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日産・RB26DETT

RB26DETT型エンジンは、日産自動車が開発・製造していた直列6気筒ガソリンエンジンである。RBエンジンの一型式であり、総排気量は2.6L、バルブ数は24バルブで、二基のターボチャージャーで過給される(ツインターボ)。シリンダーブロックは鋳鉄製。乾燥重量は255kg(BNR32型時)。『RB26DETT』という名称は、Response Balance 2600cc DOHC Electronic Twin Turboの英字の頭文字をとった言葉である。市販車に搭載されるエンジンとしては珍しい多連スロットルを搭載している。スカイラインGT-R用のエンジンとして開発され、BNR32型において初搭載された。その後も後継車種であるBCNR33型、BNR34型に搭載され、ステージアの特別グレードにも採用されている(後述)。RB26DETTは、開発当時グループA(Gr.A)車両で戦われていた全日本ツーリングカー選手権(JTC)での勝利を目指し、スカイラインGT-Rのために開発されたエンジンで、レースを戦う上で最も有利な排気量を求めた結果、2.6Lという排気量となっており、ライバル車種の今後の進化の度合いを詳細に分析し、最高出力を600PSと定めて開発を進めていった。ベンチマークとされたのはフォード・シエラ RS500である。スカイラインGT-R発売前には、ドイツにある世界一過酷なコースとも言われるニュルブルクリンクへ、外装をシルビアに偽装したテスト車両を持ち込みテストを行っている。開発グループには自信があったものの、当初は油温・水温ともに完全にオーバーヒート状態となり、最終的にタービンブローを喫する。開発を担当したダーク・ショイスマンもかなり難儀し、日産開発ドライバーの一人でもある加藤博義も『怖くて踏めなかった』と当時を証言している。その後も改良を重ねるものの、このテストによりRB26の持病ともいえる強いアンダーステア傾向が如実に浮き彫りとなる。原因としてフロントヘビーな重量配分とアテーサE-TSの煮詰め不足が起因していると開発陣は考えていた。自動車税が3.0Lと同じになってしまう2.6Lという、日本の市販乗用車としては中途半端な排気量となった理由は、前述のレースのレギュレーションと深い関係がある。スカイラインGT-Rが参戦を予定していたJTCでは、排気量ごとにクラス分けがされ、そのクラスごとに最低重量とタイヤの最大幅が決まっていた。また、ターボチャージャーなどの過給機を装着しているエンジンの場合、自然吸気エンジンに対するハンディキャップとして、総排気量に過給係数の1.7を掛けた値を参戦車両の排気量として扱っていた。このため、当初はより排気量の小さいRB24をショートストローク化し、排気量2.35Lに改めターボチャージャーを装着したものを搭載する予定だった(Gr.Aでは4.0Lクラスに該当)。しかし、同時に採用が予定されていた電子制御トルクスプリット4WDのアテーサE-TSにより、FRであるベース車両に対し100kgほどの重量増加となることからも、軽量化しても4.0Lクラスの最低重量(1,180kg)をかなり上回ってしまう上、目標にしていた600PSの出力に、このクラスのタイヤ幅(10インチ)では対応できないと判断した。そのため一つ上の4.5Lクラス(最低重量1,260kg・タイヤ幅11インチ)での参戦を選択し、排気量を2.6Lへと変更された経緯がある。ちなみに、4.5Lクラスに該当するターボエンジンの排気量の上限は2,647ccであり、2,568ccである本エンジンは79ccほど余裕があるが、生産ラインの関係上、それ以上の排気量アップには至らなかった。BCNR33型、BNR34型へとスカイラインGT-Rが進化していく中でもRB26DETTは採用された。JTCが終了し、排気量規制の枷がなくなった後も2.6Lの容量に変更はなかった。実際に、専用ラインを設けなければいけないRB26ではなく、海外輸出用のRB30EにRB26のヘッドを積み、DOHCのままで排気量を上げる案も考えられていたが、吹け上がりの鋭さなどのドライビングプレジャーを追求した結果、最後までRB26が搭載されることになった。レースに勝つという目的も持って製作されたエンジンなので、市販車の平均的な水準を大幅に上回るエンジン強度を持つ。これはシリンダーブロックが鋳鉄製であり、またそのブロック強度が非常に高いことが一番に挙げられる。具体的にはクランクシャフト軸受け部分をクランクケースとリブで繋いで補強してあり、さらにベアリングキャップは一体式のラダーフレームにして剛性を高めている。このラダーフレームの強化がRB26DETTのブロック強度の要といえる箇所である。各種チューニング雑誌等では、450PS程度の出力ならば冷却関係と補機類の強化程度で日常的な運用が可能という報告が多数されている。ただしあくまで目安であり、保障の範囲内ではない。BNR32型が登場した頃より、自動車を改造するチューニング業界が活性化し、高い素性を持つRB26DETTは自動車メーカー以外の人間の手でも各種開発、調整がされている。比較的簡単な改造で大幅な出力アップを得ることができたことからチューニング業者間での馬力競争が始まり、代表例として千葉にあるトップシークレットがGT3037Sツインターボ仕様で1,000PSオーバー、そして茨城のヴェイルサイドがGT3540ツインターボ仕様にて1,460PSを発生させ運用したことがある。その素性の高さとRBエンジン搭載車の多さ故、エンジンスワップにおいては人気の高いエンジンの一つである。同じRB系のエンジンを搭載しているローレルやセフィーロ(A31型)、クルー・サルーン等といったFR系の日産車に移植される例もあり、ハコスカや7thなどBNR32以前のスカイラインのみならず、他メーカーの車に移植されたケースも存在している。また、エンジン本体を移植するまでいかなくとも、一部パーツをRB20DET/RB25DET、SR20DE/DETへ流用することができる(以下例)。多くの利点を持つRB26DETTであるが、また弱点も存在する。代表例としては、第1にその重量が挙げられる。これは直列6気筒エンジン特有のものと、強度確保とコスト削減のためアルミ製ブロックではなく鋳鉄ブロックが採用されたことが大きい。JGTC参戦末期にはこの問題は特に顕著になり、特にコーナーの立ち上がりの際にライバル車に離されるという場面が多数見られた。また重量増による燃費の悪化にも繋がっている。他に有名なケースとしてはオイル管理関係の問題も挙げられる(以下例)。また、バルブシートの剛性不足しているため、バルブシートにバルブが陥没してしまうというトラブルも弱点の一つである。これはハイカムや強化バルブスプリングを組む際に発生しやすいとされる。これらのトラブルを避けるために、各種チューニングパーツ業界から多数のアフターパーツが発売されている。なお、Gr.A用エンジンとして開発された経緯もあってか国産ターボエンジン屈指の高回転エンジンであり、他の2.5Lクラスのエンジンと比べて低回転域のトルクが細いという点がある。その為、よく比較対象となる2JZ-GTEより使いにくい面がある。この問題点を解決するために、HKSから後付けの可変バルタイ機能となるVCAMシステムキットが発売され、前出のOS技研においてはRB30キット(さらにオーバーサイズピストンを組み込み、最大3.1L仕様まで可能)などの対策品が存在している。余談として、以前より容量アップキットとしてTRUSTやHKSから2.7L仕様が販売されていた。尚、東名パワード・JUNマシンショップからは継続販売している。1990年3月17日、前年まで参戦していたR31型 スカイラインGTS-Rに替わり、RB26DETTを搭載した2台のR32型 スカイラインGT-RがJTC第1戦・西日本サーキット(後のMINEサーキット)に登場した。この日の予選では、カルソニックスカイラインとリーボックスカイラインとが、それまでグループA最強を誇っていたフォード・シエラに大差をつけ、フロントロウを独占し、ポールポジションをカルソニックスカイラインに乗り込む星野一義/鈴木利男組が獲得する。翌3月18日の決勝では、スタートと同時に2台のスカイラインGT-Rが同クラス(ディビジョン1)の他のマシンを、別クラスであるかのように突き放し、カルソニックスカイライン以外の車両は全て周回遅れという離れ業で優勝を遂げるという、この上ないスタート切る。その後、破竹の勢いで1990年シーズンを戦い、カルソニックスカイラインがシリーズチャンピオンを獲得し、1戦だけリタイアしたリーボックスカイラインがシリーズ2位を獲得した。もはや、スカイラインGT-RのライバルはスカイラインGT-Rのみという状態となり、事実上のワンメイクレースとなっていく。その他の国内選手権に関しては、Gr.Aレギュレーションのレースだけでなく、N1耐久シリーズ(現・スーパー耐久)という改造範囲がかなり狭いレースにも参戦した。ここでもほぼ敵無しの状態であったが、筑波12時間ではブレーキトラブルによって優勝争いから脱落し、シビックが優勝するということもあった。また海外レースなどにも進出し、スパ・フランコルシャン24時間やニュルブルクリンク24時間、マカオギアレース、デイトナ24時間、バサースト1000kmなどで活躍した。ただし、圧倒的な大差での勝利を得る中で弱点も露呈してくる。1つ目はRB26DETTが発生させる600PSもの出力によってトランスミッションにかなりの負荷がかかり、ミッショントラブルの発生の危険性があったこと。そしてレギュレーション上、ブレーキ冷却ダクトの断面積をむやみに拡大できない事に加え、RB26DETTが持つ過大な重量によりブレーキの制動力不足が顕著となり、ブレーキフェードする可能性が高まることであった。後者のトラブルについて、後に日産はより大型のブレンボ製ブレーキキャリパーを装着したV-spec N1を発売することで対策している。JTCは1993年限りで終了し、スカイラインGT-Rは1994年から始まった全日本GT選手権(JGTC)に参戦するようになる。当初はGr.A仕様をワイドフェンダー化し、エアリストリクターを装着し、450PSに出力が下げられ参戦していた。その後は、レギュレーション上の理由により、FRが有利と判断してFRに改造して参戦するようになる。1995年にはル・マン24時間レースにNISMO GT-R LM(R33型改)として2台出場した。Gr.AとGr.Nをベースとしたマシンが登場し、前者は650PS、後者は450PS程度の出力を発揮していたが、直列6気筒や前述の鋳鉄ブロックであることによる重量バランスの悪さや、マシンその物の空力や剛性と言った絶対的な性能が劣っていたこともあり、当時のGT1クラスを席巻していたマクラーレン・F1には全く歯が立たず、本戦でもGr.Aベース車はリタイア、Gr.Nベース車はなんとか完走したもののクラス下のホンダ・NSXにさえ負ける有様であった。この状況やチーム運営に当時のドライバーだった星野一義が激怒したということもあり、日産は新開発のGT1マシン(R390)を開発するに至ったとされている。その搭載エンジンとしてRBエンジンが検討されたとされているが、確たる証言は出ていない上、結果的にはレース専用エンジンが搭載されている。その後もGT仕様のスカイラインGT-Rは前後の重量バランスに苦しみながらも、徹底的なエンジンの低重心化を進め、初期の頃とその搭載位置に大きな差がある。しかし、2000年以降はJGTCにおいて成績不振が続き、RB26のアルミブロック化なども検討されるが採用されることはなく、最終的にBNR34型の生産終了に伴い、RB26DETT型エンジンでのJGTC参戦は2002年のシーズン途中で終了した。後継エンジンには、フェアレディZや後継スカイラインに採用されていたV型6気筒のVQエンジンエンジンの3リッターターボ仕様が採用され、VQ型に換装したスカイラインGT-Rで2003年まで参戦を継続した。

出典:wikipedia

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