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宇検村

宇検村(うけんそん)は、鹿児島県の奄美大島にある村の1つで、大島郡に属する。奄美大島の西南部に位置し、焼内湾と呼ばれる湾が村域に大きく食い込んでいる。この焼内湾の周囲が集落となっているが、村域の90%以上が山地である。1973年に東亜燃料工業(現東燃ゼネラル石油)が村内の焼内湾にある技手久島に石油備蓄基地建設を計画したことに端を発し、反対派住民の招きによって、当時鹿児島県トカラ列島諏訪之瀬島にコミューンを築いていたヒッピーである山田塊也らが宇検村に移住し、反対運動を展開した。その後、1984年10月には建設計画は撤回されたが、入植者グループは村内の久志集落に定住し、コミューンを「無我利道場」と名付け共同生活を営んでいた。1987年頃から入植者グループの子供達が地元の小学校に登校することを止めたことなどから地元住民との関係が悪化しはじめ、村議をはじめとする村の有力者によって「無我利道場解体村民会」が結成された。1988年8月に東京の右翼団体松魂塾の代表者が無我利道場の母屋の所有権を取得し、街宣車で入植者グループの追い出しを図り始めた。(1990年1月にはこの街宣活動について軽犯罪法違反容疑で構成員5名が逮捕された。)、同年10月30日松魂塾の構成員がダンプカーで無我利道場に突入し母屋を破壊、入植者1名に重傷を負わせる。(刑法の建造物損壊罪、傷害罪で5名が逮捕された。)1989年9月「無我利道場」の共同生活は解散し、各世帯での生活を始めたが、その後も追放運動が続けられたため、1990年7月には入植者グループが追放派の住民に損害賠償を求める訴えを提起した。一方、1991年11月には追放派の住民らが「平穏に生活する権利を侵害されている」として入植者グループに損害賠償を求める訴えを提起した。1993年11月17日、鹿児島地方裁判所名瀬支部において入植者グループと地元住民との和解が成立し、入植者グループが地元社会との相互理解に努力すること、地元住民が追放運動を停止することなどが合意された。さほど多くもない村民が「入植者グループ」「追放派」「追放運動拒否派」に分かれ、また右翼団体や人権運動家らの島外者も入り乱れ、村内に大きな禍根を残した事件である。事件を取材したノンフィクション作品に『漂流者たちの楽園』(横田一、朝日新聞社、1991年)がある。2004年2月13日に村議会において名瀬市、瀬戸内町、笠利町、大和村、住用村と構成する奄美大島地区合併協議会への参加を決議。その後、村議会で合併反対案が決議され、2005年1月31日に合併協議会から離脱することを正式に表明。(瀬戸内町と大和村も離脱。名瀬市、笠利町、住用村は2006年3月20日に合併し奄美市となった。)2006年6月に村の要請により原子力発電環境整備機構が、高レベル放射性廃棄物の最終処分場についての説明会を開催。最大で年に20億円、調査の期間を通じ70億円が交付されるという国の電源立地交付金制度を当て込んだものだったが、反対意見も多く誘致は断念された。

出典:wikipedia

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