フォリナー (Foreigner) は、1977年にアメリカでデビューしたロック・バンド。イギリス人とアメリカ人が混在するという、当時では珍しいメンバー構成で、そうしたことから「フォリナー(=外国人)」と名付けられた。1970年代後半から1980年代終盤にかけて、ロック音楽市場に巨大な存在感を放ち、多大な成功を収めた。その莫大なレコード売上から産業ロックの代表的な例として挙げられることも多い。ハードロックやアメリカン・プログレ・ハードの中で、「ミドル・オブ・ザ・ロックンロール」という独自のジャンルであるともいわれ、ルー・グラムの叙情的なヴォーカルが大きな特徴だった。結成初期はハード・ロックの要素が強い演奏だったが、後期になると徐々にキーボードを前面に押し出したソフトなサウンドに変貌していった。1976年元ストーリズのイアン・ロイド初ソロアルバムのセッションで知り合ったミック・ジョーンズとイアン・マクドナルドが、自身らの新バンド結成の為にオーディションを行い、3人のアメリカ人をスカウト、フォリナーを結成。「スーパーグループ誕生」と話題になった。翌1977年発表のデビュー・アルバム『栄光の旅立ち』が300万枚、さらに翌1978年発表の2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン』が500万枚を売り上げる。『ダブル・ヴィジョン』からのリカット・シングル「ダブル・ヴィジョン」がドナ・サマーの「マッカーサー・パーク」に1位を阻まれるものの、2週連続2位を記録。1979年、音楽性の相違からベースのエドが脱退。リック・ウィルスが加入。3rdアルバム『ヘッド・ゲームス』は300万枚を売り上げる。1981年発表の4thアルバム『4』は1500万枚の大ヒットとなり、ビルボード・アルバムチャートで10週連続1位を記録し、翌年のアルバム年間チャートでは第3位を記録した。リカット・シングル「ガール・ライク・ユー」が、ビルボードシングルチャート10週連続2位の大ヒットするが、同時期にヒットしたオリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」(9週連続)とダリル・ホール&ジョン・オーツ(1週)の「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」にビルボードキャッシュボックスともにチャート首位の座を阻まれ続けた。皮肉な事にアルバムが1位に輝いた期間もシングルが2位に泣いた期間も同じく10週間であった。ちなみに、「ガール・ライク・ユー」はラジオ&レコーズでは1位を独走した。1982年 5thアルバムで初のベスト・アルバム『ベスト・オブ・フォリナー』をリリース。1984年 6thアルバム『プロヴォカトゥール(煽動)』をリリース。1985年、前年にリリースされたシングル「アイ・ウォナ・ノウ」が初のシングルチャート全米No.1(2週連続)を獲得、この年の年間チャートでも第4位を記録。しかし、売れ線狙いのバラードを優先させるバンドに対し徐々にファン離れが進んで行く。そして、このバンドの姿勢に不満を露わにしていたのがメンバーのルーであった。2年後の1987年 7thアルバム『インサイド・インフォメーション』を発表した時期には、バンドは事実上の解散状態に陥り、バラード路線を突き進むミックとそれを嫌ったルーとの溝が深まっていったのが最大の原因である。その3年後の1990年、ルーが脱退。代わりにジョニー・エドワーズが加入し、翌1991年 8thアルバム『アンユージュアル・ヒート』を発表するが、ヒットには至らなかった。翌1992年、ルーがバンドに復帰。9thアルバムで2作目のベスト・アルバム『アンド・ビヨンド(ベスト・オブ)』をリリース。
出典:wikipedia
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