小島 剛一(こじま ごういち、1946年(昭和21年) - )は、日本の言語学者。フランス在住。秋田県由利本荘市で生まれて秋田市で育った。その後、東京に住んでいたこともあった。1968年に1年間の予定でフランスへ留学するが、現地で過ごしているうちに永住を決意する。フランスのストラスブール大学においてトルコ語の方言を対象に博士号を取得するべく、フランスとトルコを行き来しているうちに、トルコ語よりもトルコ国内の少数民族語に関心を抱くようになった。1978年にはストラスブール大学人文学部で博士号を取得した。それ以降もトルコの少数民族語の実地調査を続けた。しかし当時のトルコ政府は、「トルコ国民はすべてトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言葉はトルコ国内に存在しない」という公式見解を堅持していたことから、少数民族語の調査自体を快く思っていなかったこともあり、現地調査にあたっては様々な困難とも直面した。1986年に政府の特別許可を得てラズ語の現地調査を行った際に、ある結婚式に招かれてラズ民謡をラズ語で歌おうとしたところ、官憲に妨害された。それをきっかけとしてトルコ外務省から「自主退去勧告」を出されて、事実上の国外追放となった。1990年には中央公論社から『トルコのもう一つの顔』という本を出版した。この本において、それまでほとんど知られていなかった、あるいはクルド語の方言と見なされていたザザ語がクルド語とは別の独自の言語であり、その使い手であるザザ人もクルド人とは異なる存在であるとの見解を自らの現地調査から提示した。また、アレヴィー派がイスラム教とは似て非なる別個の宗教であるという指摘も行った。その後、再びトルコ入国を果たして、少数民族との交流や言語調査を行った。2002年8月にトルコ政府は法改正して、クルド語やザザ語などの少数民族語を読み書きしたり、教授する自由を認めた。しかし、2003年7月にイスタンブールで合法的に『ラズ民謡集』に続いて『ラズ語文法』を出版した僅か数日後に、国外退去処分を受けることになった。身の安全のため勤務先などは非公表だという。チェルノブイリ原発事故による健康被害が1300km離れたトルコ北東部にも及んだとして、東日本大震災に伴う政府の原発対策に懸念を表明した。ストラスブールで混声合唱団を立ち上げて30年以上経過した。そこでは各地の民謡や自作の曲を歌いながら指揮して、毎年2、3回コンサートも開催している。ゴムぞうり履きでヒマラヤ山脈の6000メートル地点までトレッキングする。「ザザ語とザザ人 – トルコの少数民族語事情」月刊『言語』(大修館書店)1990年2月号『言語学大辞典』第5巻「ザザ語」三省堂
出典:wikipedia
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