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稀勢の里寛

稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか、1986年7月3日 - )は、茨城県牛久市出身(出生地は兵庫県芦屋市)で田子ノ浦部屋(入門時は鳴戸部屋)所属の現役大相撲力士。本名は萩原寛(はぎわら ゆたか)、愛称はハギ。身長187cm、体重175kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥。龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。得意手は左四つ・寄り・突き・押し。最高位は東大関(2012年7月場所、2013年1月場所~2014年1月場所、同年5月場所、2015年1月場所~同年7月場所、2016年1月場所)、血液型はB型。締め込みの色はナス紺。小学校4年生から野球をやっていたが、相撲が好きで小学2年頃からよくテレビで観戦していた。中学2年時に龍ヶ崎市から牛久市へ転入。野球の能力も高く小学生時代は捕手を、中学1年からは投手を務め、中学3年の時には常総学院などの強豪校からの勧誘もあったが、「自分はでかいだけ。野球は、うまくない」という理由で断った。入門にあたっては難色を示す両親や中学の先生を、鳴戸親方が熱心に説得して実現した。中学時代には美馬学(現プロ野球楽天投手)との対戦もあった。十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9カ月)。ただし十両では終盤戦で頻繁に立ち合い変化に敗れ失速、二桁勝利を挙げられず同時に十両昇進し十両を2場所で通過した琴欧州、豊ノ島に遅れをとったがわずか3場所で通過した。2004年、11月場所は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3カ月)で番付を駆け上がり新入幕を果たす。同時にこれまで本名のままで取っていた四股名を「稀勢の里」と改名した。「稀な勢いで駆け上がる」という意味を込めて師匠が提案、本人も納得してつけられた。新入幕からの一年は苦戦が続き、十両時代にも見られた土俵際で粘られてたまたま足が出て勝った相撲や体格に任せて無理矢理倒す相撲、相手の叩きにつけ込んだ相撲が多く、また土俵際の逆転を頻繁に許すなど詰めの甘さも目立ち、舞の海秀平には「前に出て土俵際で止まることも勉強しなければいけない」と苦言を呈された。この間は最高成績が9勝6敗で、ぎりぎりの勝ち越しと負け越しを繰り返していた。2005年、9月場所では12勝3敗の好成績を挙げ最後まで優勝争いに残り、また優勝争いの先頭だった琴欧州に土をつけ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。19歳2カ月での初の三賞受賞は貴乃花、白鵬に次ぐ史上3位の年少記録。しかし、翌11月場所は自己最高位の東前頭5枚目で5勝10敗と大きく負け越した。2006年、3月場所では東前頭7枚目で10勝5敗と2005年9月場所以来3場所ぶりの二桁勝利を上げ、翌5月場所は自己最高位の東前頭筆頭で千秋楽に8勝7敗と勝ち越し、7月場所での三役昇進を果たした(19歳11ヶ月での三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ史上4位の年少記録)。この場所は中日までは自分よりも番付が上の力士とばかりの対戦が組まれ、8日目まで2勝6敗ながらも、2大関(琴欧州、魁皇)を破るなど、9日目から6連勝し最終的には8勝7敗と新三役で勝ち越しを収めた。翌9月場所では朝青龍から初白星を上げ、8勝7敗ながらも朝青龍に勝利したことが評価され、初の殊勲賞を受賞。翌11月場所も8勝7敗と勝ち越し、幕内に昇進して以来初めての年間全場所勝ち越しを達成した。2007年、1月場所では千秋楽に敗れて7勝8敗と負け越し、4場所勤めた小結から陥落した。翌3月場所は6勝9敗と負け越し、5月場所も6勝9敗と3場所連続で負け越した。西前頭6枚目で迎えた7月場所は千秋楽で大関昇進が確実な関脇の琴光喜に勝利するなど、11勝4敗と8場所ぶりの二桁勝利を挙げた。9月場所では小結に復帰するが6勝9敗と負け越した。11月場所では、中盤までは黒星が先行する展開であったが終盤に4連勝して9勝6敗と勝ち越した。2008年、1月場所2日目に2場所連続出場停止(2007年9・11月)明けだった朝青龍に対し、朝青龍の背中について最後は豪快に土俵下へ送り倒して快勝、初の金星を獲得。10勝5敗で2度目の殊勲賞を受賞。3月場所で3場所ぶりに小結復帰を果たし、11日目に7勝4敗であったが、その後下位力士に連敗。14日目に勝ち越しを決めたものの、千秋楽に7勝7敗の西関脇の琴奨菊戦に敗れ関脇昇進を逃した。5月場所は初日に朝青龍に勝利するなど、10勝5敗と三役では初の2桁勝利を挙げて2度目の敢闘賞を受賞。両関脇が勝ち越したため7月場所も小結に据え置きとなり、小結在位8場所と、最高位が小結の力士としては昭和以降では富士錦の10場所、出羽錦と高見山の9場所に次ぐ記録となった(富士錦以外はその後関脇に昇進している)。7月場所は6勝9敗と負け越した。前頭2枚目に降格となった9月場所では腸捻転と診断され初日から4連敗(場所中は公表していなかった)。5日目には白鵬を破り金星を獲得したものの、12日目に負け越しが決まり、6勝9敗に終わった。11月場所は11勝4敗と3場所ぶりの勝ち越しと2桁勝利を挙げて小結への復帰が決まった。2009年、1月場所は初日の対朝青龍戦で敗れた後1度も白星先行できず、7勝7敗で迎えた千秋楽で高見盛に勝利し8勝7敗と勝ち越し、初の関脇昇進を果たした。新関脇となった3月場所では5勝10敗の負け越しで、1場所で関脇から陥落した。5月場所は初日から5連勝するなど好調で、千秋楽まで優勝争いに加わり、日馬富士が琴欧洲に敗れて朝青龍が白鵬に勝てば「白鵬、朝青龍、日馬富士、稀勢の里での優勝決定戦、四つ巴戦」の可能性もあったが、日馬富士が琴欧洲を破り、優勝の可能性が消えた。それでも自身最高となる13勝2敗の好成績をあげ、3度目の敢闘賞を受賞した。7月場所は2場所ぶりに関脇に復帰(西関脇)した。中日に朝青龍を土俵際で左からの突き落としで破り、朝青龍の全勝を止めた。9日目まで7勝2敗だったが、その後3連敗。13日目に勝ち越しを決め、最終的に9勝6敗であった。1横綱(朝青龍)3大関(魁皇、琴光喜、千代大海)を破った。9月場所は中日まで5勝3敗だったがその後4連敗し、7勝7敗にこぎつけたものの、千秋楽に把瑠都に上手投げで敗れ、7勝8敗と負け越した。11月場所は小結に陥落し小結在位が歴代10位タイの10場所となった。また23歳3カ月での10場所到達は武双山の27歳6ヶ月を大幅に上回る史上最年少記録である。11月場所も6勝9敗と精彩を欠いた。2010年、前頭3枚目に陥落した1月場所は序盤5連勝と好調だったが、その後5連敗し、9勝6敗に終わった。小結に復帰した3月場所も9勝6敗と勝ち越しはしたが2桁勝利には届かず、上位陣との対戦では外国勢の白鵬、日馬富士、琴欧洲、把瑠都にはいずれも敗れている。関脇で迎えた5月場所もその4人に敗れ、8勝7敗に終わった。7月場所は中日まで6勝2敗の成績だったがそこからこれまで苦手として来た力士に加え阿覧や豊真将にも完敗するなど5連敗し、千秋楽にも鶴竜に土俵際の逆転で敗れ7勝8敗と負け越し、9月場所は12場所目の小結へ陥落した。その9月場所でも把瑠都を破ったものの7勝8敗と負け越し、11月場所は前頭筆頭に転落した。11月場所、2日目には63連勝中の白鵬を寄り切りで破って連勝記録を止めた。同時に自身3個目の金星獲得ともなった。最終的には10勝5敗となり、殊勲賞を受賞した。2011年、1月場所は11日目に23連勝中だった白鵬を押し出しで破った。最終的に11月場所と同じ10勝5敗で取り終え、2場所連続で殊勲賞を受賞した。関脇での2桁勝利は自身初。ただし西関脇の琴奨菊が11勝を挙げたため、次の5月技量審査場所では西関脇に番付を下げた。この場所では、不戦勝の琴欧洲戦を除く上位の外国人力士には全敗を喫するなど不振で、千秋楽で8勝7敗と勝ち越したが、東関脇の琴奨菊が10勝を挙げたため7月場所の番付は西関脇を維持した。7月場所は終盤に5連勝し千秋楽では14戦全勝で優勝を決めていた日馬富士に土を付け全勝優勝を阻むなど10勝5敗を挙げ、3度目の三役での二桁勝利となったが、東関脇の琴奨菊は11勝を挙げたため9月場所の番付も西関脇のまま維持となった。その9月場所は初日から8連勝で幕内では初の中日勝ち越しを決めたが、9日目に初黒星を喫し、その後も2連敗したが、12日目に白鵬を小手投げで破り最終的に12勝3敗で取り終えた。この時点では優勝決定戦による逆転優勝の可能性があったが、結びの一番で白鵬が勝ったため優勝はならなかったが、白鵬を破ったことが評価されて殊勲賞を受賞した。大関挑戦の場所となった11月場所の直前に師匠の鳴戸親方(元横綱・隆の里)が急逝。初日から4連勝の後、5日目に平幕の豪栄道に敗れる。14日目に10勝目をあげ、この時点で大関昇進の目安である直前3場所33勝まであと1勝の32勝となったが、最近6場所中5場所で2桁勝利を挙げていること、横綱白鵬に対し3勝3敗と互角であることや相撲内容から千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開き、臨時理事会を開催するよう放駒理事長(元大関魁傑)に満場一致で要請し、30日に理事会の開催が決定。理事会で大関昇進が見送られた例がない(横綱昇進の場合のみ)ため事実上大関昇進が決定した。千秋楽は新大関の琴奨菊に敗れて(この敗戦により対琴奨菊戦は前年の11月場所から6連敗となった)10勝5敗に終わったが、相撲内容が評価されて技能賞を受賞した。しかし一部のマスコミ関係者などには、稀勢の里の大関昇進に対し疑問の声も存在した。11月30日の日本相撲協会理事会にて満場一致で昇進が決定し、正式に大関に昇進した。昇進伝達式での口上は「大関の名を汚さぬよう精進します」というシンプルなもの。新入幕から所要42場所での大関昇進は史上5位のスロー記録。小結在位12場所は大関に昇進した力士としては魁皇と武双山の11場所を抜き史上最多。新大関の1月場所では4日目豊ノ島に押し出されて初黒星を喫する。9日目に豊真将を寄り切って勝ち越し、10日目に琴奨菊を突き落としで破り9勝1敗と好調だったが、11日目に白鵬、12日目に把瑠都に連敗し優勝争いから脱落。千秋楽は琴欧洲を寄り切り11勝4敗で取り終えた。3月場所は初日から栃乃若と栃煌山に連敗。5日目には時天空に敗れ2勝3敗と黒星が先行し、これが響いて9勝6敗に終わったものの、8日目に鶴竜、13日目には白鵬、14日目には把瑠都に勝利するなど存在感を示した。5月場所、5日目妙義龍に敗れた以外は、11日目まで10勝1敗で次点とは2差つける単独トップに立っていた。しかし12日目に栃煌山、13日目に白鵬と2連敗。平幕の旭天鵬、栃煌山らと共に、優勝争いトップの11勝3敗で迎えた千秋楽は苦手の把瑠都に上手投げで敗れてしまい、11勝4敗で優勝決定戦への出場も逃す格好となった。7月場所は4日目安美錦、7日目豪栄道と序盤での取りこぼしがあったのが響き、11日目に日馬富士に敗れて3敗となって優勝争いから脱落。14日目白鵬戦と千秋楽琴欧洲戦を連敗し、結局10勝5敗に終わった。9月場所は白鵬、日馬富士らとともに連勝を続けて大関昇進後では初の中日勝ち越しを決めたが、9日目に豊真将、11日目に安美錦に敗れて優勝争いから後退。さらに13日目からの横綱、大関戦に全敗を喫して10勝5敗にとどまった。直前の秋巡業(長野)で左足首の痛みを訴え途中休場するも(痛風の可能性もあった)、11月場所は3場所連続の10勝5敗にとどまった。1月場所は序盤に栃煌山、把瑠都に連敗するも、そこから8連勝して12日目まで10勝2敗としたが、そこから3連敗で4場所連続の10勝5敗に終わった。3月場所は中日まで白星と黒星が交互に並ぶ4勝4敗となったが、そこから6勝1敗と盛り返して、5場所連続の10勝5敗で取り終えた。5月場所は初日から初の13連勝を達成した。14日目に共に全勝同士の白鵬と対決したが掬い投げで敗れて初黒星。翌千秋楽も琴奨菊に一方的に寄り倒しで敗れてしまい13勝2敗、念願の幕内初優勝はならなかった。それでも5月場所後、理事長の北の湖は全勝で優勝した白鵬と2勝差ながら、『優勝に準じる成績』であるとして「翌場所でハイレベルな優勝をすれば横綱昇進の可能性もある」との見解を示した(但し伊勢ヶ浜審判部長(元横綱旭富士)は「今はそういう考え(綱獲り)はない」と、北の湖理事長の発言とは全く相違の意見を述べている)。7月場所前「13勝以上の優勝なら横綱昇進も」と北の湖理事長が公言する中 、栃煌山との出稽古での負け越しや日馬富士との稽古で右足の痛みを訴えるなど不調が伝えられた 。7月場所は3日目栃煌山に突き落とされ初黒星を喫し、5日目は千代大龍に送り出され。7日目、豪栄道に寄り切られて3敗目で、綱獲りは消滅となった。その後8日目からは7連勝、14日目には白鵬を寄り倒して連勝記録を43でストップさせている。「今場所12勝挙げれば来場所綱獲りに繋がる」と北の湖理事長が明言するも 、千秋楽は又しても2場所連続で琴奨菊に完敗してしまい結局11勝4敗、綱獲りは白紙に戻った。9月場所は3日目に隠岐の海に敗れ、9日目には先場所に引き続き千代大龍に突き出されて2敗。13日目に豪栄道に押し出されてしまい3敗目となり、14日目に白鵬との直接対決で敗れ、白鵬の27回目の優勝が決定した(「白鵬に髷掴みの反則があった」と物言いが付くも結局軍配通り)。千秋楽は鶴竜を寄り切って、2場所連続で11勝4敗。11月場所は3日目に安美錦に、中日には豪栄道に敗れて2敗となるが、13日目に日馬富士を寄り切りで、14日目には白鵬を上手投げで全勝で並走していた両横綱を破るが、優勝の可能性は14日目で消滅するも、千秋楽は鶴竜を寄り切り13勝2敗とした。場所後北の湖理事長は、13番勝ったこと(優勝した日馬富士とは1差)、両横綱に土をつけたことを評価して『優勝に準ずる成績』にあたるとし来場所(2014年1月場所)が綱取り場所になることを明言。目安について「優勝しないと駄目。13勝以上の高いレベルが求められる。」と述べた。2013年12月26日には、師匠が田子ノ浦に名跡変更したことでそれまでの鳴戸部屋の施設が使えなくなったため新施設を東京都江戸川区東小岩に新設するまでの約半年間の予定で同年10月に閉鎖された三保ヶ関部屋の施設を借り受ける形を取って部屋を東京都墨田区へ急遽移転する必要に追われた。このことから満足な調整ができたとは決して言えず、不安な状況の中2014年1月場所を初めて田子ノ浦部屋所属力士として迎えることとなった。また、この年は綱取りと優勝は出来なかったものの全ての場所で二桁勝利以上を記録した。2013年末のお家騒動が祟ったのか、2度目の綱取り場所となった2014年1月場所は乱調に終始し、初日の豊ノ島戦で早くも敗れた。5日目に碧山、中日に栃煌山に敗れ3敗目を喫し、この時点でもう理事長が提示した「13勝以上の優勝」の条件を達成できなくなった。続く9日目の豊響戦で4敗目を喫したことで、綱取りを来場所に繋ぐことも不可能となった。そればかりか12日目の琴欧洲戦で 場所前から痛めていた右足親指を悪化させ、13日目の白鵬戦で6敗目を喫したことで連続2桁勝利も10場所でストップしてしまった。そして右足親指負傷が限界に達し、千秋楽に「右母趾MP関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要す」との診断書を協会へ提出して休場に至ったことで通算連続出場は953回で途切れ(千秋楽の琴奨菊戦は不戦敗)、同時に7勝8敗と負け越しも決定してしまった。休養期間中はジムなどでトレーニングを行い、2月10日から相撲の稽古を再開した様子が伝えられた。自身初の大関角番で迎えた3月場所は、10日目に勝ち越して角番を脱出したが、11日目から横綱・大関陣に3連敗、千秋楽も豪栄道に敗れて結局9勝6敗に終わり、存在感を示せなかった。場所後は「悔しい」「完全に負けた感じだった」と、胸の内にある苦い思いを明かした。5月場所は4日目碧山に押し出され初黒星を喫した以外は11日目まで白星を重ねたが、12日目に優勝争いトップの1敗同士の対決となった横綱白鵬戦では、一方的に寄り切られ2敗に後退。14日目は横綱日馬富士戦では日馬富士が稀勢の里の髷を引っ張る反則負けで白星、千秋楽の鶴竜戦でも一方的に突き出して13勝2敗の好成績を挙げ、結びの結果を待った。しかし結びの一番の白鵬-日馬富士戦は白鵬が勝ち優勝を決め、又しても優勝次点に留まった。尚北の湖理事長は「今年の1月場所では負け越し、3月場所も9勝の1桁勝利が引っ掛かる。次の7月場所は仮に全勝優勝でも横綱昇進への諮問をするかどうかは不明」と綱取りには否定的なコメントを述べていた。7月場所は全勝レベルのハイレベルな優勝なら綱取りもと期待されて三度目の綱取りに挑戦したが2日目早々安美錦に敗北。中日は苦手の関脇・豪栄道戦に敗れ2敗に後退。11日目の玉鷲戦で勝ち越し、13日目には横綱白鵬を小手投げで下したが、日馬富士・鶴竜に敗れ9勝6敗と1桁勝利に終わり三度目の綱取りも失敗に終わる。翌9月場所は2日目に碧山に不覚を取り黒星。その後6連勝したが、9日目に新大関・豪栄道に敗れ2敗に後退ののち、12日目の白鵬戦まで4連敗。13日目の大砂嵐戦でようやく勝ち越したが、2場所連続の9勝6敗に留まった。続く11月場所は9日目に勝ち越しを果たしたものの10日目から黒星と白星を交互に繰り返し、11勝4敗で場所を終えた。1月場所は3日目照ノ富士戦・9日目琴奨菊戦で黒星、10日目の遠藤戦で勝ち越し。10勝2敗で迎えた13日目の白鵬戦、一度は取り直しになるも、取り直し後の相撲で押し倒され、白鵬の史上単独1位の33回目の優勝を許す形となった。14日目の鶴竜戦は勝利したが、千秋楽に日馬富士に敗れ11勝4敗。3月場所は序盤の3敗が響き、11日目に勝ち越したものの、その後も栃ノ心と両横綱に3連敗。千秋楽の琴奨菊戦は勝利して9勝6敗の成績だった。5月場所も4日目から栃ノ心・妙義龍に2連敗してしまったが、11日目まで2敗を守り、1敗の白鵬を追う立場で優勝争いに加わった。12日目に照ノ富士に敗れ3敗となったが、その日に白鵬も敗れたため1差は変わらず。13日目に日馬富士に敗れ4敗に後退したものの、14日目には白鵬を5場所ぶりに破った。千秋楽には3敗の照ノ富士の勝利によって優勝の可能性は消滅したが、それでも琴奨菊を破り、11勝4敗で取り終えた。7月場所は9日目に新大関・照ノ富士に押し倒されて3敗に脱落。13日目に横綱・鶴竜を寄り切ったものの、14日目に横綱・白鵬及び千秋楽に大関・豪栄道に連敗し、結局10勝5敗に留まった。9月場所は11勝4敗で終え、11月場所も二桁を継続し10勝5敗で1年を終了した。1月場所は初日の安美錦戦でいきなり黒星、8日目に日本出身力士として10年ぶりの幕内優勝を果たした琴奨菊戦にも良い処なく敗れ3敗に。14日目の白鵬戦でようやく勝ち越したものの9勝6敗と二桁勝利を継続できなかった。3月場所は好調で、初日から10連勝を記録。しかし11日目に1敗の白鵬に敗れ、勝ち星を並ばれると12日目の日馬富士戦も敗北。星の差1つで白鵬を追う形となり、残りの取組は全勝で終え13勝2敗としたが、白鵬も敗れることなく優勝次点の成績だった。先場所優勝次点のため、八角理事長に「相当いい雰囲気が出れば」とハイレベルな優勝なら綱取りも議論になるとされた。5月場所は4度目の綱取り場所となり初日から連勝を続け琴奨菊との幕内史上最多60度目の対決を寄り倒しで制して10連勝を記録。その後も連勝を続けていたが13日目に横綱白鵬との直接対決で立合い得意の左四つに組むも下手投げで敗れ連勝がストップし、敗因について「見ての通り」と語った。対戦相手の白鵬は「相撲の神様がきょうは私にほほ笑んでくれた」「勝つなら勝ってみい、それで横綱になってみろという感じ」と語り、「誰かが言っていたね。『強い人は大関になる。宿命のある人が横綱になる』と。何か足りないんでしょう」と説いていた。そして、翌日も横綱鶴竜に寄り切りで敗れ連敗。白鵬に千秋楽を待たず37回目の優勝を決められてしまっている。千秋楽は日馬富士に押し出しで勝ち、2場所連続での13勝で優勝次点の成績として綱取りを来場所に繋いだ。7月場所は5度目の綱取り場所になるも怪我により休場する可能性も一部スポーツ紙により報道されたが出場し、初日から4連勝するも5日目に栃煌山に黒星。6日目の妙義龍との一番は一度軍配が妙義龍に上がったものの物言いがつき協議の結果判定が覆り辛くも勝利する。その後、横綱鶴竜、大関琴奨菊が休場。9日目に横綱白鵬が勢に敗れ負傷し2敗、さらに日馬富士までもが2敗に後退するなどし優勝へ追い風が吹き、10日目まで1敗を維持する。だが10日目に松鳳山に左を差すと見せかけて右に変化され2敗に後退。2敗同士で13日目に日馬富士と直接対決を迎えるが日馬富士の激しい攻めに圧倒され敗北し3敗に後退。しかし、14日目に待ったがかかり取り直しとなった一番で白鵬を土俵際の逆転で下し優勝への望みを千秋楽へ残した。横綱昇進について審判部友綱副部長は相撲内容が良くないため決定戦になっても勝って優勝以外では横綱への昇進は厳しいとの見解を示していた。千秋楽は7勝7敗で勝ち越しをかけて臨んだ豪栄道を押し出し12勝目を記録するも日馬富士が白鵬に勝利したため、決定戦にはならず優勝を逃し5度目の綱とりにも失敗した。それでも優勝次点の成績だったことを評価され、来場所も引き続き綱取りの場所となることが名言され、二所ノ関審判部長は「優勝すればみんな納得する」と語り、八角理事長は「よくやったと思う。最後の最後まで優勝争いをした」と評価し「来場所もいい成績を残して欲しい。やっぱり、優勝がほしいね」と語った。大関での3場所以上連続12勝以上は15日制以降では13人目で旭富士・武蔵丸の2回を含めて15度目の記録となり、この中で横綱になっていないのは小錦・貴ノ浪と稀勢の里のみである。日馬富士、鶴竜らも昇進後3場所以上連続での12勝以上はないため横綱級の活躍と評価された。9月場所は6度目の綱取り場所となったが初日隠岐の海にいきなり黒星。翌日は白星も、その翌日に栃ノ心に不覚をとり2敗に後退。優勝争いから後退するもその後は4日目から7連勝。逆転優勝をかけて11日目に初日から連勝を続けていた豪栄道との直接対決に挑むも渡し込みに屈して敗れ3敗に後退し優勝争いから脱落し6度目の綱取りも失敗に終わる。残り全勝で12勝なら来場所への綱取りがつながると明言されるも13日目に鶴竜に下手投げで転がされて敗北し綱取りは振り出しに戻り年内の横綱昇進が無くなった。八角理事長は「仕切り直しだよ」と白紙に戻すことを明言し「ずっと綱とりと言われて、精神的な疲れもあったのでは。リセットでいいんじゃないのか」と気遣っていた。稀勢の里は支度部屋で疲れた様子を見せ「まだまだだね」と自らの敗北を嘆いた。この場所は結局千秋楽照ノ富士を寄り切りで下し10勝5敗で場所を終え、豪栄道が全勝で初優勝をしたため、現役大関で優勝経験がないのは稀勢の里のみとなった。千秋楽後、稀勢の里は今場所について「(二桁勝利)それだけでしょうね。あとは何もいいとこない」と述べた。また、今場所の主役に躍り出た豪栄道を囲んで万歳三唱が行われた東の支度部屋の片隅で、稀勢の里は自身を取り囲む記者を見渡しながら「来場所から見ない顔もいるでしょうね」と自嘲気味に笑っていたという。それでも最後は「まあやることは変わらないですし。しっかり頑張るしかない」と再出発を誓っていた。今場所について八角理事長は「あきらめずに努力すれば、いつか必ず結果は出る。焦る必要はない」二所ノ関審判部長は「もう1度、立て直してほしい。力はあるわけだから」と再出発になった綱取りへ励ましていた。10月4日に両国国技館で開催された第75回全日本力士選士権大会では優勝を果たし、好調ぶりをアピールした。(以下、引退力士)2016年7月場所終了現在                                                                                        2016年7月場所終了現在(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2016年7月場所終了現在、現役力士)

出典:wikipedia

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