ヤン・ウルバン(, 1962年5月14日 - )は、ポーランド・ヤヴォジュノ出身の元サッカー選手、元ポーランド代表で現サッカー指導者。現役時代のポジションはセンターフォワード。息子のPiotrekも同じくサッカー選手である。貧しい鉱山労働者家族の下で6人兄弟の1人としてヤヴォジュノに生まれたウルバンは、母国のヴィクトリア・ヤヴォジュノ(Victoria Jaworzno)でキャリアを開始した当初、サッカーをしながら整備士や運転手として働いていた。その後に所属したザグウェンビェ・ソスノヴィエツ()とグールニク・ザブジェでプロ選手として活動しており、特に後者のクラブでは、自身のキャリア最高となる1988-99シーズンの17得点を含めて54得点を記録する活躍でリーグ3連覇と優勝に貢献した。ザブジェでの優れたパフォーマンスから、1989年8月により競争力の高いリーグであるスペイン1部のCAオサスナと契約し、クラブ史上最高のストライカーの1人と語り継がれるようになる稀有な活躍を示すことになる。1季目に35試合8得点を挙げると、2季目には、1990年12月30日のエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウでのレアル・マドリード戦(4-0)のハットトリックを含めて34試合13得点を挙げ、UEFAカップ1991-92出場圏内にしてクラブ史上過去最高位となる4位でのシーズンを終了することに貢献した。欧州カップ戦とリーグ戦との二足の草鞋となった2季目は、層の薄いチームにとって過酷なものであったためにリーグ戦で降格の危機に喘いでいたが、その中でウルバンは12得点を挙げて再度チーム最多の得点源として活躍し、残留に貢献した。UEFAカップの2回戦では、同シーズンのドイツ1部王者となるVfBシュトゥットガルトとのメルセデス・ベンツ・アレーナでの第2戦(3-2)で2得点を挙げる活躍を見せた。1992-93シーズンは、同胞のロマン・コセツキ()と前線でコンビを組んで7得点を記録。しかし、翌1993-94シーズンになると、別のポーランド人コンビのリシャルト・スタニエク()とヤツェク・ジオベール()に先発の座を奪われ、また、チームはシーズン終了時に2部へ降格する悲惨なシーズンとなった。なお、ウルバンはチーム2位となる5得点を記録した。1994-95シーズンはホセ・フランシスコ・ロホ()監督の下で2部でのプレーとなり、冬の移籍市場でレアル・バジャドリードと契約して1部の舞台へ戻るまでの間に12試合3得点を記録した。バジャドリードではセンターバックに転向したことで本職のセンターフォワードでの仕事は少なく、21試合の出場に対して僅か3得点に終わった。また、チームは19位で降格したかに思われたが、同1994-95シーズン終了後の騒動によって翌1995-96シーズンは22クラブに拡大となったことで最下位である20位のCDログロニェスの1チームのみが降格となり、最終的にバジャドリードは1部残留が決定した。しかし、ウルバン自身はバジャドリードから放出され、1995年9月11日にCDトレドと契約したことで2部でのプレーとなった。トレドでは、33歳の高齢ながらチーム2位となる33試合6得点を挙げて良いシーズンを過ごした。CDトレド退団後は、長年活動したスペインの地を離れてドイツ2部のVfBオルデンブルク()と契約。1998年から古巣のグールニク・ザブジェで1シーズンを過ごし、36歳の時に現役引退した。ポーランド代表としては、6年間で57試合7得点を記録し、1986 FIFAワールドカップでベスト16のメキシコ戦までの4試合全てに出場(うち先発3試合)した。現役引退後はパンプローナに定住したウルバンは、同市内にあるCAオサスナの下部組織で指導者としてのキャリアを開始し、2001年にチームをコパ・デ・カンペオネス・フベニール優勝に導く。2003-04及び2004-05シーズンは、3部を戦う同クラブのリザーブチームを指導。その後は、同クラブの運営に参加し、2007年6月にレギア・ワルシャワの監督に就任するためにクラブを去った。2007年6月4日に強豪レギア・ワルシャワの監督に就任すると、かつて指導したイニャキ・アスティス()を始めとしたオサスナから3選手を獲得した。また、UEFA EURO 2008期間中はレオ・ベーンハッカー監督率いるポーランド代表のアシスタントを務めた。2010年3月14日にレギア・ワルシャワを解雇となると、同年の10月29日から12月10までポロニア・ビトムの指導をした。2011年3月10日には、マレク・バヨル()監督の後任としてザグウェンビェ・ルビンと契約したが、成績不振により同年10月31にパヴェル・ハパル()監督に置き換えられた。2012年5月30日からは再度レギア・ワルシャワの監督に就任し、2012-13シーズンにリーグとカップの2冠を達成してリーグの年間最優秀監督に選出された。しかし、2013年12月18日のグールニク・ザブジェとのカップ戦(1-3)で敗退が契機となって翌19日にヘニング・ベルグ監督に置き換えられた。 グールニク・ザブジェ CAオサスナ U-18 レギア・ワルシャワ
出典:wikipedia
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