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ダイナガリバー

ダイナガリバーとは日本の競走馬である。アンバーシャダイと並ぶノーザンテーストの代表産駒で、数々の名馬を輩出したノーザンテースト産駒のなかでも唯一の日本ダービー馬である。社台グループ初の日本ダービー優勝馬でもある。※馬齢は旧表記に統一する。デビューは1985年8月の函館での新馬戦。1番人気に支持されながら2着に終わったが、折り返しの新馬戦で1番人気に応えて勝利した。この2戦は吉永正人が騎乗している。その後、ソエがでて間隔が開き、12月の中山でのオープン特別・ひいらぎ賞に出走。久々の出走に加えて初の2000mという事で3番人気だったが、レースでは2着のマウントニゾンに1馬身1/4の差を付けて快勝した。このレースからラストランまで増沢末夫が騎乗する事になる。4歳になり共同通信杯4歳ステークスから始動した。1番人気に支持されたこのレースでは先行して抜け出すというレースぶりで1分48秒7のレースレコードで快勝した。しかし、次走に予定していたスプリングステークスが降雪のため、翌週に延期された。無理して使っても中1週で皐月賞に挑む事になるため、スプリングステークスをパスしたダイナガリバーはぶっつけで皐月賞に挑む事になった。皐月賞は朝日杯3歳ステークスの勝ち馬ダイシンフブキに次ぐ2番人気に支持された。しかし、調整に狂いが生じていたのか動きに鋭さがなく、ダイナコスモスの10着に大敗した。日本ダービーは23頭立て、晴れの良馬場という絶好のコンディションで行われた。社台グループの総裁・吉田善哉は「ダイナガリバーでダービーを獲る」と高らかに宣言したのにも関わらず、皐月賞の大敗が響き、NHK杯を快勝した関西の秘密兵器ラグビーボール、皐月賞馬ダイナコスモスに次いで3番人気に甘んじた。1000mを62秒5とスローで流れたこのレースで道中前めにつけ、直線で先頭に立つと、追ってきたグランパズドリームを半馬身抑えて優勝した。騎乗した増沢はこの時48歳7か月5日であり、史上最年長のダービージョッキーとなった。ダービー後、秋はセントライト記念から始動。1番人気に支持されたがレジェンドテイオーの4着に敗れた。続く京都新聞杯も2番人気に支持されながらタケノコマヨシの4着に終わり、「ダイナガリバーは右回りでは走らない」「ダイナガリバーはダービーでもう仕事を終えた」と競馬関係者に思われるようになった。ところが、5番人気に人気が落ちたクラシック最終戦の菊花賞では持ち前の先行力を生かして粘り、勝ったメジロデュレンからクビ差の2着に入り、地力をみせた。有馬記念では前年の2冠馬ミホシンザン、牝馬3冠馬メジロラモーヌ、天皇賞馬サクラユタカオーに次いで4番人気に支持された。平均ペースで流れたこのレースで道中4番手につけると、直線で内ラチ沿いをしっかりと伸び、同じ馬主のギャロップダイナを2着に引き連れて優勝した。表彰式では吉田がダイナガリバーとギャロップダイナの両馬の手綱を手に取った事で話題になっている。日本ダービーと有馬記念を制した事が決め手となり、1986年度の優駿賞年度代表馬に選出されている。5歳となり天皇賞(春)を目指して、日経賞に出走したが3着に終わった。この頃、秋に凱旋門賞に挑戦するためフランスに遠征する計画が持ち上がっていたが、天皇賞前に骨折してしまい、この計画は頓挫してしまった。秋には骨折が癒え、毎日王冠から復帰したが12着と大敗、続く有馬記念も14着と惨敗し、この有馬記念を最後に引退した。引退後はレックススタッドで種牡馬となり、桜花賞優勝馬ファイトガリバーを含む5頭の重賞馬を出した。種牡馬を引退後は去勢され、ノーザンホースパークで功労馬として余生を過ごした。2012年4月26日、疝痛で死亡している。半兄にマイラーズカップなど重賞3勝のカズシゲ(父ボールドアンドエイブル)が、全妹に中央競馬で2勝しエリザベス女王杯で4着したダイナシルエットがいる。

出典:wikipedia

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