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阪神バス

阪神バス株式会社(はんしんバス)は、阪神電気鉄道の子会社で、阪急阪神東宝グループのバス事業者。阪神電気鉄道が行ってきた直営バス事業(阪神電気鉄道自動車部)を、2006年から2009年にかけて分社化により設立した企業。①兵庫県尼崎市・西宮市を中心に大阪市から神戸市にかけての阪神間をカバーする一般路線、②大阪・神戸・尼崎・西宮から大阪国際空港および関西国際空港への空港連絡バス、③大阪・神戸から中国地方・四国地方への高速バスおよび観光バス事業を行っている。一般路線の運行エリアは、西宮市南部を中心に、東は野田阪神前及び天神橋筋六丁目、西は神戸市中央区の神戸税関前、北は宝塚まで広がる。大阪ローカル線・北大阪線・尼崎芦屋線・西宮神戸線など、旧路面電車線である国道線・北大阪線などをそのまま転換した路線、尼崎宝塚線のように鉄道未成線を代替した路線も存在する。また西宮市・芦屋市・宝塚市には市営交通事業がないため、阪急バスとともに、その代わりを担う。西宮市内では一部重複があるものの、南部が阪神バス、北部が阪急バスと役割が分担される。阪急阪神ホールディングス統合後に、相互に乗り入れる新路線も出来たが、以後は撤退・縮小・減便となった。社章はHanshin Busの頭文字「HB」をハートの形にしたもの。路線車においては、社名部分の変更と前面行先表示脇・側面・後面に阪神バス社章を張り付けている。分社化以前に購入した車両のうち、阪神バスに完全移管される前に阪神バス西宮浜営業所に所属していた車両については一部を除き、阪神電気鉄道の社章である稲妻がレールを囲んだマークを残すが、それ以外の分社化以前の車両は社名部分の変更のみが行われている。阪神バス籍で購入した車両については、当初より阪神電気鉄道の社章に代えて阪神バス社章を取付けている。事業者としては目立たないが、1982年に業界で初めてMCA無線を導入。これを利用した運行管理システムも整備した。また2002年2月1日には、一般路線バスの運賃を全線均一の210円(大阪・神戸市内で市バスと競合する区間は200円、この区間の利用のみ整理券が必要)としたことでも注目された。阪神バスではほとんどが短距離の初乗り区間利用が多いため、乗り口へのカードリーダを省略し、コストダウンをはかれるためである。導入前後で運賃収入の大きな変化は見られなかった。呼称は阪神電鉄直営時代は「阪神電鉄バス」としていたが、現在の社名でもある「阪神バス」と呼ばれることもあった。また、沿革で述べる歴史的な事情から、高齢者を中心に今もなお「阪国バス」と呼ぶ人もいる。2016年3月20日に尼崎市交通局からバス事業が移譲され、「尼崎市内線」として同社の路線網に組み込まれる事となった。同年4月1日よりSuicaなど交通系ICカード全国相互利用サービスに対応を開始した。現在の阪神バスの母体は、かつて「阪国バス」と呼ばれた阪神国道自動車である。同社は1928年に阪神国道とも呼ばれる国道2号線の開通と同時に設立された乗合バス会社で、「マッチ王」で知られた滝川儀作、阪神電気鉄道そして阪神急行電鉄(現在は阪急電鉄)の三者を大口出資者として設立された。翌1929年、大阪・福島 - 神戸・滝道間を開業。まもなく滝川の持株は阪神側に渡り、1932年阪神系の鉄道未成会社・宝塚尼崎電気鉄道の合併で阪国バスは阪神電車の関連会社となる。結局1945年、京阪神急行電鉄は阪神国道自動車の持株を阪神側に譲渡し、阪国バスは完全に阪神電車の系列下に入る。1949年、阪神電気鉄道は阪神国道自動車を合併。以降、暫くは「阪国バス」の呼称のまま阪神電車直営のバス事業が再開された。元来、阪神電気鉄道は1929年に直営バス事業を開始。路線によって「甲南バス」「西宝バス」「阪神バス(旧)」「芦屋バス」等の呼称を使い分け、阪神電車の培養線として、また阪急の阪神合同バス(現在の阪急バス)に対する防衛線として機能していた。1933年、阪神乗合自動車を設立して分離。同社は淀川乗合自動車を合併し、阪神沿線のバス事業者として営業を続けた。が戦災の被害が甚大で戦後の復興もままならなかった。阪国バス合併後の阪神電車のバス事業は直営と阪神乗合自動車の二本立てであったが、1958年阪神乗合自動車はバス事業を阪神電気鉄道に譲渡し、阪神タクシーと改称。タクシー専業となる。ここに阪神電鉄グループの乗合バス事業は一本化され現在に至る。この間、尼崎市営バスの開業に伴い、運休中の尼崎市内線を廃止。また、芦屋市内の路線は不採算のため昭和30年代に撤退したため、尼崎市営バスの事業譲受までは阪神国道・尼宝線の他はほぼ西宮市内に路線が集中していた。以後、阪神国道線と甲子園線、北大阪線が廃止されたことによる代替路線バスの運行などもあり、バス事業は阪神間の都市部を中心に発展することになる。1995年に発生した阪神・淡路大震災では、被災地を走る阪神電鉄バスも運行不能となる路線が出るなど大きな影響を受けた。代替バスの運行や定時性が確保できないため尼崎神戸線が一時期西宮を境に分断されたほか、震災によって沿線の人口が変わるなどしたため利用者が減少、採算も悪化した。その間、2002年には先述のように運賃210円均一の導入もし、利便性の向上も図った。このため、2005年12月14日に分離子会社として阪神バス株式会社が設立された。まず、2006年6月14日から阪神西宮発着の一般バス路線と三宮 - HAT神戸の路線を新設された西宮浜営業所を拠点に分社化し、2007年からはユニバーサル・スタジオ・ジャパン発着の空港リムジンバスも同社に移管された。その後、阪神バスは設立時より黒字を計上できるほどに採算が改善されたことから、2009年4月1日より会社簡易分割により阪神電鉄直営の全てのバス路線を継承し、阪神電鉄バスは阪神バスへと生まれ変わった。同時に路線再編、ダイヤ改正、一部停留所名の変更も実施した。また、これによって関西の大手私鉄各社は、いずれの会社もバス事業全てを子会社による運営に切り替えたことになる。2009年12月1日より、地元・尼崎市交通局武庫営業所の業務について阪神バスが管理委託を受けることになったが、2016年3月20日からは同市営バス全路線の委譲を受けて運行している。同社が運行する高速バス・空港リムジンバスにはサラダエクスプレスの愛称名が付いている。大阪国際空港路線は、阪急系の大阪空港交通とともに、早くから参入。現在は、大阪梅田・神戸三宮に限らず阪神間の都市発着も運行する。関西空港路線は、開港時に神戸・尼崎・大阪梅田路線を開設。のちに西宮やUSJが加わった。2006年に開業した神戸空港発着の路線があったが、短期間で運行休止となった。尼崎市交通局移譲路線が加わり「尼崎市内線」が発足したことに伴い、既存の阪神バス路線は「阪神線」として区別されている。阪神線は後乗り前降りで運賃後払い、尼崎市内線は前乗り後降りで運賃先払いとなる。尼崎市関連の路線のうち、尼崎市内線については#尼崎市内線を参照。路面電車の北大阪線を代替した路線。大阪市営バスの58号系統とは野田阪神前 - 中津間で並行する。中津以遠は、ちゃやまちアプローズなどがある北野を経て、天六の交差点で終点となる。かつては電車の終点を利用した折り返し場があり、バスを後退をさせる必要があったため係員が常駐する小さな小屋が存在し後退補助を笛合図でおこなっていた。廃止(天六交差点付近の一方通行化)された後は天六付近をループ運行としている。かつての停留所に進入する道路は一方通行であるが、バス折り返しの名残で変則的な形の対面通行の区間が中津側に一部残っている。中津付近も野田阪神方向は中津六丁目を経由する形になっている。運行開始後長らく15分毎での運行が続いたが、下記の大阪ローカル線同様に利用者減が進み、2002年2月のダイヤ改正からは30分毎に減便、さらに2007年8月からは、天六乗り入れを朝夕のみに縮小、日中は全便が中津折り返しとなり、運行間隔も40分毎となった。2013年10月1日改正で天六発着は2往復(朝夕1往復ずつ)となり、他はすべて中津止まりとなった上で運転間隔も調整(最大2時間空く)された。もとは阪神国道線廃止区間の大阪寄りと、大阪 - 神戸線の大阪側という両方の性格を持った路線である。「野田杭瀬甲子園線」とも称す。もともと大阪は梅田新道からの発着で神戸まで直通していたが、野田阪神前 - 甲子園に短縮(尼崎以西は尼崎神戸線に分割、現在は尼崎芦屋線と西宮神戸線に再分割)、さらに国道線電車の廃止により増便も行われたが、利用者離れが進み、一時期は野田 - 甲子園間を昼間時16分間隔で運行していた。しかし、JR東西線の開業や歌島橋付近の慢性的な渋滞の影響で大阪市内での利用者減もあり、2002年の改編時に甲子園 - 杭瀬間を20分毎、以遠を倍の40分毎にまで減便した。1990年代後半には中型車も入るようになったが、それ以前も旧年式車が多く非冷房車が最後まで使われていた路線でもあった。2007年8月20日にダイヤを変更し、野田 - 甲子園間直通は、平日ダイヤで野田発4回(浜田車庫止め4回)、甲子園発2回(他は浜田車庫および阪神杭瀬駅まで。浜田車庫発野田行が他に6回)のみと大幅に減便され、その他区間便も30〜50分毎に減便される。2013年10月1日の改正で野田 - 杭瀬間はわずか1往復のみとなり、他の便はすべて杭瀬 - 甲子園間(一部浜田車庫発着)となった。また、全区間通し運行もなくなり、野田発着便は浜田車庫までの運行となっている(早朝に浜田車庫→野田、夜に野田→浜田車庫が1回ずつ)。さらに2016年2月1日の改正で、野田方向は阪神杭瀬駅北始発に短縮したため(平日は別途浜田車庫→阪神杭瀬駅北の便を新設)、野田 - 浜田車庫間の系統は夜の野田発1便だけとなった。元は尼崎と神戸を結んでいた尼崎神戸線であった。同路線は長距離(24km)故に定時性確保が難しくなっていた。このため、2009年4月1日の分社化に際し、定時性確保の観点から路線分割により芦屋までの運行(12km)とし、これとは別に西宮からの西宮神戸線を設定した。芦屋市内路線の撤退後、阪神芦屋には阪神バスの単独路線はなく、業平橋停留所とともに阪急バスの停留所に併設される形となった。運行間隔は尼崎神戸線時代は12分毎であったものを15分毎に減便した(西宮戎 - 芦屋川間では西宮神戸線が加わるため増便)。起点と終点付近を除き、国道2号を走行する。この路線分割により、利用する停留所によっては乗り換えが発生(尼崎芦屋線の阪神尼崎 - 西宮市役所前と西宮神戸線の津知 - 神戸税関前の相互間)し、これに対する乗継割引も設定されていない為、運賃も分割前(大人210円、子供110円)の約2倍(大人420円、子供220円)になってしまった。2013年10月1日改正より阪神芦屋発着は朝夕のみとなり昼間は阪神西宮折返しとなり約20分毎への減便も行われた。2006年に開設された新路線。尼崎市南部に出来た尼崎の森中央緑地の中にあるスポーツ施設が尼崎スポーツの森である。また、隣接地には工都尼崎再生のシンボルと目されたパナソニック プラズマディスプレイ(以下、パナソニックPDP)の尼崎工場が設置され、両施設へのアクセスを目的に運行している。なお、尼崎市営バスもこの地への乗り入れ路線があるほか、鳴尾浜などからはスポーツの森への送迎バスの運行も行われており、当路線はその中の選択肢の一つといえよう。なお、経路上にある、宝塚ローカル線と西宮尼崎線が停車する、高洲停留所には当初停車しなかったが2015年現在は停車している(阪神尼崎始発だった頃は昭和南通七丁目と竹谷小学校前も通過していた)。直行便は2008年10月15日より1往復のみ開設(土休日は臨時便も設定)。尼崎市交通局と共同運行(市バスは85番として運行)するが、直行便は上記停留所以外には停車しない。阪神出屋敷は駅北口の市バス乗り場を共用する(既存の路上にある出屋敷停留所にも停車するが、市バスは通過)。また、乗降方式(阪神は後乗り前降り、市バスは前乗り後降り)や運賃(阪神は大人210円、市バスは大人200円)の違いはそのままで運行されていた(後述の通り2016年2月1日より尼崎特区の新設により運賃は市バスに合わせられた)。これに伴い、当路線と尼崎市営バスの両方に乗車できる共通回数券も設定された。この回数券は市バスは全線で利用できるが、阪神は出屋敷 - パナソニックPDP前間に限り利用できる。2010年4月26日のダイヤ改正で、阪神尼崎 - 阪神出屋敷間を廃止、阪神出屋敷 - 尼崎スポーツの森間を増便した。この時点ではパナソニックPDP折返便は夜間および土休日の朝に運行されていた。2012年10月28日のダイヤ改正で減便され、パナソニックPDP折返便は平日朝の阪神出屋敷発の4便のみとなっている。2014年4月1日、パナソニックPDP尼崎工場の閉鎖に伴い、「パナソニックPDP前」の停留所名が「末広町」に改称された。なお尼崎市交通局は、一足早く3月1日付けで変更している。2016年3月22日から、尼崎スポーツの森線であった阪神出屋敷 - 末広町間の経路は、尼崎市内線の85番に車種変更という形で統合された。なお尼崎スポーツの森自体が独自に送迎バスを定期運行している。尼崎市内線は他の路線と違い、2016年3月20日に旧尼崎市交通局の路線を引き継いで誕生した路線のため、塗装が同局の塗装であり、乗車方式が前乗り、後降りである。また、同局のサービスも引き続き利用できる。経路ごとに番号が振られていたり幹線、地域線の区分がある。移譲にあたっては市営バスのサービスを極力引き継ぐことを前提としていたため変更点は少ないが、移譲前から阪神バス車両で運行していた50-3番(尼崎総合医療センター線)は、この移譲以後は尼崎市内線車両での運行となり、後乗り・後払いを前乗り・先払いに変更、先述の通り尼崎スポーツの森線の一部を尼崎市内線85番に振り替えしたほか、武庫川付近の経路変更(狭隘道路を対面通行していたものを片面通行化)、停留所名の一部変更、一部路線でのダイヤの見直し(増発等)が行われた。停留所名に付記された(北)(南)(上)(下)は、停留所の位置を表すものである。鉄道駅などで停留所が複数設置されている場合に路線によって発着する場所が異なることから便宜上つけられている。(北)(南)については概ね各駅の「北口」「南口」に相当するが、JR立花駅においては線路を跨ぐ形で交差する陸橋の上に設けられた停留所を(上)、駅前ロータリーに設けられた停留所を(下)としている。「尼崎市内線」という名称であるが、一部路線はわずかながら伊丹市内を走行している。また、尼崎競艇場とJR立花・阪急塚口を各々直通する、運賃無料の貸切ファン送迎もあり、阪神バス移譲後は尼崎市内線車両に混ざり、阪神線車両も送迎に使用されている。★印は尼崎交通事業振興との共同運行、☆は尼崎交通事業振興に管理委託される路線である。阪急神戸本線の駅からJR神戸線(東海道本線)の駅を経て阪神本線の駅を結ぶ。市内各駅と周辺地域を結ぶ。一部の路線では、運転区間を一部延長したり、経由地・経路の一部を変更して運転する便があり、路線番号に「-(数字)」をつける形で分類・運行されている。尼崎市杭瀬・阪神尼崎から伊丹市の西側を通り阪急電鉄・JR西日本の宝塚駅に至る路線を運行する幹線。西大島まで国道2号、ここから小浜までは宝塚尼崎電気鉄道の線路敷を流用した尼宝線、さらに宝塚まで国道176号を走行する。宝塚停留所の乗場はJR駅側にある。また、阪神杭瀬駅北は杭瀬駅近くの国道2号上にある。昼間時でも10分毎と便数が多く、沿線に駅が少ないこともあり区間利用も多い。なお、途中に武庫荘駅西口(「之」が入らない)という停留所があるが、武庫之荘駅までは遠く、乗り換えに適しているとはいいがたい。また、昆陽里(こやのさと)停留所は阪急バスと伊丹市交通局も同名の停留所を設けているが当路線の停留所はこの2事業者が設置している同名の停留所からは若干、離れた場所にある。なお、伊丹市交通局の昆陽里北停留所は阪神バスの昆陽里の宝塚方面停留所と同じ場所にある。2007年から小浜 - 宝塚間を並行する阪急バス空港宝塚線が当路線の停留所に停車するようになった。かつては、当路線も大阪市からの直通であったが、のちに野田阪神前まで短縮(さらに野田阪神前発着は朝夕のみとなり)、2002年の改編で野田阪神前への乗り入れは廃止された。安倉団地(あくらだんち)発は朝に運行されている。平日朝の宝塚発1本のみ運行する路線。もともとは阪神電鉄の尼崎海岸線の代替と臨海地区の工場勤務者のための路線とみられるが、便数は最小限になっている。尼崎宝塚線の昭和通八丁目(旧:竹谷)で国道2号から右折して出屋敷駅を経て臨港地区の工場地帯へ向かう。2009年4月の改編後はパナソニックPDP・尼崎スポーツの森まで延伸され、平日夕方に逆方向の尼崎スポーツの森発宝塚行1本も設定されたが、それまでは平日と土曜の朝に宝塚発高洲行のみが2便運行され、逆方向の便が存在しない路線であった。2012年10月28日のダイヤ改正で夕方の宝塚行は阪神尼崎発の尼崎宝塚線に振替となったため、宝塚発の朝1便のみになり再び片道のみの路線に戻った。尼崎スポーツの森線同様、2014年4月1日よりパナソニックPDP前が末広町に改称された。2016年3月22日改正より阪神出屋敷止まりとなり、尼崎スポーツの森へは行かなくなった。阪急・JR宝塚駅前から阪神甲子園駅までの路線で、もとは高校野球観戦客向けの臨時バスとして昆陽里や安倉団地まで運行されていたものが、1985年から通年運行になったもの。同時に宝塚市立病院を経由し宝塚まで運行するようになった。鳴尾浜へ向かうのは朝にわずかにあるだけで(宝塚発着1往復と安倉団地発1回)、他は甲子園までの運行。2005年からららぽーと甲子園への足として、土休日の日中に宝塚から甲子園の間に臨時便を運行している。他に、朝夕(土休日は朝のみ)に宝塚と安倉団地を循環する系統が運行される。また、阪神甲子園球場でのタイガース戦ナイター開催日のみ試合終了20分後を基準に直行便の運行が行われている(但し試合時間が長引いた場合は、試合終了を待たず22:00に発車)。なお、LED式行先表示を採用する前は方向幕の色を緑にしていた(甲子園・鳴尾浜発着系統のみ)。これは鳴尾浜方面は甲子園八番町経由であることを示す意味合いとともに、安倉団地経由であることを示すための識別であった。主に阪神甲子園を拠点に運行する路線。1970年代後半に開発された「レインボータウン武庫川団地」への路線である。元々はこの地区にあった工場の従業員輸送に従事するための阪神甲子園 - 東浜(廃止)間の往復便であったが、工場跡地を団地として開発したことから、住民の足へと生まれ変わった。阪神甲子園以南の経路が2種類あり、八番町経由と阪神鳴尾駅前(国道43号)経由がある。方向幕時代は、宝塚甲子園線と同様に八番町経由が緑色の幕になっていた。便数は八番町経由が主体である(阪神鳴尾は下記2路線を含めて20分毎)。阪神甲子園以南の系統もある。現在は、下記の高須東線の開設により一部がそちらに振り替えとなった。八番町経由の経路は開通当初、いくつかの停留所を通過していたが、現在はすべての停留所に停車する。2001年に武庫川団地の東側を循環する路線として開設された。武庫川団地南までは武庫川団地線と同じだが、単純折り返しの武庫川団地線に対し、当路線は団地内を走行して武庫川団地前駅を経て、甲子園方向を目指す循環路線となっている。昼間時は概ね30分毎で、八番町経由と鳴尾経由が交互に運行される。甲子園の南方、阪神タイガースの二軍がある阪神鳴尾浜球場、温泉施設のリゾ鳴尾浜や企業の工場などがある鳴尾浜地区への路線。八番町経由は阪神甲子園発がほとんどで、逆に鳴尾経由はJR甲子園口発着のみとなっている。武庫川団地中央を出ると、陸橋を超えて鳴尾浜へ入るため、武庫川団地線の武庫川団地南は通過する。なお、鳴尾浜西には阪神電車を製造していた武庫川車両工業の工場もあった。また、鳴尾浜南第二停留所前にはかつて甲子園高速フェリーの乗り場があり、当時は「フェリー前」の停留所名であった。甲子園口駅から兵庫県道340号浜甲子園甲子園口停車場線(甲子園筋)を南下し、かつて甲子園競輪場があった南甲子園一丁目、浜甲子園三丁目から浜甲子園を循環して甲子園駅、さらに甲子園口駅へと戻る。なお、循環経路は浜甲子園三丁目→浜甲子園回りで運行する。ただし、並行して西宮尼崎線や西宮団地線もあるので、多くの停留所では両方向にバスが来ていることになる。メインのJR甲子園口発の循環系統が終日運行され(昼間時20分毎)、その補完として阪神甲子園発の循環系統が昼間時を除く時間帯に運行されている。かつての路面電車・甲子園線と並行していた路線で、甲子園線の廃止後、上甲子園 - 浜甲子園間の区間便も運行されていた。現在の区間便は早朝始発の数本のみ設定されており、始発の浜甲子園ののりばは県道上ではなく、そこから少し南にある転回場の中にある。2009年4月の改編以前は、循環経路は17時以降、逆回りで運行されていた。西宮団地線は、阪神西宮と浜甲子園団地を結ぶことからこの名称となった。行先表示には「浜甲団地」と略される。甲子園地区路線の中で、当該路線と西宮尼崎線は西宮浜営業所の所属車両が運行にあたっている。阪神西宮発着は概ね朝から夕方にかけて運行し、それを補完する形で早朝と夕方から深夜に阪神甲子園発着便が運行されている(阪神西宮発は19時台が最終。朝ラッシュ時は12分毎、昼間時以降は20分毎)。阪神西宮発着便はJR西宮駅付近の国道2号や甲子園九番町交差点付近の渋滞の影響で、土曜・休日の昼間時を中心に5〜10分程度の遅延がしばしば起こっている。かつては朝の通勤時の臨時便として団地第一(現・武庫川女子大付属中高前)を始発し団地第四(のちに厚生年金スポーツセンター前 → 現・浜甲子園運動公園前)を通過した後、団地第五方向へ右折せずに直進し、団地第五 - 団地第七を経由せずに浜甲子園へショートカットする便や、昼間時含め多数の甲子園発着便があったが、団地の住民が減ったこともあり減便された(震災前は昼間時12分毎)。また、浜甲団地内で歩道の大幅整備工事が行われた際に団地第三と団地第四の停留所が使用不能となったため、コープ浜甲団地店(当時)北側に「臨時団地第二」という臨時の停留所を設け、団地第二 → 臨時団地第二 → 団地第六という運用を行ったことがあった。2014年12月25日のダイヤ改正以降、循環経路が一部変更となり、それまでの臨港線を通るルートから武庫川女子大学浜甲子園キャンパスの前を通るルートとなった。1993年に宗教法人誠成公倫会が西宮市東浜町に施設を開設したことから、運行を開始した。施設は阪神西宮にも近いのだが、ターミナルに余裕があるからか甲子園からの路線となっている(阪急バスも西宮市内線の一部が経由)。10分毎に運行と頻度は高い。なお誠成公倫会とは関係のない者も乗車できる。休館日は運休。カーテンが下ろされて運行されている。但し運行に支障の出る前方左側を除く。一説には、誠成公倫会、沿線地域住民及び当時の阪神電鉄バスの協定によるものとされているが理由は不明である。阪急バス西宮営業所と共同運行。開設当初は阪神タイガースの試合終了後に運行される帰宅する観客向けの臨時便であったが、2010年4月3日より土休日に阪神甲子園 - 西宮北口間を9 - 19時台に阪急・阪神が各8往復(合計16往復)する形で定期便としての運行を開始。定期路線としての運行便は臨時運行の便とは異なり途中経路上の停留所にも停車する。阪神甲子園で阪急バスが見られるのはこの路線のみである。阪急バスは系統番号100を付与しているが阪神バスでは表示がない。なお、直行便の運行は2013年以降休止している。数少ない、西宮市内を南北に結び、阪急と阪神の駅を結ぶ路線の一つ。西宮市内の南北の移動はバス路線は阪急バスと阪神バスに分かれていたため不便であったが、親会社の経営統合により、両バスでも協力関係が進んだ。この路線開設もその一環である。2013年10月5日より運行。商業施設への買い物客向けに土休日のみ昼間に1時間毎運行である。阪神甲子園球場でのプロ野球・阪神タイガースの公式戦ナイター開催日のみ運行。試合終了20分後を基準に発車するが、試合時間が長引いた場合は試合終了を待たず23:00に発車する。直行便1便だけだが数台で運行される。高速道路を走行するためリムジンバス車両を使用し、また定員制のため満席時は乗車できない。阪神なんば線が延伸開通した2009年・2010年のシーズンも当路線の運行は継続したが、2011年・2012年は運行を休止した。その後2013年より運行を再開したが、2016年は再び運行を休止した。主に阪神西宮・JR西宮を発着する市内路線。阪神西宮から、高級住宅街の山手エリアに足を伸ばす路線。循環線で西回り・東回り両方があるが、利用者が遠回りになるのを防ぐため、識別の番号が振られている。阪神バスは(尼崎市内線を除いて)基本的に系統番号を設けていないので、この路線は例外的な扱いといえる。JR西宮(北口)は、朝〜昼間の西回りと午後以降の東回りの一部便が経由。住宅地の狭隘な道を進むため、途中経路沿いには「阪神バス徐行」の看板が建てられている。両回りとも昼間時は20分毎の運行。西宮山手線からさらに大回りして甲山森林公園や甲山高校への足として運行される。元々循環路線ではなく、当初は現在の西半分のルートで阪神西宮 - 県立甲山森林公園前を往復していたが、1990年代に東回りルートを開設したことで循環系統化した。阪神バス随一の山岳路線でもあり、途中経路には「ブレーキテスト」と書かれた看板が建っていたりもする。県立西宮甲山高校の生徒の利用も多い。甲山高校や森林公園へは阪急バス西宮市内線(夙川台系統)も運行しており、2007年3月18日のさくら夙川駅開業時には、同線ともども、同駅への乗り入れを開始した(便数は西回りが夜、東回りが朝にそれぞれ2便ずつ)。方向幕時代は白色(JR西宮乗り入れ便は黄色)の幕を表示していたが、LED表示化された際に西宮山手線と同様に、阪神西宮での(当時の)のりば番号である7番が表示されるようになった。2014年12月25日のダイヤ改正以降は阪神西宮ののりばが西回りは1番、東回りは2番へ移り、7番の枝番として区別されるようになった。西宮と尼崎を兵庫県道341号甲子園尼崎線(通称:臨港線)経由で運行する。同区間は国道2号経由の尼崎芦屋線が多数運行しているため、裏ルートともいえ、区別のため「臨港線まわり」の名称が与えられている。長らく1日3往復(休日4往復)が西宮 - 尼崎間を往復するだけだったが(阪神・淡路大震災後は3年間運休したが同じダイヤで再開)、阪神バスへの移管に伴い、西宮 - 甲子園間を増便し、同区間では昼間時1時間毎になるように変更された。2006年10月28日の改正からは出庫を兼ねて早朝に西谷町始発の区間便が設定された。なお、方向幕時代の末期はオレンジ色の幕を用意していたが、LED化に伴い、オレンジ幕採用前に前面に掲出していた「出屋敷・浜甲子園まわり」の黄色い標識円盤を復活させた。2009年12月1日の改正で、西宮 - 甲子園 - 尼崎間を走行する全線通し便は平日は運行なし、土休日に1往復のみとなった(西宮 - 甲子園間は減便なし)。2013年10月1日改正では西宮 - 甲子園区間便は平日のみの運行となったため、土休日は全線通し便1往復のみとなった。阪急バスとの共同運行(阪急バスは26・27系統〈進行方向によって系統番号が違う〉・西宮北口経由甲東園行)。阪急阪神ホールディングス発足後の2006年10月28日のダイヤ改正に伴い新設された。長らく両社の市内ターミナルが接続されていなかったが、両者合わせ1日10往復と少ないとはいえ、親会社の統合によってようやく実現した。なお、西宮浜線の西宮北口直通便とはルートが違う。2009年12月1日のダイヤ改正で大幅減便され、平日5往復・土休日6往復となり、このうち阪神バス運行便については土休日1往復のみとなった。阪神西宮駅の南側を循環する路線で、おおむね35〜40分毎と比較的閑散であり、中型車での運行が基本である。2013年9月30日まで午前中は右回り(浜松原町 → 泉町)、午後は左回り(泉町 → 浜松原町)で運行されていたが、翌10月1日改正より終日右回りに統一された。西宮浜マリナパークへの路線。もとは東側の産業団地のみであったが、住宅の開発により西側へも循環するようになった。さらに阪神西宮発着をJR西宮、さらに2007年3月の改編で昼間に限り西宮北口まで延長するようになった。この路線の西宮北口 - 阪神西宮間は西宮北口線とはルートが異なる(この路線は駅南のJR西宮駅前のターミナルを使用するが西宮北口線は駅北側のJR西宮のターミナルを使用する)。マリナパーク発JR西宮駅前・阪急西宮北口行きの全便と、平日朝ラッシュ時のマリナパーク行きの一部の便は阪神西宮南口を経由しない(阪神電車利用者は阪神西宮駅東口を利用)など、需要に応じて系統を変えている。なお、西宮浜エリアは午前中が右回り、午後が左回りとなる。西宮浜中央に車庫があるため、ここを起終点とする便がある。方向幕時代は大回り循環は緑色の幕、小回り循環は青色の幕を表示していた。2009年4月1日の再編時に今までの尼崎神戸線を分割する形で運行を開始した。日中の1時間あたりの運行本数は、当初5本(12分毎)から4本(15分毎)を経て2016年9月1日より3本(20分毎)に減便された。その代わり今まででは定時に来ることが少なかったところが、定時で来ることが多くなっている。神戸市内は甲南本通(再編時に甲南学園前を改称)より西が神戸特区(運賃については後述)となるため、神戸税関前行では整理券が発行される。起点と三宮付近を除き国道2号上を直進しており、三宮にも直通するため神戸市内を中心に利用者が多い。阪神・淡路大震災復興のシンボル事業とされる、神戸市の東部新都心エリア(HAT神戸)と三宮を結ぶ路線。基本的にはノンステップバス・ワンステップバスで運行している。昼間時のみ35分毎の運行。ただし昼頃に区間便があり、車両の取り替えが行われる。なお、三宮からは神戸市営バスもHAT神戸方面への路線を持っている(101系統、29系統)。2007年7月1日からは中央区役所前にも停車、さらに脇の浜住宅東・中央・西のバス停が新設。市バス29系統のHAT神戸内での西行きを補完するようになった。兵庫県阪神南県民局が企画・事業主体となり、2007年11月3日から2008年2月24日までの年末年始を除く土・日・祝日のみに運行された。西宮市と芦屋市の浜手に点在する酒蔵や美術館などを巡る観光ループバスである。「美術館コース」と「酒ぐらコース」が設定された。阪急バスとの共同運行。乗車は1日乗車券のみで、大人500円、小人250円。尼崎・神戸間約24kmの路線。阪神尼崎および三宮周辺を除き、国道2号を走る。通し利用は少ないが、通過する4市の中心部を通るため、全線を通して利用者が多い。尼崎市内では尼崎市営バス、西宮・芦屋市内では阪急バス、神戸市内では神戸市バスと共有する区間があるものの、以上3事業者は国道2号から途中で別の道に入ってしまう系統が大半のため、実質阪神電鉄バスの独擅場であった。阪神・淡路大震災直後は、電車代替バスの運行や国道2号の渋滞から運休を余儀なくされ、一時期は阪神西宮折返しとなったりもしたが、震災翌年には震災前の10分毎を12分毎に減じた他は元に戻った。上記の沿革でも述べられているように、阪神バスの前身である阪国バスが最初に営業を開始した大阪・福島 - 神戸・滝道間(後に神戸税関前まで延長)の路線を踏襲したものであるが、大阪側を短縮(大阪ローカル線が代替)し現在の形になった。それでも距離は長く、所要時間も1時間20から30分ほどかかった。しばしば、阪神電鉄国道線の廃止後に代替のため開設された路線だという誤解が見られるが、国道線開通(1927年)の2年後には営業を始めている。なお、西宮戎停留所は阪神西宮の国道沿いに当たる。停留所名には阪神国道線時代の名称を引き継いでいるものも多かった(他に北今津、甲南学園前など)。甲南学園前(現在の甲南本通)までの臨時便は1月9〜11日の西宮神社の十日えびす期間中に運行された。2009年4月1日の阪神バス分社化にあたり、定時性向上を目的に阪神尼崎 - 阪神芦屋(尼崎芦屋線・約12km)と阪神西宮 - 神戸税関前(西宮神戸線・約16km)とで系統分割した。過去に運賃を均一にして実質値下げを行ったため、乗り継ぎ割引等の措置は執られていない。2013年10月1日改正で全線通し系統が廃止された。2016年2月1日改正で先述の通り、浜田車庫発野田阪神前行きのみ短縮により廃止された。2013年10月1日改正で左回り系統が廃止された。1980年6月15日に六甲摩耶鉄道(現・六甲山観光)に譲渡しており、六甲山上バスとして運行している。さらに六甲山から阪神西宮への車庫へ回送を兼ねた運用をするための路線も存在した。芦有バス#(参考)接続路線も参照。1970年代中頃までは「第2阪神国道」と呼ばれる国道43号線上でも運行していたほか、大阪は梅田新道、さらに内本町の郊外線バスターミナルまで乗り入れていた。芦屋市内・尼崎市内。沿革にもあるように、尼崎市内は尼崎市営バスへの譲渡で国道2号および尼宝線を除きほとんど廃止、芦屋市内は不採算のため撤退。しかし、再び尼崎市交通局の全路線は2016年 3月20日に譲渡され、尼崎市内線として運転される。一部尼崎交通事業振興株式会社の路線を除く。すべて過去に存在したもので、現存しない。運賃は2016年2月1日現在。一般路線全線でPiTaPa、ICOCA、hanicaに対応する。2016年4月1日からはSuicaなど全国相互利用サービスにも対応している。PiTaPa利用の場合、1ヶ月の利用額(3,000円以上)に応じて割引となる。磁気式のスルッとKANSAI対応カードも利用可能だったが、2dayチケット・3dayチケットを除き2015年9月30日をもって一旦取扱を終了したが現在は尼崎市内線のみで利用できる。尼崎市内線には尼崎市交通局時代から発売されている専用の一日乗車券(大人500円・小児250円)があり、尼崎市内線で終日利用できる。定期券は大阪特区用、神戸特区用、尼崎特区用と、全線フリーの4タイプに加え、大阪特区・神戸特区・尼崎特区共通で乗れるタイプもある。阪神電車との連絡定期も発売されている。また、一部を除きICカード「hanica」で発券される。このほか、高齢者用には全線定期の「グランドパス65」が、通学用には全線利用可能な「スクールパス310」と特区のみ利用可能な「スクールパス210」が発売されている。グランドパス65には1年間定期、スクールパスには学期定期券および学年定期(4月1日から翌年3月31日までの1年間有効、ただし310のみ)も設定されている。また、尼崎市内線専用の「寿定期」(65歳以上)も尼崎市交通局時代から設定がある。なお、尼崎市に1年以上在住の70歳以上の高齢者に対しては、尼崎市交通局からの引き継ぎで「グランドパス65」の購入補助(一定額の負担が必要)もしくはhanicaによる運賃割引がある。また、同市在住の障碍者などの利用者には尼崎市内線が無料となる特別乗車証が交付されている。hanica定期券に限り(グランドパス65・スクールパス310を含む)、2016年2月1日から阪神バス・阪急バスとの間で、同じ運賃区間内であれば相互に利用できるようになっている。これら定期は阪神電車の主要駅定期券売り場(梅田駅・尼崎駅・甲子園駅・西宮駅・神戸三宮駅)と阪急バス宝塚駅案内所、阪神バスサービスセンター(阪神尼崎北バスターミナル内)で購入できるほか、尼崎市内の委託販売所(尼崎市交通局時代から存在する)でも発売を行っている。阪神電鉄が株式を上場していた時代の株主用全線パスは「電車全線・路線バス全線でご利用いただける優待乗車証(無記名・定期券式)」として、路線バスにも乗車可能だったが、2006年10月1日の阪急・阪神経営統合で阪急ホールディングス(当時)以外の阪神電気鉄道株主はすべて株式交換により阪急阪神ホールディングス株主となったことにあわせて株主優待内容が変更されたため、2006年9月30日現在の阪神電気鉄道株主に対して発行された同パスの有効期限満了となる2007年7月10日をもって阪神電鉄バス・阪神バスの利用はできなくなった。これは旧阪急ホールディングス(←阪急電鉄)の株主優待は阪急バスを優待乗車の対象としておらず、これに合わせることになったためである。2013年12月現在で全体で196台が在籍していたが、尼崎市交通局の移譲にともない322台に増加した。阪神線は三菱ふそう、日野自動車、いすゞ自動車製を、尼崎市内線は前記に加え日産ディーゼル製も使用する。日野製、いすゞ、三菱ふそう製。西日本車体工業(西工)製の車体を架装する車両もいる。一時期日野車が多く入っていたが、現在はいすゞがメインで投入されている。三菱ふそう、いすゞ、日産ディーゼル、日野製。日産ディーゼル車はすべて西工製車体である。年度により入札で購入していた。三菱ふそう車と日野車が在籍する。長らく三菱ふそう車のみでスーパーハイデッカー主体だったが、昼行路線は一部にハイデッカーも在籍する。2005年には日野車(セレガR)も登場した。塗装は運行開始当時の若手社員の提案による「サラダエクスプレス」と称する野菜のイラストが入ったものである。長距離高速バス用の塗装だったが、空港リムジンバスにも波及している。三菱ふそう車のハイデッカー車である。台数は少なく、一部は高速・空港バスの応援に入ることもある。塗装は大阪空港線の旧塗装車と同じデザインののち、ダークグリーンにゴールドのライン、白と赤の翼模様が入るものであったが、近年の車両はワインレッドにゴールドのラインが入ったものとなっている。なお、塗装はそのまま空港リムジンに転用されたものもある。阪神線(既存の阪神バス)車両は、ナンバープレートのほかに3桁の社番をつけている。無線番号も社番と一致する。100位の数字が、1・2はいすゞ、3・4は日野、5・6は三菱ふそうである(他に0は社用車を示す)。以後は通し番号である。路線バスは、車体側面窓下の最後部に大きめに書かれているが、さらに左側面には1708といった数字が書かれている。これは購入した時期を示している(1708は平成17年(2005年)8月)。高速、空港リムジン、貸切車は側面裾に小さな文字で書かれている。書体は独特のものが使われているが、全車に使われているわけではない。尼崎市交通局から移籍した車両は、交通局時代の番号をそのまま受け継いている。ハイフンの前に購入年度(和暦のため、平成20年度なら20となる)、ハイフンの後にメーカー別の番号(100番台:三菱ふそう、500番台:いすゞ、700番台:日産ディーゼル、800番台:日野)となっており、20-122などの番号で示される。2007年9月27日付の各新聞の報道によると、同社のバス運転手のうち8人が、乗務前の飲酒検査で、アルコールの陽性反応が見付かり、うち2人は、検査直前にマイカー出勤していたことが発覚した。同社は記者会見を開き謝罪したが、いずれのケースも警察には届けず、2人を乗務停止10日間の処分にとどめており、身内に甘い体質が問題となっている。他、阪急バスや京阪バス、南海バスなどでも、運転手の飲酒運転による乗務停止が、相次いで発覚しており、バス業界のモラルが問題視されている。同社の男性運転手が、1997年に腰の手術を受けた際、排泄行為が困難になる後遺症が残ったため、同社の前身である阪神電気鉄道は、この運転手に対し乗務時間の制限や時間外勤務の回避などの配慮を行っていたが、2009年の分社化後、経営合理化の一環として、これらの配慮を止める方針を決めた。運転手はシフトの継続を求め、神戸地裁尼崎支部に訴訟を起こした。また、同時に仮処分の申立ても行い、これに対し同支部は2012年4月9日付で、仮処分の申立てを認める決定を出した。

出典:wikipedia

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