関東バス青梅街道営業所(かんとうバスおうめかいどうえいぎょうしょ)は、東京都練馬区関町南に位置する関東バスの営業所。主に練馬区同区西南部・杉並区北部の路線を担当している。営業所敷地内と上石神井南町の立野橋停留所近くの2箇所に車庫を有する。荻窪駅から青梅街道を西進する路線で、本営業所管内の主力路線。ラッシュ時の荻窪行きは善福寺からバス専用レーンを走行し、桃井四丁目 - 荻窪駅は各路線あわせて1時間に約40本と高頻度で運転される。沿線は公共交通に対する需要が高い地域で、荻窪線の歴史は、1945年(昭和20年)に関東乗合に合併した昭和自動車商会の路線に行き当たる。1927年(昭和2年)5月5日より荻窪駅 - 関(現・関町二丁目付近)において営業していたが、戦後に入ってからはこの付近で各事業者が戦前の事業範囲を越えて都心と郊外を結ぶ長距離路線を次々に開設し、関東も北裏まで延長。最盛期には武蔵野営業所の柳橋線や吉祥寺線、三鷹線と一体化した東伏見・田無橋場・武蔵小金井駅行きという路線が存在した。なお、荻窪線と同一のルートで荻窪駅以東も青梅街道を走り新宿駅西口や東京駅に達する路線もあったが、こちらは1979年(昭和54年)に廃止されるまで一貫して東京都交通局(都営バス)の単独運行であった。これは、荻窪以東の青梅街道が都電杉並線の存在を理由に基本的には都営のエリアと解釈されたことに由来する。さらに、1984年(昭和59年)までは荻窪線沿線から北裏以西へ走る都営バスの便もあったが、このどちらにも関東バスは一切関与しなかった。各系統のなかで、荻32と荻34は本数が多く、この路線の基幹系統となっている。1978年までは善福寺まで通過する急行系統・荻33もあった。荻36は八幡宮裏から青梅街道を離れて南善福寺に至る系統で、終点付近は杉並区と練馬区・武蔵野市の境界にあたる。敷地が狭いため、南善福寺の折返場にはターンテーブルがある。荻32は武蔵関駅付近で循環運行となっており、武蔵関駅を通り越して荻窪駅方面へ乗車することも可能になっている(関町北一丁目の時刻表の行先欄は「荻窪駅」になっている)。荻35は西東京市の武蔵野大学に至るまで、青梅街道を走行する路線。1990年代までは夕方便も存在したが、現在は平日の朝1.5回のみで、武蔵野女子学院が共学に変わったことから、2005年12月15日より停留所名を武蔵野大学に変更した。武蔵野大学付近は経路の関係上(往路は千川小学校前、復路は武蔵野中央公園経由)、武蔵野大学交差点東側に当路線単独の標柱を設置している。1便目は帰路、荻窪駅まで行くが、2便目は帰路、青梅街道営業所止まりとなり荻窪駅まではいかない。荻30は基本的に荻窪駅発着路線の出入庫系統であるが、平日朝ラッシュ時と深夜に青梅街道営業所 - 荻窪駅の折返し運用を持つ。荻30の荻窪駅の停留所は他の荻窪線各系統とは異なり、1番のりばである。ただし、23時を過ぎると荻窪線の他の系統が軒並み終バスとなるためか0番のりばからの発車となる。荻30の終バスが荻窪駅を出発する時刻は25時24分(平日)で、中央線中野 - 三鷹間の各駅から出る深夜バス(深夜急行バスを除く)の中では3番目に遅い発車時刻である。2013年2月15日、八幡町停留所が「武蔵野中央公園」に改称された。荻窪駅とプロムナード荻窪、および京王井の頭線三鷹台駅近くにある立教女学院を結ぶ。立教女学院へは途中の西荻窪駅を発着する西20もあり、同駅より南の区間では一方通行の道路があるため、循環運転をしている。西20は、路線図や杉並区統計書では西荻窪駅を起点とする路線として記載されているが、時刻表によると青梅街道営業所を発着する出入庫便と原則的に連続運行していることがわかる。立教女学院への路線は、戦前に五日市街道周辺で営業していた進運乗合自動車によって開設された古い路線。立教女学院の前身である立教高等女学校は、都心にあった校舎を関東大震災で失い、1924年(大正13年)に仮校舎を現校地に建設・移転した。これを受けて1928年(昭和3年)6月1日に西荻窪駅 - 立教高女前線として開通したものである。この区間の循環経路は一部経路の一方通行化など外部要因を除けば開業から現在までほとんど変わっていない。荻窪駅からの直通運転が始まったのは戦後からで、かつては荻窪駅南口から中央線の南側(1960年時点では荻窪小 - 神明通りを経由、1969年時点では神明中学口経由)を通って運行していたが、1970年代に荻窪駅北口 - 八丁 - 西荻窪駅線と統合・青梅街道経由に変更された。荻31はプロムナード荻窪の入居開始により、2005年3月16日に誕生した系統。荻窪方面へはプロムナード荻窪から300mほど南下したところにある「日産自動車前」停留所から頻発しているが、ラッシュ時などは積み残しがあるため、プロムナード荻窪の住民向けというよりは「荻窪線の補助系統」という色が強いようである。荻窪駅から環八・早稲田通り・旧早稲田通り経由で西武新宿線下井草駅へ至る。線名の「中瀬町」は下井草四丁目周辺の旧町名。深夜バスが運行されている。荻窪駅から環八を経由し、井荻駅・石神井公園駅を結ぶ。荻12は井荻陸橋の手前で右折して井荻駅へ向かう。本数も多く、関東と西武がほぼ交互に運行される。荻11は井荻駅へ入らずに西武新宿線を交差し、八成橋付近で旧早稲田通りに入り、石神井公園駅へ向かう。本数は長年1時間に2-4本ほどあったが、2007年7月16日の改正で1時間に1本ほどのダイヤになった。関東バスの運行便は少なく、1日5本ほどとなっている。西荻窪駅から青梅街道営業所を経て、西武新宿線上石神井駅との間を結ぶ。循環部分を除いたほぼ全区間がバス同士のすれ違いに苦慮する為、バス同士がすれ違う箇所は決まっている。西荻窪駅付近は西荻窪駅→西荻北四丁目間にある一方通行路を通る関係で往路と復路が大きく離れた時計回りの一方循環経路になっている。その為、乗客の利便性を考慮して西荻窪駅を跨いでの乗車が可能である。西01は営業所折返し便で、西02・03・10の出入庫も兼ねる。2011年10月1日に西02の深夜バスが新設された。運行開始日は10月3日である。西荻窪駅から西武新宿線上石神井駅を通り、西武池袋線大泉学園駅まで結ぶ。1950年代に西武バスが単独で開設した路線に、1967年(昭和42年)関東が新規参入して共同運行となった。大泉学園駅では、以前は北口まで乗り入れていたが、駅前再開発を受けて2001年9月23日から南口折返しとなっている。共同運行の西武バスは中型車メインである。西荻窪駅と隣の吉祥寺駅を女子大通り経由で結ぶ。ほぼ中間に位置する東京女子大学周辺と両駅間の通勤通学客や、アトレ吉祥寺、キラリナ京王吉祥寺、ヨドバシ吉祥寺(旧・近鉄百貨店東京店)をはじめとする吉祥寺エリアへの買い物客の利用が目立つ。東京女子大前 - 西荻窪駅間は一方通行路を通る関係で往路と復路が大きく離れた時計回りの一方循環経路である。その為、乗客の利便性を考慮して西荻窪駅を跨いでの乗車が可能である。JR中央線では一駅区間のみを走るが、中央線が人身事故などで輸送障害に陥った際には振替輸送を担う。 青梅街道営業所より上石神井駅まで延長する定期便の運行も計画されたが、上石神井駅での停留所のスペースの問題や、競合となる西武バスの吉60系統成増吉祥寺線との兼ね合いからなかなか実現しなかった。2012年(平成24年)4月7日より土・休日の日中に限り吉81として運行されている。吉81は土曜ダイヤ又は正月ダイヤ扱いとなるお盆・年末年始は運休となり、当該日は西10の本数が平日並に増える特別ダイヤでの運転となる。2012年2月15日、八幡前停留所が「武蔵野八幡宮」に改称された。西荻窪駅から青梅街道を横切って北上し、早稲田通り・環八を経由して井荻駅・荻窪駅へ向かう路線。2008年6月2日から西荻窪方面の出庫便の一部区間が回送となった。2011年10月1日に西荻窪駅 → 今川三丁目間の深夜バスが新設された。運行開始日は10月3日である。2012年4月2日に西51が新設された。西50と荻10の清水三丁目より西武新宿線方面を切り捨てて残った部分を一つの系統とした系統である。平日(お盆・正月ダイヤ時以外の年末年始含む)のみ運行される。同時に出入庫路線も開設された。なお、荻窪駅への出入庫は西51枝番系統だけではなく、荻30でも出入庫が行われる。2016年9月1日より、鷹02系統のみ武蔵野営業所から移管された。武蔵関駅付近で荻32同様循環運行となっており、武蔵関駅を通り越して三鷹駅方面へ乗車することも可能になっている(関町北一丁目の時刻表の行先欄は「三鷹駅」になっている)。初代・荻31は荻窪駅と上石神井駅を結んでいた。現在の荻31とは全く関係ない。1973~74年頃廃止。荻34の急行系統。末期は北裏発のみ運行され、善福寺から先は荻窪まで停車しなかった。1978年(昭和53年)7月20日限りで廃止。2005年(平成17年)3月16日、開設されたプロムナード荻窪を経由して平日1便のみ新設された通勤路線。桃井四丁目付近の交差点で工事が行われ、バスの左折が不可能となったため、2007年(平成19年)3月30日の運行を最後に、翌3月31日限りで廃止。案内上は荻41だが、実際は西荻窪駅 - 立教女学院間の折り返し路線で使用する西20の行先表示を用いて運行していた。2007年(平成19年)3月30日の運行を最後に、翌3月31日限りで廃止。2009年頃に系統番号を表示しない無系統路線となり、青梅街道営業所からの直通運転に変更となった。2008年(平成20年)6月2日付で今川三丁目始発に変更となった。新宿から大和高原・天理駅を経由して奈良・高田・五條へ向かう。奈良駅発着便のうち、奈良方面はJR奈良駅経由で近鉄奈良駅行き、新宿方面はJR奈良駅発、近鉄奈良駅経由で新宿へ向かう。1999年(平成11年)5月10日にケイビーバスに移管、2009年(平成21年)11月1日付で運行委託解除の上丸山営業所に引き継がれる。※新宿行はJR高槻駅・阪急高槻駅の停車順序が逆になる。新宿と枚方を結ぶ高速バスである。途中休憩は無い(乗務員交代のみ)。1999年頃にケイビーバスに移管された。その後京阪電車樟葉駅を経由する改正があり、2005年(平成17年)には京阪バスの意向で東京ミッドナイトエクスプレス京都号と愛称を改める。2009年(平成21年)11月1日付けで運行委託解除の上丸山営業所に復帰、現在も継続されている。宇治号は東京ミッドナイトエクスプレス宇治号に改名されたが、2008年12月9日限りで廃止された。新宿と津山・岡山・倉敷を結ぶ高速バスである。1990年(平成2年)3月22日の開業と同時にルブラン号、ルミナス号も運行開始している為青梅街道営業所始発となった。1999年(平成11年)10月11日付けでケイビーバスに移管された。移管と同時に丸山営業所発、中野駅、新宿駅西口経由となった。岡山・倉敷側のパートナーは2008年3月20日付けで両備ホールディングス両備バスカンパニー倉敷営業所に交代、その際に倉敷駅北口 - 総社中鉄バスセンター間が廃止されている。ケイビーバス清算のため、2009年(平成21年)11月1日付けで管理委託解除の上丸山営業所に復帰した。上記3路線の共同運行会社の支援業務は現在でも当営業所が担当している。2002年(平成14年)3月20日に京王電鉄バス、東京空港交通との3社共同運行で運行を開始した。当初は当営業所の担当だったが2003年(平成15年)6月18日付けでケイビーバスに移管の上、練馬駅まで延長されている。その後京王電鉄バス担当便が京王バス東に移管、さらに2005年(平成17年)6月30日限りで京王が撤退。ケイビーバスも2006年(平成18年)7月14日限りで撤退した。現在は東京空港交通が単独運行している。2008年11月29日に杉並区コミュニティバス「すぎ丸」の3番目の路線として開業。日野・ポンチョで運行され、運行間隔は約20分である。2016年9月1日に五日市街道営業所に移管された。青梅街道営業所の2013年現在の車種構成の特徴は、日産ディーゼル(現:UDトラックス)製の車両の割合が低く、三菱ふそう製の車両の割合が高いことである。関東バスでは2010年まで日産ディーゼル製、2011年からは三菱ふそう製の車両を中心に導入しているが、青梅街道営業所は元から三菱ふそう車が導入されていることもあり、他の営業所に比べ三菱ふそう車の割合が高めになっている。エアロスターの所属が多いが、スペースランナーRAのOEM供給車であるエアロスターSが関東バスで唯一配置されている。この内C2201号車はメーカー納品第一号車である。また、全国的にも珍しいスペースランナーAのノンステップ車も2台が配置されている。かつては日産ディーゼル製UA系3扉車に混じって2000代の三菱ふそう製富士重工7E車体架装の3扉車、関東バスでも唯一のニューエアロスターツーステップ車でもあるディーゼル・蓄圧式ハイブリッドバス(MBECS-Ⅲ)が配置されていたのが特徴であった。その他、空港連絡路線や貸切輸送を担当するために日野・セレガと日産ディーゼル・スペースウイング、貸切専用の日野・リエッセが配置されており、貸切車の中には高速路線用からの格下げ車もある。
出典:wikipedia
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