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十島村

十島村(としまむら)は、鹿児島県、東シナ海上の吐喇(トカラ)列島各島を行政区域とする村である。現在の十島村は1952年(昭和27年)にアメリカ合衆国からトカラ列島の区域の行政権が日本国に返還された際に「」に基づき設置された地方自治法による自治体であり、1908年(明治41年)に島嶼町村制により設置された十島村(じっとうそん、初代)とは異なる。十島村(初代)は1952年(昭和27年)に「」(鹿児島県告示)により口之島を除く北緯30度以北の区域に変更され、同時に三島村に名称を変更した。村役場は1956年から鹿児島市にある。これは、国や県に対応する業務が多く、役場が島内にあると交通費などがかさむためである。中心となる島は中之島である。また、口之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・小宝島・宝島にも住民がいる。最北の口之島から最南の横当島までの距離は直線で約160kmで、“日本一長い村”としても知られる。各島には平家の落人伝説が語り継がれている。豊かな自然と独自の文化、天然の温泉は人々を魅了し年間を通してダイバーや釣り人、観光客が絶えない。なお、7つの有人島と臥蛇島の合計8つは、大字として用いられている。鹿児島県奄美地方として、南日本気候である。暖流である黒潮の本流から少し離れているため、冬場はまれに氷点下になることがある。日照時間が短く、日本で最も日照時間が短い地域の一つである。元々十島村は、名前のとおり10島の有人島から成る村であった。現在の十島村(としまむら)である口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・宝島+小宝島(小宝島は宝島の一部とされていた)・臥蛇島(現在は無人島)の下7島と現在の三島村である竹島・硫黄島・黒島の上3島が1908年4月1日、島嶼町村制制度施行に伴って十島村(じっとうそん)として発足した。この頃は村役場は中之島に置かれており、所属する郡は大島郡(1897年に川辺郡から大島郡へ変更)であった。しかし太平洋戦争の敗戦により、連合国最高司令官によって出された覚書「」(SCAPIN677)によって、1946年2月2日以降、島内に北緯30度線が通る口之島を含む北緯30度以南がアメリカの占領下に置かれた為、現在の十島村地域と三島村地域は分断されることになる。役場を失った上3島は、とりあえず仮の十島村役場を鹿児島市に設置する事になった。1951年(昭和26年)12月5日に連合国最高司令官によって出された覚書「」(SCAPIN677/1)により、北緯29度以北のトカラ列島の区域について日本の政治上、行政上の権利を回復し、1952年2月4日に下7島が日本へ復帰したものの既に上3島の行政機構は完成されており、それに元々別の市郡がある種子島・屋久島を跨いでの行政運営には無理があった。本土復帰にあたり、アメリカ合衆国の統治下となって以降に施行された法律の施行について、「」の規定によって暫定措置として段階的に法令が適用されることとなった。2月10日に十島村の区域に施行されていなかった地方自治法について、第1項の規定に基づき、地方自治法が施行されることとなり、下7島の区域をもって十島村(としまむら)が設置された。同時に十島村(初代、地方自治法による自治体)の区域を北緯30度以北(口之島を除く区域)に区域を変更し十島村(上3島)は三島村に改称した。以後、学校教育法、公職選挙法等が順次政令により、十島村の区域に施行された。1970年7月28日、臥蛇島民全員が移住、無人島になる。1973年4月1日、郡が大島郡から鹿児島郡へ変更される。十島村役場は行政運営の効率向上や全島の平等性等を理由に、1956年4月1日に中之島から鹿児島市へ正式に移転された。だが三島村と同様、役場職員の多くが村内に住所を持たないため村長選や村議会選の選挙権が無く、また税が村に入らないなどの問題がありかつ近年貨客フェリーが能力を向上させたことから再び役場を行政区内(中之島に限らず)に移転させる話が浮上しどの島が良いかアンケート調査も行われたが、その後進展していない。2006年、十島村役場は、周辺事態において工作船に乗った武装グループがトカラ列島に来襲すると想定し、中之島において国民保護法に基づく島外への避難訓練を実施した。2009年7月22日の日食を観測できた場所であり、最も長く観測できるのは悪石島だったため、観光客が殺到した。十島村は、旅行会社に委託したツアー客以外の入島を制限していたが、ツアー以外の上陸者も後を絶たなかった。だが、皆既日食当日の天候は暴風雨と大荒れになり日食の観測は出来なかったという。以下はすでに廃校となった小中学校である。村内に高等学校は無いため、大半の生徒が学区である鹿児島学区へ進学する。特例として県内は全ての県立高校が受験可能。ただし、山海留学生は除く。各島に数件ずつ民宿があるが、受け入れられる人数に限りがあるため、あらかじめ予約が必要。一部の島に商店や販売所があるものの、必要な物資を全て賄える程ではない。その為、生活協同組合やインターネット等を利用した購入が多く行われている。村営船「フェリーとしま」が週2回、鹿児島港との間を往復している(多客期や村内事業がある場合は水曜日出港が追加され、週3回になる事もある)。鹿児島港を出ると口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島の各有人島に立ち寄り、奄美大島の名瀬港から折り返し運航をする。平成25年6月までは、1便は名瀬港往復、もう1便は宝島往復という運航方法であったが、村民の強い要望などもあり、平成25年7月1日からは全便が名瀬港往復となった。全便が名瀬港往復になる利点は、奄美市等での買い物や病院受診などの機会がこれまで以上に増える事や、従来より飛行機等との乗り継ぎがし易くなる点にある(奄美空港からの乗り継ぎ)。なお、ドックダイヤ時は三島村営船「みしま」が代船となる。「主な運航ダイヤ」現在は各島の港湾設備が整備され比較的安易に接岸することができるようになったが、かつては艀(はしけ)を使って人や荷物を受け渡ししていた為、時化の時などは立ち寄れない事が度々あった。なお、臥蛇島が集団移転を余儀なくされた理由の1つにこの艀作業従事者の不足(移住前は僅か3名)による困窮もあった。島内にはバスやタクシーなどの公共交通機関が無い為、村民は専ら自前で移動手段を整えている。なお、。郵便番号は村内全域が「891-5xxx」(鹿児島中央郵便局)である。郵便局については以下の各局があるが、いずれもゆうちょ銀行ATMは設置されていない。なお、かつては3局とも集配局であったが2007年3月12日以降は無集配局となり、集配局は鹿児島中央郵便局(鹿児島市)に変更された。市外局番は村内全域が「09912」である。上記の市外局番相互間の通話は単位料金区域(中之島MA)であり市内通話扱いとなるほか、各島から鹿児島市および県内離島への通話は、特例により隣接区域扱いとなる。収容局は、中之島局・悪石島局・宝島局である。携帯電話については、NTTドコモとソフトバンクがサービスを提供している。(2016年3月現在)総務省の地域情報通信基盤整備推進交付金事業を活用し、村が通信事業者となって環境を整備。2010年12月1日から、無線アクセス方式による24時間定額インターネット接続サービスが開始された。一般家庭では概ね1Mbpsから3Mbpsでの通信が可能となっている。サービスの提供プロバイダは、鹿児島市に本社を置くSYNAPSEである。鹿児島県を放送#放送対象地域とする県域放送のうち、テレビ放送は中之島中継局および名瀬中継局を受信することにより、全島で全チャンネルの視聴が可能であり、受信障害対策中継放送も行われている。また、ラジオ放送はエフエム鹿児島以外の聴取が可能である。中之島中継局は南種子中継局からの電波を中継しており、村内への放送のほか奄美大島以南の地域へ電波を中継する役割も担っている。中之島中継局と名瀬中継局の距離は約170kmあり、地上波放送の中継距離としては全国的に見て比較的長距離である。村に初めて発電設備が導入されたのは中之島で、1952年の事である。当初は1日8時間のみの送電であったが、1956年の水力発電開始以降は24時間送電となった。1979年、小宝島が24時間送電となり全島の24時間送電が実現した。なお発電は全島を九州電力が受け持ち、基幹は火力発電(内燃力発電)である。

出典:wikipedia

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