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フェスティバルゲート

フェスティバルゲート(Festival Gate)は、かつて大阪市浪速区恵美須東3丁目4番36号に存在した複合娯楽施設。第三セクターのフェスティバルゲート株式会社により運営されていた(現在は解散)。略称は「フェスゲ」。大型遊具や娯楽施設と商業施設を合体させた「都市型立体遊園地」として、1997年7月18日に開業。総面積1.4ha、店舗面積5,700m²。約380台収容の駐車場や、約120台収容の駐輪場も設けられていた。新世界のランドマークである通天閣から見て南南西300mほどの場所にあり、東隣には、同時期に開業した「スパワールド」がある。遊戯施設の利用は有料だが、入場は無料だった。地下には地下鉄御堂筋線の動物園前駅への連絡通路や、市バスの「地下鉄動物園前」停留所(操車扱いも実施)も設けられ、同地への抜け道として通ることもできた。来場客の減少により、2007年7月31日までにほぼ全ての店舗及びアミューズメントの営業を終了。2009年1月30日に行われた競売でマルハンが入札し、改築計画を発表。建物は海底に沈んだ古代都市をイメージした外観で、西南角にそびえる高さ約45m・幅52mのH型のゲートタワーから入っていくと、2階のプラザ I、プラザ II、プラザ IIIと呼ばれる3つの広場につながっていた。3つの広場は遊技施設や商業施設が一体化した都市型遊園地内にあり、遊びのおもちゃ箱を連想させるような夢空間を演出していた。8階建てで、2階の中心部から吹き抜けとなっており、その中を全長約750m、最大斜度約50度、最高速約100km/hのジェットコースター「デルピス・ザ・コースター」が縦横無尽に駆け抜けた。レーンは建物を突き抜けて外側にも設けられ、独特の外観を構成していた。また、ゲートタワーの下の空間にはゴンドラ2台が振り子運動と宙返りを繰り返す絶叫マシン「クロノス」があり、このほかにもイルミネーションが美しいメリーゴーランド、乗り物に乗ってレーザー銃で標的を倒すシューティング・シミュレーションゲームなど様々な遊戯施設が各階フロアに配置されていた。また、海外の珍しい雑貨やアクセサリーなどを取り揃えた商店やレストランが多数入居。内装はイタリアのベネチアやアメリカのウエスト・コーストなど海と関わりの深い都市や街をテーマに演出され、買い物やカフェテラスで食事をしながら、遊戯施設で遊ぶ人の歓声を楽しむこともできた。7階にはスクリーンを4つ備えた映画館「動物園前シネフェスタ4」が併設されており、4館あわせて約600人を収容できた。マスコットキャラクターは、イラストレーターの久保俊明(現・久保晶太)により描き下ろされた「タラッタ」。名前はギリシャ語で「海」を意味し、開園後の一般公募で決定した。元々、この地には大阪市交通局の市電天王寺車庫(霞町車庫)があった。バブル期の1989年、「大阪市交通局霞町車庫跡地開発プロジェクト・土地信託事業計画提案競技」に則り、区画をA・Bの二つに分断。この内のAゾーンに建てられたのがフェスティバルゲートで、東洋信託銀行・中央信託銀行・三井信託銀行による共同事業案をもとに、総工費約500億円の一大プロジェクトとして建設が開始された。土地信託方式による事業であり、当初の信託期間は2020年3月までとなっていた。なお、Bゾーンには「スパワールド」が建てられ、1997年7月18日に開業した。ジェットコースターが大胆に建物を貫く迫力のある外観と、施設自体の入園料が無料であることなどから、開業初年は入場者数が831万人を記録。大いに賑わいを見せた。しかしそれも束の間、翌年にはアジア通貨危機による不況の煽りで早くも営業に陰りが見え始め、さらに数年後にはUSJの開業や少子化等の打撃を受け入場者数が大きく減少。飲食店などの店舗は賃料の高さに比して売り上げが落ち込み、店舗は次々と撤退。開業4年後の年間入場者数は、約300万人にまで落ち込んだ。その後、大阪プロレスの本拠地を誘致し本社機能兼常設会場の「大阪デルフィン・アリーナ」を開設したり、芸術系NPOの集積、新世界アーツパークと文化活動団体への貸し出し等のいくつかのテコ入れが行われたが振るわなかった。営業が不定期であったことやそれ故の格安な賃料も、既存の店舗から反発を受けた。そして2004年2月、信託銀行三行は事業からの撤退を表明し、運営元のフェスティバルゲート株式会社は倒産。大阪市は、最終的に200億円の赤字を補填する形となる。失敗の原因としてはいくつかの点が指摘されている。倒産後は運営母体がオリックスに移り、同社の支援の元に2005年4月にも「大阪市交通記念館」として全面改装する予定であった。しかし、建物フロアの耐荷重が市電や地下鉄車両の重さに耐えられるほどではなく、レプリカをわざわざ作って展示する構想もあったなどコンセプト自体に無理を含んでいた。そういった中、全面改装にあたっての入居中店舗との立ち退き交渉が決裂。結局オリックスは支援撤退を表明し、改装計画は白紙となった。2007年1月、大阪市は施設再生の最終検討に入り、大阪市が年2億円以上の維持管理費を負担する条件で施設の一部をアート・福祉・経済活動が一体となった用途に貸し出すとするコンペを行い、新世界アーツパークなど民間団体などの応募を受け付けたが、収益性の面から見て実現困難として5月には全案を却下し再建を断念した。以後大阪市は土地建物の売却を開始し、各テナントには同年7月までにすべて撤退するよう通知した。この時点での施設評価額は、建設費の30分の1にも満たない約8億円とされ解体撤去される可能性もあった。そんな中、2008年2月に行われた条件付一般競争入札で韓国系の企業「FESTIVAL PLAZA APP」が26億円で落札し、建物は解体せずそのまま使う予定だと発表された。しかし、売買契約締結期限の同年3月31日までに契約締結には至らず、同年5月14日に大阪市は売買契約を断念した。大阪市は保証金2億6,000万円を没収し、違約金など8億2,500万円を請求した。逆に、FESTIVAL PLAZA APPは保証金の返還を求めて市に提訴したが、2010年5月20日に大阪地裁は市の訴えを認め、同社に対して全額の支払いを命じた。この他、2007年5月5日には、エキスポランドでジェットコースターの脱線事故が発生。その翌日から「デルピス・ザ・コースター」の運転を中止した。点検の結果問題はなかったが、そのまま営業終了が決定し、施設内の遊具はすべて営業終了となった。そして同年7月末には、一部のテナントを残して「フェスティバルゲート」としての営業を終了した。大阪プロレスも同年8月26日の興行を最後に撤退し、道頓堀の新会場「デルフィン・アリーナ道頓堀」(後の大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナ→道頓堀アリーナ)に移転した。また、芸術系のNPO団体3団体も2007年末に、残っていた株式会社フジカワとサンクス(フェスティバルゲート店)も翌2008年内にそれぞれ撤退し、入居する全テナントの退去が完了した。2テナントの退去直前時点で、ビル全体の90%以上が空室となり、動物園前駅への連絡口のある地下から、スパワールドへの連絡通路がある2階までを除く大半の区域が閉鎖、立入禁止とされた。テナントの退去後、順次ビルの解体が進められている。テナント退去に前後して、地下にあった市バスの操車場も閉鎖された。これに伴い、ここで折り返し待機をしていた1号系統は運行経路を変更し、あべの橋 - 動物園前 - 地下鉄動物園前 - 市大病院 - あべの橋間の循環運行となった。また、サンクス前にあった停留所も休止となっている。1号系統以外の路線については、地下鉄動物園前 - あべの橋間の運転は取り止めとなり、1号系統も2010年3月28日のダイヤ改正で当地への乗り入れを終了した。2009年1月30日に行われた3回目の競売にマルハンのみが参加し、予定価格8億3,000万円を上回る14億2,000万円で落札した。総事業費55億円を掛けて2階建ての新たなビルを建設し、ボウリング場を中心にしたスポーツアミューズメント施設「ツーテン・ゲート」(仮称)として、2013年までのオープンを目指していた。同社はパチンコ店の営業を主体としているが、契約上5年間はパチンコ店の出店は禁じられている。2013年7月には、4階建ての「韓流テーマパーク」(仮称)を2014年秋に開業させると発表した。しかし、日韓関係の悪化により計画が見直され、ドン・キホーテを核テナントにした商業施設を建設することになった。2014年12月30日に「マルハン新世界店」が先行オープンした後、2015年2月27日に「MEGAドン・キホーテ新世界店」がマルハン2階にオープンした。大半の施設は、2007年8月末に営業終了。解体直前の時点(2011年7月現在)では、3階から5階までの大部分と6階以上は閉鎖されていた。1999年当時。

出典:wikipedia

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