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南房総市

南房総市(みなみぼうそうし)は、千葉県南部に位置する市。安房地方の西部に位置する。2006年(平成18年)3月20日に安房郡富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併し、南房総市が発足した。館山市への通勤率は21.0%(平成22年国勢調査)。本市は房総半島の最南端に位置し、房総丘陵を抱え三方を海に囲まれた温暖な地域である。東京から100km圏内である。直下には鴨川低地断層帯が所在する。行政区域は館山市を取り囲む形となっており、同市を挟んで内房側を富山・富浦地区、外房側を白浜・千倉・丸山・和田地区、館山市の北に隣接する内陸の地区を三芳地区と呼称する。三芳地区は内房側、外房側の各地区と道路で結ばれており、また内房側の各地区と外房側の各地区も、山中を通過する道路でつながってはいるが、鉄道や幹線道路を利用して最短距離で移動するためには館山市を通過しなければならない。後述するように館山市を含めた合併が破談となり、周辺町村のみで合併したため、このような変則的な行政区域となったが、館山市とは同一生活圏にある。市役所は当面、旧富浦町役場を使用するが、富浦地区が南房総市の地理的・経済的な中心地というわけではない。人口が最も多いのは千倉地区だが、合併前まで警察署が置かれるなど(千倉署が旧千倉町、旧白浜町、旧丸山町、旧和田町を管轄→合併後は南房総市全域が館山警察署の管轄)、外房側地区の中心地ではあるものの、内房側の各地区や三芳地区から見た場合、千倉地区は中心地とはいえない。よって南房総市は、特に商業、医療などの面では館山市への依存状態にあるといえる。ただし和田地区は鴨川市との結びつきも強い。千葉県の最南端である旧白浜町は太平洋に面しており、伊豆諸島や、冬の冷え込んだ時などには伊豆半島も遠望できる。全域が過疎地域に指定されている。本地域が位置する安房地域は718年(養老2年)に上総国から分かれ、明治初期まで安房国と呼ばれていた。かつては多数の荘園があり、これらは中世末まで統治者の交代を繰り返した。戦国時代に入り、15世紀中頃に里見氏が安房統一を果たし、戦国末期に館山城を築城し、安房国統治の拠点とした。江戸時代初期、里見氏は江戸幕府により1614年(慶長19年)に改易され、以降この地は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治された。近代に入り、1878年(明治11年)の郡区町編制法施行により郡制を施行、1897年(明治30年)には「交通の便が相互にあり且つ民族風俗に大差がない」という理由から、安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を合併して、現在の安房郡の前身となる「安房郡」が形成された。2006年(平成18年)3月20日に安房郡富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併し、南房総市が発足。2000年(平成12年)12月に千葉県が発表した「合併推進要綱」では、安房地域の合併の枠組みは「(1)館山市・鴨川市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町・天津小湊町」「(2)館山市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町」「(3)鴨川市・和田町・天津小湊町」の3通りが示された。これを受け、鴨川市、鋸南町、天津小湊町を含む安房郡市2市8町1村でまず合併の検討が始まり、2002年(平成14年)9月4日に任意合併協議会を設置した。しかし、合併の枠組みで議論が分かれ、安房地域全体での市町村統合を断念し、2003年(平成15年)1月に任意合併協議会は解散することとなった。その後、上記(2)の枠組みである1市8町村で合併を検討することとなり、2003年(平成15年)1月に法定合併協議会準備会を設置し、法定合併協議会を設置して同年4月23日に第1回の会議を開いた。新市名は全国を対象とした一般公募を行い、「館山」が1位となったが、8町村が「南房総市」を主張して館山市側と対立し、2004年(平成16年)1月30日に賛成多数で「南房総」とした。また、合併前に役場や小学校などの新築をする所謂「駆け込み公共事業」についても、同年9月30日に館山市議会がそうした事業の抑制促す決議をするなど、同市以外の8町村が対立した。2004年(平成16年)2月25日に館山市議会は合併協議会からの離脱を決議して、これを受け館山市の2委員が翌日の26日の協議会から退席して協議を事実上離脱し、同年4月23日までに館山市以外の8町村が廃止決議を行って、同月に合併協議会の廃止同意書交わし解散することになった。館山市を除く8町村は間もなく8町村のみの合併を検討し始め、同年5月31日に8町村による「検討会」を設置した。和田町では鴨川市との合併の是非を問う住民投票が行われることとなったために検討会参加が一旦保留となり、2004年(平成16年)7月に行われた住民投票で反対多数となったことを受けて検討会に再び参加し、8月9日には8町村による法定合併協議会に移行し、同月16日に初会議を開催した。同年9月に鋸南町では町長が8町村での合併に異議を唱えて合併協議からの離脱を表明し、8町村での合併に前向きな町議会と対立したため辞任した。11月に行われた町長選では、富山町・富浦町・三芳村との合併推進を唱えた現職と、8町村合併を唱えた前町議会議長、館山市・富山町・富浦町・三芳村との合併を唱えた市民オンブズマン出身者による争いとなったが、現職が当選したことにより、鋸南町を含む8町村合併はなくなった。同町長が公約で合併相手に挙げた富山町・富浦町・三芳村はいずれも、鋸南町を除いた7町村合併に賛同したため、鋸南町は単独町制の継続を余儀なくされることとなった。同年12月15日に鋸南町を除く7町村は改めて法定合併協議会を設置し、2005年(平成16年)2月8日に合併協定に調印、7町村議会、千葉県議会での議決を経て、同年5月12日に総務大臣が7町村による南房総市発足を官報に告示した。この間、白浜町では館山市との合併を求める住民が、2004年(平成16年)11月11日に同市との合併を求める住民投票請求を署名3,131人を集めて提出し、12月9日に同町当局に受理された。同市が議会に付議しなかった。※郵便番号、電話番号は新市移行後も引き継ぐ。旧・白浜町で海女の素もぐりによるアワビ・天草などの漁が著名である。海女の大半が農業との兼業で活躍している。5月1日から9月10日の解禁日には海に潜り、アワビ・天草などを採っている。7月には海の安全と豊漁を祈願する「白浜海女まつり」が行われ、松明を持つ海女の夜泳、花火大会、子供たちのまつりばやし、白浜音頭の総踊りなどが行われている。その中で海女の恰好に扮して海女らしさで競う海女コンテストがあり、現役の海女だけでなく地元の女性や一般観光客も飛び入り参加できるイベントでもある。旧・千倉町にある千葉県水産試験場は、1990年(平成2年)に千倉沖にコンクリートブロックを沈めて漁礁を作り、鮑の稚貝を大量集中放流することで海中牧場化する養殖に着手し、1992年(平成4年)に収穫して育てる漁業への転換を図り、2001年(平成13年)には房州ちくら漁業協同組合がアワビ養殖に正式に着手することになった。また、旧・白浜町でもアワビの漁獲量の減少が進んだことから、千葉県水産部が当地でアワビの一環養殖の研究に全国で初めて着手し、岩磯の増殖溝で波の力を利用したアワビ増殖や、千葉県がアワビやヒラメなどの稚魚・稚貝の養殖を手掛ける施設を1995年(平成7年)6月に完成させるなど養殖漁業への転換を図っている。旧・白浜町でハバノリ・ヒジキなどの漁も行われている。旧・富浦町の館山湾・富浦湾でワカメ漁が毎年3月に解禁される。旧・和田町に国内4カ所の一つで関東では唯一の捕鯨基地があり、沿岸捕鯨でツチクジラとゴンドウクジラの漁を行っている。花卉栽培の先駆者で千葉県特産功労者の間宮七郎平がいたことも関係し、温暖な気候を生かした斜面のビニールハウス内での温室栽培などをが盛んに行われている。市立市立1997年(平成9年)市内に8か所あり、一つの自治体の道の駅数は岐阜県高山市と同じく1位。密度は1位。

出典:wikipedia

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