


鈴木 鼓太郎(すずき こたろう、1978年6月18日 - )は、日本の男性プロレスラー。埼玉県蕨市出身。プロレスリング・ノア→全日本プロレスを経て、2015年12月よりフリー。本名は鈴木 康弘(すずき やすひろ)。鼓太郎のプロレスとの出会いはプロレスゲーム「ファイヤープロレスリング」で、最初に愛用するようになったキャラクターは三沢光晴をモデルとした「氷川光秀」だった。実際の三沢をテレビ中継で目の当たりにし、憧憬の対象とするのはその後のことである。小学校時代は卓球部に在籍し、中学・高校は柔道部に在籍した。中学時代には既にプロレス技の練習にも励んでおり、三沢が扮する2代目タイガーマスクを真似しプランチャやタイガードライバーを決めていたほか、ムーンサルトプレスにも成功していたという。日本体育大学ではジムで体作りに励みながらその間に柔道以外の格闘技も経験した。三沢に憧れて2001年3月に旗揚げして間もないプロレスリング・ノアの入門テストを受験し、約200人の応募者の中から合格する。さらには練習生の段階から三沢の付け人となった。当時の合格者4人の中で唯一デビューまでこぎつけ、2001年12月24日のディファ有明大会の対佐野巧真・金丸義信戦でデビュー(パートナーは池田大輔)、ノア生え抜き第1号となった。デビューと同時に三沢がリーダーを務める「WAVE」に加入。デビュー当初は本名で出場していたが、2002年2月2日のディファ有明大会より鈴木鼓太郎に改名された。「太鼓のように打たれ強く、打てば響く選手に」との願いをこめて三沢が命名した。2004年11月20日、最初で最後となった三沢とのシングル戦では、本家にタイガードライバーを決めたものの、最後はエメラルドフロウジョンに敗れた。2005年3月5日にはZERO1-MAXの大谷晋二郎・高岩竜一戦の三沢のパートナーとして指名された。2004年末に登場したタイガー・エンペラーと2005年7月18日の東京ドーム大会で登場したムシキング・テリーの正体と噂されているが、真相は不明である。2007年1月21日、4度目の挑戦で自身初のタイトルとなるGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得した。2007年7月、団体初の公式リーグ戦である日テレ杯ジュニアタッグリーグ戦にリッキー・マルビンと共に参加、日本武道館での最終戦にて引き分けという結果に不完全燃焼をおこした観客からノアでは珍しい程の大ブーイングを受けた。2008年6月29日の後楽園ホール大会では盟友のマルビンに強烈なイス攻撃を喰らわしコンビを解消、その後金丸と握手をし金丸、平柳玄藩と組むことを選んだ。同年7月13日、博多スターレーン大会でKENTA&石森太二組が保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座に金丸と挑戦し31分の激闘の末に、レクイエムでKENTAからフォール勝ちをし王座奪取。その後はヒール道を邁進し、12月7日の再戦ではKENTAを血祭りにして返り討ちに成功する。その実績を買われて、2009年1月25日の後楽園ホール大会のメインでGHCジュニア王座に挑戦。結果は惜敗したが、急所蹴り・鉄柱攻撃・凶器攻撃・目潰し・セコンド介入・西永秀一レフェリーへの誤爆などでKENTAをまたしても大流血に追い込む悪行三昧で新境地を開拓することに成功した。3月からは新ユニット「DIS OBEY」の一員としてモハメド・ヨネ・力皇猛・金丸・平柳と共闘、これにより鼓太郎は悪行にも一段と磨きがかかり、完全に極悪路線へと進んでいった。ところが6月13日、試合中のアクシデントにより鼓太郎の師匠の三沢が急死した。鼓太郎はこれをきっかけに今までのヒールファイトを封印し、三沢のファイトを受け継ぐと天国の三沢と約束した。2009年12月23日、ムシキング・テリーとの試合中のアクシデントにより左膝前十字靭帯断裂および内側側副靭帯を損傷した。それもあり、金丸と保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座を返上した。2010年9月18日の大阪大会における8人タッグマッチにおいて、金丸へのエルボー誤爆によりディスオベイを強制離脱、袋叩きの状況を小川良成によって助け出され、以後は小川と共闘した。10月30日、潮崎豪・小川と共に新ユニット「潮崎軍」を結成する。そして12月5日、日本武道館においてV7を目指した因縁の金丸を14分49秒・タイガードライバーで仕留め、念願のGHCジュニア王座を獲得。その後、2011年に入ってエディ・エドワーズ・平柳・中嶋勝彦・石森・マルビン・ロデリック・ストロング・金丸を退けて7度の防衛に成功したが、9月23日に中嶋に敗れて王座から陥落した。2011年4月、反体制ユニット「NO MERCY」の対抗勢力として「ANTI NO MERCY UNION」(略称・ANMU)を結成し、リーダーとなる。2012年12月、年内をもってプロレスリング・ノア退団が会社より発表され、12月24日有明大会を最後に退団した。2013年1月に行われた決起集会で、小橋建太からバーニングを託された秋山準をリーダーに、潮崎、金丸、青木篤志で再結成した。1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦を発表した。7月5日、全日本プロレスに正式入団。2015年3月27日、青木の持つ全日本の世界ジュニアヘビー級王座に挑戦し奪取に成功した。しかし、同年11月に全日本との契約変更の内容を不満として退団を発表、12月6日のエディオンアリーナ大阪第2競技場大会を最後に世界ジュニアのベルトも返上することになった。2016年1月8日、亜利弥’自主興行 TO LIVE ~ Wonderful Friends~に参戦し木藤裕次と兼平大介と組み佐野直&神威&田村和宏を相手に対戦を行った。1月10日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に乱入し、同日王座を奪取した大和ヒロシの持つWRESTLE-1クルーザーディビジョン王座に挑戦を要求した。2月10日、WRESTLE-1クルーザーディビジョン王座前王者のアンディ・ウーとシングルで対戦し勝利。大和の王座に挑戦が決定した。3月13日、大和のけがによる返上でクルーザーディビジョン王座決定戦を行い田中稔と対戦し勝利。フリー転向後初の王座戴冠となった。鼓太郎はかなりのガンダムマニアであり、自分の得意技の多くにガンダム関連の名前をつけている。上記の「ガンダム殺法」を中心とした投げ技中心のスタイルで、また師匠である三沢の影響を受けたジュニアながら受けを重視したスタイルでもあり、ミル・マスカラスを意識したような一面をも見せる。三沢死去以前のフィニッシュ・ホールドはブルーディスティニーとエクスカリバーとレクイエムであり、鼓太郎はこの3つの必殺技を駆使して三種の神器のようにしていきたいとコメントしていた。
出典:wikipedia
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