LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

五味隆典

五味 隆典(ごみ たかのり、1978年9月22日 - )は、日本の男性総合格闘家。神奈川県愛甲郡愛川町出身。久我山ラスカルジム主宰。元PRIDEライト級王者。元修斗世界ウェルター級王者。KO勝利(本人曰く『スカ勝ち』)にこだわるアグレッシブな試合が持ち味。2006年7月22日に東京都杉並区久我山に自身のジム「久我山ラスカルジム」を開き、以降はこのジム所属扱いとなっている。中学時代は野球部でピッチャーをしていた。野球をやめた後にテレビでボクシングを見て、直感的に格闘技が自分の進むべき道だと確信したという。高校入学直後に相模原ヨネクラボクシングジムに入門し、格闘技の道に進み始める。本人は「何も挑戦しないまま人生終えるのが嫌だと思ってボクシングに挑戦した」と語っている。16歳の時、木口道場レスリング教室に入門。木口宣昭会長のもとレスリングを学び、総合格闘技を始めた。高校を1年で中退し、五味に警察官になって欲しかった父親との仲が悪くなり、縁を切られた。1998年11月、修斗にてプロデビュー、以降連勝を続けた。2001年8月26日にはウェルター級(-70kg)王座決定戦を三島☆ド根性ノ助と行う予定であったが、三島の左脇腹の負傷により試合は中止となった。12月16日には修斗ウェルター級王座決定戦で佐藤ルミナに3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。2002年はレオナルド・サントス、クリス・ブレナンに判定勝ちし、12月14日には前年に中止となった三島戦を迎える。2Rにフックでダウンを奪い、その後タックルにきた三島にパンチを浴びせTKO勝ちを収め、初防衛に成功した。2003年8月10日にヨアキム・ハンセンに敗れ、デビュー以来の連勝は13でストップ、ウェルター級王座からも陥落した。10月10日、ハワイで開催されたRumble on the Rock 4の世界ライト級王座決定戦でBJ・ペンと対戦。何度もバックマウントを取られパンチを浴び、最後はチョークスリーパーで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。2004年2月15日、PRIDE初参戦となったPRIDE 武士道 -其の弐-でシュートボクセ・アカデミーのジャドソン・コスタにマウントパンチでTKO勝ち。その後、それまで総合では無敗だったハウフ・グレイシーに試合開始6秒でKO勝ちするなど、海外選手を相手に6連続1ラウンドでのKOまたは一本勝ちを記録し名実ともにPRIDE軽量級のエースとなった。2005年9月25日に開催されたPRIDEライト級(-73kg)トーナメントに出場。1回戦で修斗世界ウェルター級王者川尻達也と対戦し、1ラウンドにチョークスリーパーで一本勝ち。準決勝ではルイス・アゼレードに僅差の判定勝ち。大晦日の決勝戦では、修斗時代の先輩でもある桜井"マッハ"速人と対戦、1ラウンドにパンチラッシュでKO勝利しPRIDE10連勝を飾るとともにトーナメント優勝を果たした。2006年3月31日、初代PRIDEライト級王座に認定された。2006年4月2日、PRIDE 武士道 -其の拾-でZST GP王者マーカス・アウレリオとノンタイトル戦で対戦し、肩固めで見込み一本負けを喫した。2006年8月26日、PRIDE 武士道 -其の十二-で修斗欧州ミドル級(-76kg)王者デビッド・バロンと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた。2006年11月5日、PRIDE 武士道 -其の十三-のライト級タイトルマッチでマーカス・アウレリオと再戦。試合は両者共に前に踏み出せずに膠着が続いたものの、2-1の判定勝ちを収め王座の初防衛に成功した。2006年12月31日、PRIDE 男祭り 2006で石田光洋と対戦し、1ラウンドKO勝ち。2007年2月24日、アメリカ合衆国で開催されたPRIDE.33で試合前からジョルジュ・サンピエールらUFC王者と戦いたいとコメントをしていたが、五味の希望は叶わず、ニック・ディアスと対戦。フットチョークにより一本負け。その後、ディアスの薬物使用(マリファナ)が発覚し、ネバダ州アスレチック・コミッションの決定により4月9日付けで無効試合となった。3月21日、第13回全日本コンバットレスリング選手権の73kg級で優勝を果たした。その後はPRIDEの消滅もあり、2007年は試合はすることは無かった。12月29日にラスベガスで行われたUFC 79に来場したが、最終的に参戦には至らなかった。2008年1月31日、新団体「戦極」への参戦が発表された。エースとしての扱いを受け、3月5日の旗揚げ戦・戦極 〜第一陣〜でドゥエイン・ラドウィックと対戦。1Rに左フックでダウンを奪い、出血によるドクターストップでTKO勝ち。続く8月24日の戦極 〜第四陣〜ではDEEPライト級王者ハン・スーファンに判定勝利を収めるも、11月1日の戦極 〜第六陣〜では無名のセルゲイ・ゴリアエフに1-2の判定で敗れ、2年半振りの敗戦を喫した。試合後、同大会で五味への挑戦権を賭けたライト級グランプリの優勝を決めた北岡悟との対戦が2009年1月4日に行われることが決定した。2008年11月30日、全日本コンバットレスリング・オープン選手権73kg級に出場。決勝で永田克彦と対戦し、ポイント1-0で判定勝ちを収め、優勝を果たした。2009年1月4日、戦極の乱2009の戦極ライト級チャンピオンシップで北岡悟と対戦し、アキレス腱固めで一本負けを喫し王座獲得に失敗した。2009年5月10日、5年9か月ぶりの参戦となった修斗で世界ウェルター級王者中蔵隆志と対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。試合後、リング上で「帰ってきたぜ!」と絶叫した。2009年8月1日に開催予定であったAffliction: Trilogyでハファエロ・オリヴェイラと対戦予定であったが、大会が中止となった。2009年10月30日、10年ぶりの開催となったVALE TUDO JAPAN 09のメインイベントでKOTC世界ライト級王者トニー・ハービーと対戦し、3Rまでは優勢に試合を進めるも4Rから失速し、3-0の判定勝ち。試合前には「いい勝ち方をしてリング上で言いたいことがある」と発言していたが、試合後のリング上で「大晦日に魔裟斗選手と…無理だよ。やめる!」と大晦日での引退を公表している魔裟斗との対戦を考えていたものの、納得した勝ち方ができなかったことで尻すぼみの発言となった。2010年1月にUFCと契約したことを発表。UFCデビュー戦となった3月31日ののメインイベントではケニー・フロリアンにチョークスリーパーで敗れ、黒星デビューとなった。2010年8月1日、でタイソン・グリフィンと対戦し、開始1分余りで右フックによるKO勝ちを収め、UFC初勝利を挙げるとともにノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後に十八番の駆け上りを金網で実現するも、金網を上ったことを注意された。2011年1月1日、UFC 125でクレイ・グイダと対戦し、2R終盤にギロチンチョークで一本負けを喫し、UFCでの戦績を1勝2敗とした。2011年9月24日、UFC 135でネイト・ディアスと対戦。得意なはずのスタンドの打撃で全く対抗できず一方的に打ち負け、テイクダウンで逃れようとするが腕ひしぎ十字固めで一本負け。UFC2連敗になり、戦績は1勝3敗となった。2012年2月26日、日本で開催されたUFC 144で光岡映二と対戦し、2RTKO勝ち。UFC2勝目を挙げた。当初はジョージ・ソテロポロスとの対戦が予定されていたが、ソテロポロスが怪我で欠場となり、対戦相手がUFC初参戦の光岡に変更された。試合後のマイクアピールでは「火の玉が帰ってきたぜ!」と叫んだ。2012年11月10日、UFC on Fuel TV 6でマック・ダンジグと対戦し、2-1の判定勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2013年3月3日、日本で開催されたUFC on Fuel TV 8でディエゴ・サンチェスと対戦。計量でサンチェスが契約体重オーバーとなり計量をパスできず、罰則としてサンチェスが五味にファイトマネーの20%を支払う事で試合が成立した。試合では1-2の判定負け。僅差の判定であったためこの試合は五味の勝利と見る見解があり、会場ではサンチェス勝利となった瞬間にブーイングが起こった。海外のMMAサイトの採点結果では12人中12人の記者が五味勝利としており、手数や有効打など五味の方が上回っていたという集計も出た。UFC代表のダナ・ホワイトは「なぜあれでサンチェスの勝ちになるんだ?実に馬鹿げてる」と発言。試合中に五味は右手甲の中手骨を粉砕骨折したため、再起戦は遠のいた。2014年4月26日、1年1か月ぶりの復帰戦となったUFC 172でアイザック・ヴァリーフラッグと対戦し、3-0の判定勝ち。自身2度目のファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2014年9月20日、日本で開催されたにてライト級ランキング9位のマイルズ・ジュリーと対戦し、TKO負け。キャリア初のKO負けとなった。修斗時代には判定勝利も多かった五味だが、PRIDE武士道においてはKO率8割を誇り、しかもその全てが1Rで決着するというストライカーであった。五味自身、KO勝利を「スカ勝ち」と呼び非常にこだわっており、2004年12月31日のPRIDE 男祭り 2004では勝利後にリング上で「大晦日に判定?駄目だよ、KOじゃなきゃ!」と発言している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。