等、異なる時期もあった。露出時は殆どつなぎの為、フェス等でも普段着で移動するときは電車らしい。(ハヤシ曰く「POLYSICSとBEAT CRUSADERSは意外と平気」)2003年8月のサマーソニックでは、ステージは違いながらもディーヴォと競演し、その際にディーヴォから「君たちはディーヴォの正統な後継者だ」とお墨付きをもらった、と後にハヤシが語っている。テクノ・ポップやニュー・ウェイヴを咀嚼し、独自のロックテイストをくわえたサウンドが特徴。結成当初は詞は全て英語、もしくは宇宙語(、解読不能な言葉)だったが、シングル『NEW WAVE JACKET』以降日本語でも歌うようになった。ライブでは、フロントマンであるハヤシがエネルギッシュなパフォーマンスを見せる一方で、カヨやヤノは無表情で楽器を演奏し、不思議な空間を作り出すという独特の演出で人気を博している。ただし、ヤノに関しては近年の楽曲ではシャウトを担当するなど、フロントマンに負けず劣らずのパフォーマンスを披露している。アメリカやイギリスなど世界を股にかけたライブ活動も精力的に行っており、世界中で熱狂的なファンを得ている。POLYSICSにとってはディーヴォが最大の影響を受けた存在であると言えるが、それ以外の多くのバンドやミュージシャンからも様々な影響を受けていることが伺える。例を挙げると、P-MODEL、クラフトワーク、筋肉少女帯、XTC、トーキング・ヘッズ、イエロー・マジック・オーケストラ、ノイ!、一風堂、有頂天、ユニコーン、LÄ-PPISCH、電気グルーヴ、ブライアン・イーノ、ニルヴァーナ、デヴィッド・ボウイ、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、イエスといった面々である。POLYSICSはまた プラスチックス、ヒカシュー、スティクス、ザ・ナック、シン・リジィ、スージー・クアトロ、ディーヴォ、ソフト・セル、フランク・シナトラ、ラモーンズ、P-MODEL、スピッツ、ニューロティカ、レピッシュといったミュージシャンの楽曲のカヴァーも行っている。バンド名は、リーダーのハヤシが生まれて初めて購入したシンセサイザー、コルグの「polysix」に由来する。この「polysix」は『Now is the time!』までは楽曲やライブで使用されていた。バンドのフロントマンであるハヤシは中学、高校在学中に宅録や複数のバンドでの音楽活動を行っていた。当初は様々なジャンルのカバーを主としていたが、高校時代に結成したバンド「コアラ盛り合わせ」ではオリジナル曲を作成した。同じ頃、学校の同級生4人でバンド「リズムミンチ」を結成し、活動していたものの、ハヤシ以外のメンバーが受験勉強に専念し、またヴォーカルの脱退などもあり、このバンドは活動停止した。(ハヤシ曰く、凍結したとのこと。)その様な中、ハヤシが高校3年生の1996年、DEVOへの憧れやP-MODELの日比谷野外音楽堂でのライブに触発され、ハヤシはPOLYSICSというバンドの結成を決意。そして高校卒業間近の、1997年3月に高校の同級生同士であるハヤシ、サコ、カワベで結成。3月4日に新宿JAMで初ライブを行う。結成当初は、ベース、ドラムは在籍しておらず、ギター、ボーカルとボコーダー、シンセサイザーに打ち込みのバックトラックを使用したテクノポップバンドであった。以後、3月4日をPOLYSICSの結成日として、○周年記念イベント等を開催している。同春にハヤシ、サコ、カワベの3名は高校を卒業、進学する。その後、カワベは大学でほかにやりたいことが見つかり、最初の新宿JAMでのライブで脱退。またハヤシが渋谷のクラブでカネコと知り合い加入してハヤシ、サコ、カネコの3人組となったが、11月に脱退。カネコの穴を埋める形でハヤシと高校の軽音部で一緒だったカヨが1998年3月に加入。カヨ加入から半年後となる1998年6月にスガイが加入。この頃に「POLY-X」というコードネーム、バイザーとつなぎを導入し、初期のPOLYSICSのスタイルが完成した。これらのコードネーム、バイザー、ツナギはまさにDEVOを表す記号の一つでもあり、それを楽曲面だけでなく、バンドのビジュアル的側面としても取り入れた。同年9月に、日本のロックシーンで盛り上がりの兆しを見せていた新世代ニュー・ウェイヴのバンド有志によるオムニバスアルバム『TOKYO NEWWAVE OF NEWWAVE '98』に参加し、注目を集めるようになった。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品となった。この頃は主にPOLY-2(サコ)の食パン投げなどのキワモノ的パフォーマンスをするバンドとして知られていた。当初は袋に入った煎餅を投げていたが、「当たると痛い」という客からの苦情が殺到し、食パンに変えた。1999年にUKプロジェクトが運営するインディーズレーベルDECKREC RECORDSと契約。同年2月にデビュー・アルバム『1stP』をリリースした。またこの年の3月には初のワンマンライブを開催した。『1stP』が発売された頃から、ライブでの動員も急激に増えていき、4月にはラジオのレギュラー番組を担当、夏にはフジ・ロック・フェスティバルへ出演するなど、活動と人気が着実に広がっていった。ただ、5月にはPOLY-2(サコ)が脱退し、それを機に「POLY-X」というコードネームを廃止するなど変化もみられた。当時、POLYSICSは人気と知名度が上がってきていたものの、所謂「キワモノ系バンド」「おちゃらけたニューウェーブバンド」としての評価を受けることも多かった。そのような状況の中、ハヤシはポップさだけでなく、きちんとした演奏力が今後のPOLYSICSには重要だと考えていた。当時のサコは演奏力がハヤシの期待するレベルに達しておらず、それが原因の一つとなり、サコに対しハヤシが脱退を促した。1999年の10月には2ndアルバム『A・D・S・R・M!!』をリリースした。この頃から、サポート・メンバーとして元54NUDE HONEYSのフミがベースで参加するようになった。同年、初の全国ツアーを敢行した。ちなみに『A・D・S・R・M!!』までの楽曲には歌詞らしい歌詞が無い。2000年3月には、初の日本国外でのライブとしてSXSW2000への出演、およびアメリカツアーを敢行。このアメリカツアー中に、ハヤシはロスアンゼルスにあるDEVOのスタジオを訪れた。そこで、ハヤシはDEVOメンバーと直接会話を交わし、DEVOにPOLYSICSのCDを渡す。2000年4月にキューンレコードと契約し、シングル『XCT』『each life each end』をリリースした。同年9月にはメジャー・1stアルバム『NEU』をリリースした。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品と評価された。その翌年2001年4月に3rdシングル『NEW WAVE JACKET』をリリース。この頃から、歌詞に日本語が用いられるようになっていった。また同年6月にリリースされたアルバム『ENO』では一転シンセサウンドをより強く意識した音作りにシフトした。このアルバムからフミが正式メンバーとして加入した。同年、アメリカと韓国でコンピレーションアルバム『Hey! Bob! My Friend』がリリースされたが、セールス的には振るわなかった。『Hey! Bob!〜』はアメリカではASIAN MAN RECORDS、韓国ではPONYCANYON KOREAと、キューンレコードの属するソニーミュージックとは別のレーベルよりリリースされた。同時期には全国ツアーを敢行。また、8月には幾つかのロックフェスティバルへ出演し、その中でROCK IN JAPAN FESTIVALへ初出場した。ハヤシは単独でDJハヤシヒロユキとしても、同イベントへ初めて参加している。この年にはPOLYSICSなりの「クラブイベントをやろう」ということで”CLUB EPOCH!"を初開催した。この頃から、ハヤシは「トイス」という掛け声を使用したり、カラオケスタイルでのDJなどを始めていた。2002年のアルバム『FOR YOUNG ELECTRIC POP』ではポップなサウンドへと移行し、初期の作品に見られたパンキッシュなエネルギーが抑制された反面、楽曲の構成やスタイルが大幅に洗練された作品となった。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品となった。しかしながら、この時期のPOLYSICSは、ライブへの集客や作品の売り上げの落ち込みといった商業的な面で伸び悩んでいた。そのこともあり、この『FOR YOUNG〜』のリードトラックの選定やライブでのスタイルなどについては、スタッフなどから意見が多く入った。この頃を振り返り、ハヤシは「(FOR YOUNG ELECTRIC POPについて)思いがあんまり伝わらなくて、セールスもどんどん落ちてきましたね」と語っている。2003年5月にミニアルバム『カジャカジャグー』をリリース。このアルバムのレコーディングを最後にドラムのスガイが脱退した。その後、サポート・メンバーとして、SNAIL RAMPのイシマルがドラムで参加するようになり、イシマル参加の下、10月にアルバム『National P』がリリースされた。『カジャカジャグー』及び『National P』を制作した時期は、前アルバム『FOR YOUNG〜』での経験やAC/DC、キング・クリムゾン等のロックミュージックの存在を再認識したことから「ゼロ%から2000%ぐらいの振り切ったものを作んなきゃ」とハヤシ自身が感じていた時期であった。そのアルバムの制作活動の中で、『カジャカジャグー』を制作していた当時にスガイとハヤシの求める音楽性の違いが顕著となった。スガイは、よりメッセージ性のある歌詞やポップで歌メロの音楽を作りたかったが、ハヤシはそのような音楽を求めていなかった。この方向性の違いを理由として、4月から敢行したツアー「CLUB エポック!」の大阪公演を最後に、スガイはPOLYSICSを脱退した。この様な状況の中、制作されたこれら二作品は、前作となるアルバム『FOR YOUNG〜』に比べ、「初期衝動の激しさを取り戻した」などと評される作品となり、さらにハヤシ自身も手ごたえを感じられる作品となった。しかしながら、当時の結果としてこの二作品の売り上げは伸び悩み、さらにライブの集客も減少してきていた。上記のように、日本国内では商業的にある種の伸び悩みを見せていた。しかし、2003年にアメリカでリリースされたアルバム『NEU』が好セールスを記録するなど、国外において一定の評価を受けるようになった。これを受けてPOLYSICSは全米ツアーを敢行。この模様は2004年2月にDVD『PippikkippippiP In USA』としてリリースされている。以前にも海外でのライブ経験はあったものの、この頃から定期的に海外ツアーを行うなど、日本国外での活動も本格化させてきた。また、2003年8月にはSUMMER SONICへ初出演出演した。この年のSUMMER SONICには、POLYSICSに多大な影響を与えたDEVOも参加していた。彼らとステージを共にしたわけではないが、DEVOと同一イベントに登場、共演した初の機会となった。2004年5月には初のベストアルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』をリリースした。このベストアルバムでは過去の楽曲の再レコーディングが行われている。また、このアルバムは同年7月にイギリスで、翌年の2005年3月にアメリカでリリースされた。本アルバムのイギリスでのリリースは初のヨーロッパでのリリースとなった。アメリカでのリリースに合わせて、同年9月から全米ツアーも敢行されている。これらの日本でこのベストアルバムの発売された5月より6月にかけて、全アルバム楽曲を演奏するライブツアーを東京、大阪で敢行。東京で7日間連続、大阪で2日連続のライブであり、ツアー名は"7DAYS TO DIE!!!! 〜ALL OF POLYSICS!!!! 〜そして伝説へ...〜”と“2DAYS TO DIE!!!〜ALL OF POLYSICS!!!! OSAKA編 変則2DAYS!!!!”であった。この東京での7DAYS最終日にヤノが新メンバーとして加入した。本ツアー終了後に、バンド初のヨーロッパライブツアーをイギリスを中心として敢行した。また、帰国後の8月にはROCK IN JAPAN FESTIVALなど夏フェスへの出演、及び全国ツアーを敢行。そして、9月には再び国外でのライブツアーとして、アメリカでのライブツアーを敢行した。この年、POLYSICSは4カ国で94本のライブを行った。これらの活動と同時期2004年7月にはカヨによるソロ活動として、アルバム『三つ編みヒロイン』がリリースされた。そのため、POLYSICSの活動とは別に、夏頃には幾つかのメディアへのカヨ一人での露出が多く行われていた。2005年4月にシングル『Baby BIAS』をリリースした。この様なシングルCDによる楽曲の発表は2001年にリリースされた『NEW WAVE JACKET』以来、4年ぶりのことであった。また、4月から4か月後の8月にシングル『シーラカンス イズ アンドロイド』をリリースした。この時期から、POLYSICSはシングルCDという形で楽曲を発表することが再び増えた。さらに、10月にはアルバム『Now is the time!』のリリースを行った。2005年に『Baby BIAS』や『シーラカンス〜』などのシングルが発売された頃から、各種ライブの動員数も増えていき、商業的な面での伸びが現れてきていた。加えて、『Now is the time!』ではCDセールスの面でも、前アルバムよりも売上を伸ばしており、その楽曲やライブ、言動なども幅広い人に受け入れられる様になってきていた。アルバム発売に合わせイギリスでのツアーを皮切りに、ライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2005!!!! 〜Now is the time!!!!!〜”を敢行した。国内では、帰国後11月20日の千葉LOOKを幕開けとして全国でライブを開催し、翌年2006年1月のLIQUIDROOMでツアーファイナルをむかえた。また、2005年にはスペインで開催されたPRIMAVELA SOUND FESTIVAにも出演している。2005年に、POLYSICSは6カ国で96本のライブを行った。また、2006年2月にアメリカにおいて、4月にはイギリスにおいて、前年日本で発表された『Now is the time!』をリリースした。これに伴い、3月にアメリカで、4月にはイギリスにおいてライブツアーを敢行した。このイギリスでのツアーでは、カイザー・チーフスのUKアリーナツアーにフロントアクトとして出演。この出演は以前からPOLYSICSのことを気に入っていたカイザー・チーフスからの要望により実現した。その後、5月にはSHIBUYA-AXで凱旋公演ライブを終えた。2006年6月にシングル『Electric Surfin' Go Go』、同年10月にシングル『You-You-You』、翌年2007年1月にはシングル『Catch On Everywhere』をリリースした。そして、2007年2月に、アルバム『KARATE HOUSE』を発表。本アルバムには、先行してリリースされた3枚のシングルから4曲が収録された。また、本アルバムに向けた楽曲制作ではこれまでの制作活動との変化がみられた。これまではハヤシが中心となり、楽曲を生み出すスタイルが多かった。しかし、本アルバムに向けた楽曲制作活動ではメンバー全員でセッションをしながら曲を生み出していくということを行った。結果、KARATE HOUSEはハヤシが中心となって生み出した楽曲も幾つか含まれるものの、メンバー全員によるセッションの中で生み出された楽曲が主となるアルバムになる。そのKARATE HOUSEリリースの直後、3月4日には結成10周年を迎え、SHIBUYA-AXで記念ライブを行う。同年4月からは、バンド史上最長期間となるライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2007!!!!〜KARATE HOUSE!!!!”を敢行し、ツアーファイナルを6月2日に日比谷野外音楽堂で迎える。その後、6月からイギリス・フランスツアーを敢行した。その中で、6月にイギリスの大型フェスティバルO2 WIRELESS FESTIVAL 2007のメインステージに出演。夏には、複数のロックフェスティバル等のライブ・イベントに出演した。それらへの出演の際に、通常のツナギからマリンルックに衣装を変更した。また、この年の6月にはSNSサイトMySpaceの傘下にあるMySpace Recordsと北米でのライセンス契約を結んだ。同契約は、同年の1月31日にロスアンゼルスのライヴ・ハウスで行なわれたPOLYSICSのライヴに訪れたMySpace社長のトム・アンダーソン(Tom Anderson)が、彼らに対し強い感銘を受けたことがきっかけとなっている。これを受けて、9月には国内でMySpace主催による“第3回SECRET SHOWS JAPAN”への出演、10月にはPOLYSICSにとって2枚目となる海外でのベスト盤『POLYSICS OR DIE!!!! -VISTA-』の発売が行われた。このベスト盤の選曲は先述のトムが行った。その後、10月からは、同レーベル主催の米国ツアー“MySpace Music Tour”にHellogoodbye、Say Anythingと共に、MySpace Records Artistの一員として参加した。このツアー中にはDEVOのメンバーであるジェラルド・V・キャセール(Gerald V Casale)、元メンバーのアラン・マイヤース(Alan Myers)がPOLYSICSのライブを観覧しにきた。アルバム『KARATE HOUSE』の発表直後から、これらのライブ活動等と並行して、次のアルバムに向けた楽曲の制作活動を進めていた。2007年11月にシングル『Rocket』をリリースした。表題曲は、同年夏に行われたライブイベントなどで披露されていた。また、同楽曲は同年10月から12月、1月にかけ、フジテレビ系列で放映されたアニメ版「もやしもん」のエンディングテーマとなっている。この年の12月末にはCOUNTDOWN JAPAN EAST/WESTに出演。この年の幕張で開催されたEASTへの出演は、最大規模のステージであるEARTH STAGEへの初出演となった。年明け後の2008年3月にシングル『Pretty Good』をリリース。そして、同年4月にアルバム『We ate the machine』を日本においてリリースした。本アルバムには、先行してリリースされた2枚のシングルの表題曲が収録されている。このアルバムがリリースされる約一か月前の3月からライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出せ!!春のウキウキ・ジャパンツアー!!!!〜”を敢行。また、アルバムを発表した4月からはライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出ろ!!怒濤のワキワキ・ジャパンツアー!!!!〜”を敢行した。これらの一連のライブツアーは、6月29日にSTUDIO COASTにおいて開催された“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出た!!キバキバ新木場・ジャパンツアーファイナル!!!!〜”をもってツアーファイナルを迎えた。このツアーファイナルの模様は10月29日にライブ・アルバム「We ate the show!!」としてリリースされた。また、夏には複数のロックフェスティバルに参加。その中で8月のSUMMER SONICには、DEVOと共に出演を果たす。この競演は2003年の同イベント以来である。2003年の際には、二つのバンドは異なるステージでの出演であったが、この年は同ステージでの出演となった。また、この競演の数日後、SHIBUYA-AXにおいてDEVOとPOLYSICSによるツーマンライブが開催された。因みに、このツーマンライブはSUMMER SONICに関連した企画の一つである。8月、9月にはアルバム『We ate the machine』を欧米各国においてリリースした。ただし、欧米向けにリリースされた本アルバムでは、日本向けの『We ate 〜』と異なり、収録楽曲のうち「Moog is Love」と「Pretty Good」は歌詞が英語となっている。9月には、ハヤシがタモリ倶楽部に出演。また、9月から11月にかけてヨーロッパ、アメリカにおいてライブツアーが敢行された。同年11月から12月にかけて、SPARTA LOCALSやサンボマスターなどといったバンドとの対バンツアー“ULTRA FIGHT OR DIE!!!!”を開催した。対バンツアー終了後の12月からは楽曲の製作活動に入った。2000年のメジャーデビューから10周年目であった。10周年目に入った2009年3月に両A面シングル『Shout Aloud!/Beat Flash』をリリースした。このシングルのリリースに伴い、購入者限定ライブを渋谷CLUB QUATTROで4月に開催。また、6月にはシングル『Young OH! OH!』 をリリースした。そして、これらのシングル曲を含むアルバム『Absolute POLYSICS』を9月に日本においてリリースした。『Absolute POLYSICS』発売前日の9月15日に翌年2010年の3月に初の武道館ワンマン公演を行うことを発表した。これらの活動と平行して、ツアーや10年ぶりのFUJI ROCK FESTIVALを含む各種音楽フェスへの参加など、楽曲の発表に合わせ、ライブ活動も精力的に行っていた。しかし、この年の12月に「武道館ワンマン公演をもって、カヨがバンドを『卒業』すること」が発表された。カヨによると、2006年頃から「POLYSICSのメンバーでない、一人の女性としての自分に会ってみたい」という気持ちが日に日に募っていったという。また同時にPOLYSICSも武道館公演後は「充電期間」としてしばらくの間活動を休止することが発表された。12月のこれらの発表後、年明け2010年1月には自身2枚目となるベストアルバム『BESTOISU!!!!』をリリース。このアルバムの収録曲は、ヤノ加入後の音源からセレクトされており、本アルバムリリース時の4名のメンバーで発表する最後の作品となった。2010年の3月日本武道館にてワンマンライブ『BUDOKAN OR DIE!!!!』を開催。この日演奏された楽曲は全部で42曲に及び、武道館ライブを行ったバンドの中では最多の曲数となった。このライブをもってカヨが卒業、バンドは活動休止に入った。ライブの模様は7月7日にDVD『BUDOKAN OR DIE!!!! 2010.3.14』として発売された。充電期間は2010年6月28日にPOLYSICSの公式ブログにて終了宣言が出され、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010から3人での活動を再開した。活動再開後は主に灰色のツナギと銀色のバイザーを身につけていた。2010年10月から11月にかけて3人体制としては初となる全国ツアー"We are Back!! POLYSICS!!!"を開催。この年の12月にミニアルバム『eee-P!!!』をリリースした。そして、翌年2011年3月にはアルバム『Oh!No!It's Heavy Polysick!!!』をリリースした。このアルバムの発売に先駆けて、POLYSICS結成14周年となる3月4日にSHIBUYA-AXにて単独ライブ『コニチワ! New POLYSICS!!! 〜マッハ AX ギュンギュンギュン!!!〜』を開催。このライブではPOLYSICS初となるUstreamによるライブ生中継が実施された。この中継中、フミは自身のTwitterアカウントに寄せられるコメントを取り上げる場面などもあった。この頃は、日本国内においてTwitterやUstreamが一般に認知されてきた時期ということもあり、Twitter上でメンバーやPOLYSICS公式の発言が公開されたり、Ustreamでの番組放送の実施などPOLYSICSの活動の場としてこれらのサービスが利用するケースも増えてきた。3人体制移行後のライブでは、演奏面やセットリストの面でカヨを含めた4人体制時から変化が生まれた。例えば、カヨが担当していたシンセサイザーやボーカルをハヤシ・フミが担当したり、ライブ時の楽曲アレンジもそれに合わせた形になっていた。また、"ピーチパイオンザビーチ"や"New Wave Jacket"などカヨ脱退前には、ライブにおける定番曲であった一部楽曲もライブで演奏される回数が減ってきた。加えて、4人体制時と比較するとハヤシ以外の2人が前面に出るシーンも多く見られるようになってきた。それまではカヨと同じくライブ中は無機質なロボットキャラを演じることが多かったヤノも、ライブで積極的なMCや前面に出たソロ場面が増えきていた。これは楽曲制作のスタンスでの変化にもあらわれ、制作初期から3人で臨むことが増加した。ハヤシはこの頃について「3人体制になった最初の時に、1人1人のパーソナルな部分をもっと出していきたいって言ったし。俺がリーダーで、フミ、ヤノといるんだけど、3人の顔がぎゅっと前にでるようなサウンドにしたいし、バンドにしたいんだよね」と2012年頃に振り返っている。2012年は活動15周年を迎えたり、通算1000本目のライブを開催したりと幾つかの節目となる点があった。この節目にあわせ、結成15周年を記念するアルバムとして『15th P』を2月29日にリリース。また、3月3日には通算1000本目となるワンマンライブMEMORIAL LIVE OR DIE!!! 〜祝!!! 1000本!!! 『おめでTOISU!』と言ってくれ!!!〜」をSHIBUYA-AXにて開催。この翌日の3月4日には15周年の最初かつ1001本目のライブとして、同会場にてワンマンライブ「MEMORIAL LIVE OR DIE!!! 〜祝!!! 15周年!!! 『ありがTOISU!』と言ってやる!!!〜」を開催した。1000本目のライブに向けては、2011年の秋頃から「995本目」、「996本目」、「997本目」…と各ライブタイトルにライブ回数を含めるなど、カウントダウンが行われていた。2012年8月にはフミがリードボーカルを務める『Lucky Star』、11月には『Everybody Say No』とシングルを2枚リリース。そして、12月にはこれらの表題曲を含むアルバム『Weeeeeeeeee!!!』をリリースした。2013年10月にはシングル「MEGA OVER DRIVE」リリースし、2014年1月にアルバム「ACTION!!!」リリース。2015年3月、ハヤシが偏愛をテーマにしたミニアルバム「HEN 愛 LET’S GO!」リリース。このアルバムのリリースに合わせ楽曲タイトルになった偏愛対象の「ホモソーセージ」や「タンメン」に因んだ企画を実施、公開した。また、ハヤシがゆるめるモ!にへ提供した楽曲「Hamidasumo!」が「HEN 愛 LET’S GO!」の発売日と同日に発売された。このような縁もあり、この時期にはPOLYSICSとゆるめるモ!が同一のメディアやタワーレコードのポスターに一緒に登場した。ハヤシはゆるめるモ!へ楽曲提供をこの後も行っており、また彼女らのライブを観覧に訪れるなど、付き合いが生まれている。同年7月には円谷プロダクション全面協力の元、ウルトラ怪獣をテーマにした「HEN 愛 LET'S GO! 2 〜ウルトラ怪獣総進撃〜」リリース。初回生産限定版には「ポリシックス限定 ゴモラ クリアオレンジラメVER.」フィギュアが付属。同年9月11日、12日に渋谷CLUB QUATTROで「POLYSICS ウルトラチャレンジ OR DIE!!!〜燃えろ! クアトロ地獄!2日で100曲カブリ無し!!!〜」開催。このライブではメドレー形式で複数楽曲を続けた演奏がセットリストに組み入れられていた。この年のライブでは、同様なメドレーがセットリストによる演奏を度々行っていた。例えば、「「HEN 愛 LET’S GO!」のリリースツアーファイナル」では18曲、「ROCK IN JAPAN FES. 2015」では24曲のメドレーによる、演奏を披露した。同年12月には、結成19周年を記念してクラウドファンディングで参加者を募り、VRのミュージックビデオを作成するプロジェクトを開始。目標人数300人を達成し、翌年1月に無事終了した。2016年3月2日、アルバム「What's This???」リリース。結成19周年にちなみ19曲収録となっている。4日には大阪BIG CATにて「20周年まであと1年!!!〜まだまだやるで無茶なこと!!! 1日100曲かましたる!!!〜」を開催し、1日で100曲演奏を行った。DECKREC RecordsKi/oon Records"シングル"アルバム" "292104

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。