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走れ!ケー100

『走れ!ケー100』(はしれケーひゃく)は、TBS系で1973年4月13日から1974年3月29日まで放送されたテレビドラマである。提供スポンサーは日立グループ一社。蒸気機関車ケー100に乗った主人公が全国各地を回る道中記で、舞台となる土地でロケを行なった。当初は半年の放送予定だったが、折からのSLブームもあって好評を得たため延長され、鹿児島から夕張、夕張から沖縄と日本一周をすることとなった。放映開始1週間前の4月6日には、当番組の前夜祭として、「発車オーライ! 走れ!ケー100」が放送された。これは番組の宣伝を兼ねて、大野しげひさやハナ肇といった出演者や小学生がゲーム合戦をする内容だった。映像が現存するかは不明。鉄工所の息子・末永隆がスクラップにされる所だった蒸気機関車ケー100を道路を走れるように修理・改造し、かつてケー100の機関士だった老人・北川久作と再会させるべく鹿児島から北海道に向かう計画を立てるが、足に大怪我を負い断念してしまった。それを見かねた薩摩隼人・伊賀山紋太が隆の代わりに北海道、夕張に向け日本各地を縦断する。当初は夕張がゴールだったが、沖縄から届いた一通の手紙を見て、鉄道の無い沖縄の子どもたちのためにケー100で沖縄へ行くことを決意する。元は50年前から北海道の夕張炭鉱で働いていた軽便鉄道の機関車。廃車になり鹿児島の鉄工所に放置されていた所を、鉄工所の息子である隆少年と近所の紋太(22歳)によって修理される。車輪の代わりに道路を走ることが出来るようにゴムタイヤが付けられた。(設定上の)重量は5トン。第5話では関門海峡を突破するために紋太達が知恵を絞り、最終的にはケー100をポンポン船で運んでもらおうとするが、そのままでは重量オーバー。重い煙室扉は取り外し、それを紋太が抱えて地下の関門人道トンネルを必死で歩き山口県側まで運びポンポン船と合流した。第7話では紋太が海岸で昼寝中に満潮になりケー100が厳島神社近くの海に浮かんでしまい、偶然ケー100が水上も走れることが明らかになった。津軽海峡は自力で渡り北海道に上陸した。階段を登る事も可能で、第11話京都・滋賀編で神社(名称不明)の石段、第16話で向ヶ丘遊園(現・生田緑地ばら苑)の大階段、第30話で山形県・出羽三山神社(羽黒山)の2446段の石段を登った。第39話では鳥取砂丘を縦横無尽に走り回った。ケー100はただの機械ではなく自分自身の意思を持っており、紋太の言うことを聞かずに勝手に動くこともしばしば。第20話では漁港で引き揚げられたゴンドウ鯨に怯えて震え、逃げ出した。最終回ではハブにタイヤをかまれて瀕死になり、医者から聴診器で診察されたり血清用の注射をされるという生き物のような扱いを受けた。ヘッドライトを袋などで隠されると普通の機関車になってしまう弱点を利用され、ケー100はしばしばペテン師・石橋正彦によって盗まれた。第18話で機関車工場(日立製作所水戸工場)の協力を得て車輪を取り付け、旅の開始以来初めてレール上を走行した。勝田駅付近の常磐線の線路と並行している日立製作所従業員輸送用の専用線(1993年廃止)が撮影に使用された。第25話では再会を記念して機関士姿の北川久作(笠智衆)を乗せ、三菱大夕張鉄道大夕張炭山駅(1973年12月廃止)を走り抜けた。撮影用の車両はカナダ製水陸両用車アンフィキャットの改造で、実際に水上を走ったり、階段を登るなどの芸当が可能だった。1~3号車の計3台のケー100が作られた。1号車を使い3月4日から撮影開始したが同月中旬、第2話宮崎編のラストを大分県別府市で撮影中に炎上、焼失してしまった。制作準備中だった2号車の完成を急ぎ3月25日に撮影を再開、番組中止の危機を乗り越えた。その後2台体制とするため、急遽3号車も作られた。撮影終了後、残った2台は百貨店などを巡業し、2号車は朝霧高原グリーンパーク(静岡県富士宮市、閉鎖済み)、3号車は沖縄こどもの国に譲渡された。共に現存していない。番組名は「ケー100」だが、ナンバープレートには「K100」と書かれている。国鉄では実際に軽便鉄道規格の蒸気機関車に「ケ」という称号を付与しており、「ケ100」も実在した。放映当時の新聞記事には、福岡県久留米市にあった廃車体の写真が保育社カラーブックス「蒸気機関車」(1968年、広田尚敬)において「久留米の、ある屑鉄屋の店先に置かれたケ100」(併記された英語解説文では、KE100)として紹介されたことが、企画のヒントになったことを示唆する記述がある。その機関車は2004年時点では現存が確認されているが、荒廃が進んでいる。「ケ」の付く機関車はケ90形が保存されている。クレジットはされていないが、枝川弘監督は自身が監督した第38話で古着屋の主人を演じている。助監督の田中秀忠は第34話で乱暴な運転で屋台を壊した犯人、撮影の知識護は同じく第34話でケー100をバックに恋人の写真を撮ろうとして石橋に「モデル代」を請求される役でゲスト出演している。二人とも台詞は一言。OPにクレジットされている全てのゲスト出演者を記した。第25・26話夕張編にケー100の最初の機関士・北川久作役で出演した笠智衆は、スタッフが交渉した所「テッパリ(スケジュールが重なった仕事)はわしが先方に断る、是非出演したい」と言い、絶対に飛行機には乗らないと業界で有名だったが、我慢して乗ってまで出演してくれた。孫がケー100のファンで必ず出演すると約束していたという。第15話では当時7歳の尾美としのりが少女・みどり(天野美保子)の同級生役(黄色のシャツのほう)で出演。尾美の確認されている限り最も古い出演作である。後におニャン子クラブのメンバーになる内海和子が第8話で幼稚園児・マリ役でメインゲストとして出演している。後に透明ドリちゃん(1978年)で主演を務める柿崎澄子が第37話でケー100を海に沈めようとする少女・ミヨ役で出演。夕張に到着した第25話「大爆発!会えるかおじいちゃんに…」は、本来最終回として制作された。放映順と違い第24話札幌編の方が後に撮影され、1973年7月31日(第16話放映後)に撮影が終了した。局内で新企画の検討の検討が行われるも、視聴率が評価され、結局8月20日頃にケー100の延長が決定。撮影再開の第26話からは、夕張から前年5月に本土復帰した沖縄に向けて旅を続ける事になった。笠智衆を含む出演者・スタッフを再び集め、8月29日(第20話放映後)に一ヶ月ぶりに撮影を再開した。後半の一時期、大川栄子、秋元京子、石井富子が出演していないのは、急な番組延長によりスケジュールを合わせられなかったためと思われる。円谷プロを退社し沖縄に帰郷していた脚本家・金城哲夫が、第50話「おじいちゃんの軽便鉄道」で医者役で出演(台詞あり)。金城は2年後の1976年に亡くなった。沖縄戦で破壊され廃線となった沖縄県営鉄道を扱った同話の脚本は、沖縄出身で金城の盟友の上原正三が担当した。2005年5月発売のドキュメンタリーDVD「金城哲夫 西へ!」では金城の出演場面が収録され、一部ではあるがこれがケー100の初ソフト化となった。第26話でケー100に沖縄へ来てもらうよう夕張まで頼みに来た少年は、金城哲夫という役名だった。これは脚本の田口成光、青野監督がかつて円谷で仕事をした関係で共に金城と親しかったため、沖縄繋がりで自然と役名が決まったという。第49話では、金城哲夫少年の姉を竹下景子(当時20歳)が演じた。最高視聴率は第22話の14.9%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)。全話中、山場となる夕張到着までの第22~25話のみ全て14%代であった。当初8~9%代だったが、第7話以降は第47話を除き2ケタ代を維持し、比較的好調だった。ルートの都合で栃木県、群馬県、山梨県、長野県、三重県、奈良県、和歌山県、四国各県は通らなかった。東京都から茨城県へ行くには埼玉県か千葉県を通る必要があるが、省略された。当初は四国がルートに含まれていて、大分県・別府から愛媛県八幡浜・松山、高知県・桂浜、徳島県・鳴門を経て大阪に至るストーリーが検討されていた。しかし、早く夕張に着かなければいけないので最短距離で行くべきだという意見が出て実際の作品では変更された。石橋正彦役の杜沢泰文は、成川哲夫がレギュラーとなる案があったがゲストのみとなったことを証言している。ソニー・ミュージックレコーズから発売のCD「GOLDEN☆BEST にしきのあきら」(2009年9月発売、MHCL-1614)、「GOLDEN J-POP/THE BESTにしきのあきら」(1998年11月発売、SRCL-4416)などに収録。まきのりゆきによるカヴァー版が放映当時に東芝レコード・東宝レコードから発売され、CD「昭和テレビ歌謡ベスト30」(2004年8月発売、東芝)に収録されている。DAM (カラオケ)で2014年に配信開始された。挿入歌にしきのあきら版は未CD化。作詞者のかまやつひろしによるカヴァー版がLP「釜田質店」(1973年発売)に収録、1994年にCD化されたが、廃盤となっている。キー局はTBS。直前の19時からウルトラマンタロウを放送していた。裏番組にはレインボーマン(1973年9月まで)、ダイヤモンド・アイ(1973年10月から)があった。ジェネオンエンタテインメントよりDVDボックスが発売されたが、2012年現在新品在庫は無い。第5・7・17・26・45・51話は青野監督と知識護(撮影チーフ)によるオーディオコメンタリーを音声特典として収録。次回予告はフィルム紛失のため未収録である。

出典:wikipedia

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