ヨーク公爵アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York、洗礼名: アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード; "Andrew Albert Christian Edward"、1960年2月19日 - )は、イギリス王室の成員・貴族・軍人で、現ヨーク公爵。名前については、伝統的なカタカナ転写のアンドリューの表記も日本では散見される。エリザベス2世女王の第3子で次男。兄はウェールズ公チャールズ。イギリス王位継承順位第6位。公式の称号および敬称は“His Royal Highness The Duke of York”(ヨーク公爵殿下)。公邸はロイヤル・ロッジ。1960年2月19日、エリザベス2世女王とエディンバラ公フィリップ王配の次男として、バッキンガム宮殿にて誕生した。兄にウェールズ公チャールズ、姉にプリンセス・ロイヤル・アン、弟にウェセックス伯エドワードがいる。同年4月8日に、宮殿内でカンタベリー大主教のジェフリー・フィッシャーから洗礼を受けた。代父母には、グロスター公ヘンリー、アレクサンドラ・オブ・ケント等がいる。アンドルーという名前は、父方の祖父であるギリシャ王子アンドレオスにちなんだものである。幼い頃は、兄チャールズと同様に家庭教師によって就学前教育を施された。1977年1月には、兄と同じスコットランドのゴードンストン校に進学した。同年6月まで同校で学んだ後は、交換留学生としてカナダ・オンタリオ州のレイクフィールド・カレッジ・スクールに渡り、2年後の1979年7月に英語・歴史・経済学の3科目でAレベルの成績を修めて卒業した。その後は、海軍兵学校へ進学する事を志望した。1978年11月に、アンドルーが海軍に入隊する事を志願している事が発表され、12月より体力測定や面接など様々な試験を受ける事となった。1979年の3月から4月にかけて、海軍兵学校においてパイロットとしての試験を受け、ヘリコプターパイロット見習として認められ、同年5月11日より12年間の契約を結ぶ事となった。1979年9月1日に、アンドルーは海軍少尉候補生に任命され、9月12日に海軍兵学校に入学した。他の少尉候補生の例に漏れず、アンドルーも1980年の1年間は、海兵隊のコマンド部隊に参加する義務を負った。兵学校を卒業した後は、空軍で基礎的な飛行トレーニングを終えた後、海軍で汎用小型ヘリコプター“ガゼル”を操縦する技術を学んだ。その後、アンドルーは対潜水艦攻撃用ヘリコプター“ウエストランド シーキング”の操縦士に転向し、同機の操縦技術を習得した。1982年には、第820海軍航空隊に加わり、航空母艦“インヴィンシブル”に乗艦した。1982年のフォークランド紛争勃発に伴い、アンドルーもヘリコプターのパイロットとして従軍する事となった。アンドルーが乗艦していたインヴィンシブルは、海軍が使用できる航空母艦2隻のうちの1隻で、島を奪還する為に南方に航行する特別編成艦隊の中心的役割を果たす事となっていた。当初、イギリス政府はアンドルーが戦死する事を避ける為、インヴィンシブルに乗組み続ける事を懸念し、彼を後方事務の仕事へ異動させる事を望んでいた。しかし、母のエリザベス女王が許可した為、アンドルーはシーキングの副操縦士として、インヴィンシブルに乗艦し続ける事となり、アンドルーは対潜戦や対水上戦作戦などの任務を、他の将兵と同様に遂行するようになった。紛争中のエピソードとしては、イギリス艦隊はアルゼンチン軍のミサイル攻撃に苦しんでいたのだが、アルゼンチン軍の対艦ミサイル、エグゾセが艦よりも小さな対象―ヘリコプターも追尾してしまう事が判明した。ヘリを艦を守るためのデコイにすることが出来ることに気付いたパイロット達は、自発的に囮の任についた。空襲警戒警報発令と共に空中に飛び立ち、ミサイルが飛来したならばわが身を持って艦を守るのである。この任に当たる者はジャンケン(のようなもの)で順番を決め、ローテーションで交代していたが、アンドルーもまた当然のようにこの任に当たっていたという(なお、この行動を始めた後、実際に対艦ミサイル攻撃が行なわれる事はなかった)。紛争終了後、エリザベス女王・フィリップ王配夫妻は、ポーツマスの軍港まで、他の搭乗員の家族に混じって帰港を出迎えた。2014年12月29日、フロリダ州ウェストパームビーチの地裁に訴状が提出された訴訟において、アンドルーが未成年の少女と性交渉を持ったとする疑惑が浮上した。原告は、未成年だった1999年から2002年の間に、アンドルーの友人であるアメリカ人実業家、から、アンドルーを含む複数の男と性的関係を持つよう強要されたとしている。エプスタインは、2008年に未成年を売春させた罪で有罪となり、18ヶ月の刑期のうち13ヶ月を獄中で過ごし、2009年に釈放された。その後2011年に、エプスタインはプライベート・ジェットで英空軍基地を使用してアンドルーを訪問している。イギリス王室は、アンドルーと未成年者との性的関係に関する疑惑について、「全くの虚偽」と否定する声明を出したが、(相手の年齢についてアンドルーが認識していたかどうかは別としても)各種証拠からアンドルー本人が未成年の少女と性的関係を持ったことは明らかであり、王室のイメージの大幅な毀損は避けられない事態となっている。この原告女性は匿名での報道を望んでいたが、2015年1月4日に、イギリス王室が出した2度目の声明では、アンドルーの性的接触ないし関係を持ったとする疑惑を、1度目より強い調子で否定するとともに、原告女性の名前を公表している。イギリスでは、性的犯罪は、関係者が実名報道を望まない限り、匿名で報じる慣習があるが、イギリス王室はこの慣例に反して、被害者の実名を出して批判した。1986年7月23日に、セーラ・ファーガソンとウエストミンスター寺院で結婚式を執り行い、それに伴い、嘗て曽祖父のジョージ5世や祖父のジョージ6世が保有していたヨーク公爵・インヴァネス伯爵・キラニー男爵の爵位を授かった。夫妻はの2女をもうけたが、1996年に離婚した。
出典:wikipedia
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