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あさかぜ (列車)

あさかぜは、1956年から2005年まで東京駅 - 下関駅・博多駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた日本国有鉄道(国鉄)・JRの寝台特別急行列車である。また、このページでは、関連した東京と主に山陽地方・福岡県を結んだ急行列車の沿革についても記述する。国鉄が1956年に東京駅 - 博多駅間に設定した寝台特急であり、ブルートレインの先駆けとして、また、東海道・山陽本線および九州内の代表格列車の一つとして知られた。1960年代には冷暖房完備の20系客車が新造投入され、国鉄を代表する花形列車として人気を集めた。20系客車は「日本最初のブルートレイン」として「あさかぜ」に投入された。また、関西圏を深夜に走行して東京と九州を直通させる列車ダイヤは、以降の同様な直通列車の設定に大きな影響があったとされる。当初は二等寝台車のちにA寝台の割合が高かった編成の豪華さから、殿様列車・殿様あさかぜと通称された。1970年代以降は、航空機・東海道・山陽新幹線・高速バスが台頭したため、まずは優等旅客が航空機利用への転移によって減少しはじめ、1975年には全A個室寝台車ナロネ20形の連結が廃止された。さらに1970年代後半以降の国鉄運賃・料金の大幅な値上げなどによってB寝台車の利用者も減少していった。運行後期の乗車率は20 - 30%程度 と低迷していた。285系電車の投入計画もあったが実現していない。このため、東京駅 - 博多駅間の1往復が1994年12月2日に定期運転を終了 し、2000年12月を最後に臨時列車としても運転を終了、東京駅 - 下関駅間の1往復も、2005年3月に廃止された。あさかぜは「朝に吹く風」というさわやかなイメージから。列車名の選定に際しては、「夜行列車は天体にちなむ名前」となっていたが、同時に「特別急行列車では鳥ないしは自然現象に由来するものまたは、日本を象徴するもの」となっていた。そのことから「特別急行列車」という点を意識したものが重視された。当初は「富士」を使用する予定とされていたが、富士山の麓に近い富士駅付近を通過するのは夜間・早朝に掛かり見づらいことから、特急列車という点を意識し「朝に吹く風」というさわやかなイメージをもつ「あさかぜ」に決まったとされる。東京駅 - 横浜駅 - 熱海駅 - 静岡駅 - (浜松駅) - (名古屋駅) - 〔大阪駅〕 - 〔姫路駅〕 - 岡山駅 - 〔倉敷駅〕 - 〔新倉敷駅〕 - 福山駅 - 尾道駅 - 三原駅 - 西条駅 - 広島駅 - 宮島口駅 - 岩国駅 - 柳井駅 - 光駅 - 徳山駅 - 防府駅 - 新山口駅 - 宇部駅 - 下関駅西日本旅客鉄道(JR西日本)の下関地域鉄道部下関車両管理室に所属していた24系25形客車が使用されていた。なお、下りは岩国駅 - 下関駅間、上りは下関駅 - 広島駅間において立席特急券でB寝台を普通座席車扱いで利用できた(寝台券も参照)。全区間JR西日本下関地域鉄道部下関乗務員センターが担当していた。ただし、下りの東京→広島間は広島車掌区が担当した。下表に、「あさかぜ」に使用された車両とその用途・座席の等級を示す。旧国鉄では1960年6月30日まで三等級制度下で、1969年5月9日まで二等級制度下で運賃・特別急行料金・寝台料金が決められた。そのため、時期により一等車と二等車の定義が異なる。本列車の登場時から1960年6月30日までの二等寝台車および1969年5月9日まの一等寝台車は使用車種・寝台装備の関係で、ABCの三段階での表記をおこなった。そのため、単一運賃制度を採用した1969年5月10日以降のA寝台・B寝台との混用を避けるため、1960年6月30日までの二等寝台車については「二等寝台車 (A) 」、1969年5月9日までは「一等寝台車 (A) 」のように表記する。20系客車が登場した1958年10月まで、特急列車の号車表記は進行方向から1号車、2号車と表示した。本表では下り博多行き列車の場合を基準とした表記(左から1号車、2号車…)を行う。上り東京行き列車の場合は図の右側が進行方向となるが、実際の号車表記は右端の車両から1号車、2号車…の順であった。

出典:wikipedia

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