済遠(さいえん、Tsi yuen)は、清国海軍がドイツのフルカン社に発注して就役させた防護巡洋艦で同型艦はない。北洋艦隊に所属し、日清戦争において日本海軍に鹵獲された。日露戦争において戦没。1885年、ドイツ、フルカン造船所にて竣工。1886年8月、清国北洋艦隊の旗艦定遠らとともに、補修の名目で長崎に入港。その際、上陸した乗員により騒動が起こる(長崎事件)1894年、北洋艦隊に編入。同年、日清戦争に参加。豊島沖海戦や黄海海戦に参加。両海戦でのある意味では見事な逃走が有名となる。1895年2月17日、威海衛の戦い後、威海衛で日本軍に降伏し鹵獲される。1895年3月16日、巡洋艦として艦籍に入る。1898年3月21日、三等海防艦に類別。1903年12月-日、邦人保護で仁川、木浦に派遣。1904年2月8日、日露戦争開戦。釜山沖で、エカテリノスラフ(ロシア語:Екатеринослав)号 拿捕。同年11月30日、鳩湾で二〇三高地攻撃を支援中、午後2時24分にセントアップス頭北西沖で触雷し3分後に沈没。艦長但馬惟孝中佐以下38名が死亡し、195名が救助された。1905年5月21日 - 除籍。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。