コンバートとは、スポーツにおいて、選手の守備位置(ポジション)を転向させることを言う。コンバートのもともとの意味は「(宗教の)改宗」である。野球では、チーム事情、選手の守備力などの関係で、ポジションがコンバートされることがある。プロ野球では、キャンプから練習を始める選手がほとんどである。プロ野球では、一定以上の期間、内野の要である遊撃手あるいは二塁手としてプレーしてきた選手が、自身の衰え、または守備力の高い選手の新加入によってコンバートされる(ポジションを追われる)ケースが非常によく見られる。移動先はたいてい守備範囲が狭くてすむ三塁手または一塁手であるが、現役晩年には三塁手を経て一塁手にコンバートされるケースも多い。主な例としては、落合博満(ロッテ→中日→巨人→日本ハム、二塁手→三塁手→一塁手)や、高木豊(大洋→日本ハム、遊撃手→二塁手→一塁手)や、藤田平(阪神、遊撃手→一塁手)や、野村謙二郎(広島、遊撃手→三塁手→一塁手)や、田中幸雄(日本ハム、遊撃手→三塁手→一塁手)や、宮本慎也(ヤクルト、遊撃手→三塁手)や、小久保裕紀(ダイエー→巨人→ソフトバンク、二塁手→三塁手→一塁手)などが挙げられる。ただし、遊撃と二塁や、遊撃と三塁や、二塁と三塁や、三塁と一塁などといった、複数のポジションを守れる内野手は珍しくないため、コンバートとは言わないが守備位置を変えて出場する(例えば、本来三塁手の選手が一塁手として試合に出場する)ケースは非常によく見られる。日本の高校野球などアマチュア野球では、ポジションの適性を重視するよりも最も運動能力が優れているという理由で投手を決めることが多いため(いわゆる「エースで4番」)、投手として入団し、間もなく野手にコンバートされる選手も多い。プロに入団する選手がこのようにコンバートされることは必然的なものとも考えられる。その例としては川上哲治、王貞治らが代表的である。アメリカや中南米では遊撃手が一番重要なポシジョンと見られているため、同じ理由で遊撃手として入団した後コンバートされる例が多い。プロ入りから一定期間経ってから投手から野手へコンバートされた選手としては、元広島の石井琢朗(投手→三塁手→遊撃手)、元西武の嶋重宣(投手→一塁手→外野手)、元ヤクルトの宮出隆自(投手→外野手)、オリックスの糸井嘉男(投手→外野手)などがいる。投手と野手の両方で実績を残した選手としては、元阪急の野口二郎(830安打・237勝)、元中日の西沢道夫(1717安打・60勝)、元近鉄の関根潤三(1137本安打・65勝)などがいる。基本的に内野守備は守備の基本であり、内野手(主に遊撃手、三塁手)としてスローイングや打球勘などを磨いてから外野に転向させるパターンもある。ソフトバンクの江川智晃は三塁を経て守備の名手となった秋山幸二の意向により、最終的に外野手への転向も視野に入れて内野手に転向し、現在は外野手となっている。捕手というポジションは特殊な技術が要求されるので、俊足・強打が売りの選手が出場機会を増やすため野手にコンバートされる場合がある。基本的に打力が評価されてのコンバートであるためたいていの場合は守備範囲が狭くてすむ一塁手か三塁手である。一塁手へのコンバートは捕手から内野手へのコンバートの中で最も多いコンバートである。その要因としては、基本的に打力が評価されてのコンバートで守備は期待されていない、アマチュア時代から野手と全く違う特殊技術を必要とする捕手を守っていたためフィールドプレーヤーとしての基本技術がほとんどないためとされる。両ポジションの共通点として味方からの送球(投球)を捕球することが非常に多くグラブではなくミットを使うこと、体格の大きい選手が守る傾向があることが述べられる。両方とも捕球がメインとなるポジションであるが、体でブロックするようにバウンド捕球をする捕手に対して、一塁手はシングルハンドですくいあげるように捕球しないといけないという相違があるため、捕手から一塁手に転向した選手はショートバウンドの捕球を苦手とする傾向にある。二塁手、遊撃手へのコンバートは捕手から内野手へのコンバートの中で最も少ない。要因としては高い守備技術が要求される二遊間にフィールドプレーヤーの経験がまったくない捕手からのコンバートは非常に厳しいとされる。俊敏さを要求される二遊間に対し、捕手は体格が大きく、敏捷性に乏しい傾向にあるためとも言われる。逆に、身体能力が高く敏捷性に富んだ若手捕手が二遊間に転身することがまれに見られる。三塁手へのコンバートは一塁に次いで捕手からのコンバートが多い内野手である。二遊間ほど敏捷性や高い守備技術が要求されないこと、強い地肩が要求されると言う点で両ポジションの適性が一致しているためとされる。しかし、高いレベルで試合に出られる守備技術を習得するのに時間がかかるため高卒直後や若手選手が三塁へのコンバートを決断する傾向にある。ポジションの選択肢が広まる(三塁を経て他のポジションに移ることも多い)ため若い捕手は一塁より三塁へのコンバートが好まれる傾向にある。また一塁を経て三塁へ再コンバートされることも多い。代表的な例は、元西武の田淵幸一(捕手→一塁手)、高木大成(捕手→一塁手・外野手)、貝塚政秀(捕手→一塁手・外野手)、元広島の衣笠祥雄(捕手→一塁手→三塁手)、江藤智(捕手→三塁手→一塁手)、元巨人の木村拓也(捕手→二塁手・遊撃手・外野手)、元ダイエーの吉永幸一郎(捕手→一塁手)、元オリックスの北川博敏(捕手→一塁手)、高橋信二(捕手→一塁手)、元中日の山崎武司(捕手→外野手→一塁手)小笠原道大(捕手→一塁手→三塁手)、元ヤクルトの岩村明憲(捕手→三塁手)など。現役選手では楽天の銀次(捕手→二塁手)、阪神の今成亮太(捕手→外野手→三塁手)、巨人の阿部慎之助(捕手→一塁手→捕手)などの例がある。内野手へのコンバート同様、打力が評価されてのコンバートである。俊敏な選手は走力を生かすため一塁手や三塁手ではなく外野にコンバートする傾向にある。野手経験が少ないため基本技術を内野手ほど要求されないということもあり一塁手へのコンバート同様、捕手からのコンバートが多い。代表的な例は、元東映の白仁天、元オリックスの石嶺和彦、元ヤクルトの飯田哲也(捕手→二塁手→外野手)、秦真司、元大洋の屋鋪要、元阪神の浅井良、元西武の垣内哲也、元中日の関川浩一、和田一浩、元楽天の礒部公一など。現役選手では阪神の狩野恵輔、中谷将大、日本ハムの米野智人、楽天の岡島豪郎などの例がある。守備に難があるが身体能力に優れた内野手は、その強肩・俊足を生かすために外野手にコンバートされる場合がある。秋山幸二はプロ入り後、投手から三塁手にコンバートされたが、スローイングに難があり、当時の森祇晶監督から「これからは外野を走り回る選手が華となる時代だから、外野に行け」と言われ、センターにコンバートされたことで守備の才能が一気に開花した。同じように田口壮(カージナルス)、福留孝介(カブス)は内野手として入団したが、守備で難がある部分が多く外野コンバート、その後外野守備の名手に成長している。松井秀喜(ヤンキース)はプロ入り前は三塁手であったが、プロ入り後は外野手にコンバートされている。新庄剛志(元阪神・日本ハム)は外野手として入団したが1年目に立浪和義の守備から刺激を受け、志願して遊撃手へ転向し一軍で使われ始めた。他に三塁手・二塁手としての一軍出場経験があり、オールスターゲームに三塁手で出場したこともある。しかしやはりその俊足と強肩は外野手にしないともったいないということで中堅手にコンバートされ、その後外野手として華々しい活躍を収めた。(なお、コンバート以後も時々内野手として出場している)他には、元南海の広瀬叔功(遊撃手→中堅手)、元阪神の真弓明信(遊撃手→二塁手→外野手)、元ロッテの西村徳文(二塁手→三塁手→外野手)、元横浜の波留敏夫(遊撃手→外野手)、金城龍彦、(三塁手→外野手)、元ヤクルトの福地寿樹(二塁手→外野手)、元日本ハムの赤田将吾(二塁手→外野手)、元楽天の森山周(遊撃手・二塁手→外野手)、元オリックスの鉄平(遊撃手→外野手)など。現役選手では、ロッテのサブロー(遊撃手→外野手)、DeNAの梶谷隆幸(遊撃手→外野手)、桑原将志(二塁手→外野手)、日本ハムの陽岱鋼(遊撃手・三塁手→外野手)、西川遥輝(二塁手→外野手)、ソフトバンクの吉村裕基(三塁手→一塁手→外野手)、福田秀平(遊撃手→外野手)、巨人の鈴木尚広(遊撃手→二塁手→外野手)、大田泰示(三塁手・一塁手→外野手)、堂上剛裕(一塁手→外野手)、立岡宗一郎(三塁手→外野手)、広島の鈴木誠也(遊撃手→外野手)などの例がある。左翼手は他の外野と違い、守備範囲が狭い上に強肩も中堅手、右翼手に比べると必要とされず、比較的守りやすいポジションである。そのため他からのコンバートが多く、「最もハードルが低いポジション」とも言われる。中には内野手としての適性を見切られた選手や、一塁手や指名打者に起用したい選手が複数いる場合などに仕方なく左翼を守らせたり、打撃が好調なのに内野にポジションが無いため、いわば「後ろ向きのコンバート」もある。また、現役晩年に内野手では守備範囲が狭くなり、左翼にコンバートされるケースも多い。代表的な例は、元中日の大島康徳(三塁手→左翼手→一塁手)、元日本ハムの田中幸雄(遊撃手→左翼手→遊撃手→一塁手)、元横浜の古木克明(三塁手→左翼手)、元楽天の草野大輔(三塁手→左翼手)など。現役選手では、ソフトバンクの松中信彦(一塁手→左翼手)、内川聖一(二塁手→一塁手→左翼手)、日本ハムの中田翔(三塁手→一塁手→左翼手)、ヤクルトの畠山和洋(一塁手→左翼手→一塁手)、楽天の枡田慎太郎(遊撃手→三塁手→左翼手)、松井稼頭央(遊撃手→左翼手→右翼手)、DeNAの筒香嘉智(三塁手→左翼手)、巨人の中井大介(二塁手→左翼手)などがある。また、現役晩年に左翼を守ったケースとして、有藤道世(三塁手→左翼手)、高橋慶彦(遊撃手→左翼手)、原辰徳(二塁手→三塁手→左翼手→一塁手→三塁手)などがある。プロ野球では、肩や守備力の衰えた外野手が打撃力を活かす目的で一塁手へコンバートされる事がよくある。主な例としては山﨑武司(中日→オリックス→楽天→中日)や、稲葉篤紀(ヤクルト→日本ハム)などが挙げられる(ただし、その場合は過去に豊富な打撃成績を残していることが求められるケースが多い)。また、プロ野球では比較的少ないが、外野手から一塁手以外の内野のコンバートで成功したケースとしては、日本ハムからトレードで移籍してきた張本勲に左翼手のレギュラーポジションを奪われる形で三塁手へ転向した高田繁(巨人)が挙げられる。日本球界では、プロ入り後、他のポジションから投手や捕手にコンバートされる例は極めて珍しい。斎藤隆は一塁手として甲子園に出場したが、大学時代に投手へコンバートされた(同じような経歴に上原浩治、近藤貞雄がいる)。岩瀬仁紀は大学では主に外野手として活躍、通算安打でリーグ2位の記録を持つ。高橋建は、大学時代に野手として通算17本塁打を放っている。ここに挙げた5人はいずれもプロ入り前のコンバートであるが、プロ入り後のコンバートは、以下の選手が挙げられる程度である。例外に、元広島のフェリックス・ペルドモが内野手から投手へ転向(と言うより二刀流)した例がある。新庄剛志は、阪神時代に投手としてオープン戦に出場した事がある。コンバートとは違うが池辺巌(元阪神)、五十嵐章人(元ロッテ)、金村義明(元近鉄)、井生崇光(元広島)などは捕手を全部使い切ったときに急造捕手として出場したことがあった。マイナーリーグでは選手の適性を見極めて育成が行われるためコンバートが頻繁に行われる。アメリカや中南米のアマチュア野球では最も身体能力の優れた選手は投手ではなく遊撃手になる。そのため、日本とは違い投手から野手へのコンバートは意外に少なく、遊撃手から投手を含めた他のポジションにコンバートされることのほうが多い。そのため、遊撃手から投手へコンバートされた選手も少なくない(トレバー・ホフマン、ジョー・ネイサンなど)。また、肩の強さを生かすために捕手から投手へと転向する選手もいる(トロイ・パーシバル、ジェイソン・モット、ケンリー・ジャンセンなど)。ナックルボーラーとして有名なボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールドもピッツバーグ・パイレーツ時代にナックルボールを習得し、内野手から投手に転向している。外野手から投手への転向は、最多セーブを獲得したラファエル・ソリアーノなどがいる。
出典:wikipedia
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