『ベルサイユのばら』は、宝塚歌劇団のミュージカル作品。原作は池田理代子の同名漫画『ベルサイユのばら』。1974年の初演以来再演を繰り返し、2006年1月9日には通算上演回数1500回を突破、2014年6月27日には通算観客動員数500万人を記録した、宝塚歌劇団史上最大のヒット作である。初演時に演出を担当したのは俳優の長谷川一夫。宝塚歌劇団の専属脚本家、植田紳爾が潤色・脚本化し、長谷川と共に演出を担当した。初演までは上演反対の意見も多かったが(詳しくは別項「ベルばらブーム」参照)、初演は大成功を収め、空前絶後の社会現象になった。この作品は、初演当時テレビに押されて停滞気味であった宝塚歌劇団の人気を復活させる作品となったばかりではなく、非宝塚歌劇団ファンの一般人にとっても「宝塚歌劇団」の代名詞的な作品になっている。上演すればかなりの集客を常に期待できる演目であるため、宝塚歌劇団にとって「ここ一番の真剣勝負」というときに上演されることが多い。長谷川の死後は、長谷川の遺した「型」を生かしつつ、植田が脚本・演出を取り仕切っている。最近では、谷正純が演出陣に加わっている。2005年12月6日、NHK総合テレビの『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』にて、初演が行われるまでの経緯と舞台裏の再現ドラマが特集された。(この放送内容は宝塚歌劇団関連会社のTCAより発売された「ベルサイユのばらGRANDHISTOY」の特典ディスクに収録されている。ただし、著作権上の理由により、中島みゆきの曲、及び長谷川一夫出演映画と歌舞伎映像使用場面は割愛してある)2008年より『外伝 ベルサイユのばら』として、池田理代子が新たに書き下ろしたストーリーにより、新作が上演されている。上演ごとに内容が異なるので、基本的なあらすじを記す。貴族の出身のオスカルは、世継ぎの生まれぬ父親によって、女でありながら男として育てられた、男装の麗人である。幼くして両親を亡くしたアンドレは、オスカルの乳母をつとめる祖母のマロン・グラッセに引き取られる。ジャルジェ家へ迎えられ、オスカルの世話役を仰せつかり、それ以来、片時も傍を離れず影となって支える。いつしかオスカルを親友から一人の女性として見るようになるが、アンドレは平民の身分であった。アンドレは、オスカルをかばって目を怪我して以来、段々と目が見えなくなってしまう。オスカルは王宮守護の近衛隊から国民を守る軍隊衛兵隊への転属を自ら志願し、隊長を務めることになる。最初は隊員の誰もが、「女の貴族には従えない」と反発していたが、オスカルの博愛精神と純粋な心に、いつしか結束が固まっていく。アンドレは、オスカルとオスカルのかつての部下で貴族の将校ジェローデルとの結婚話にショックを受け、オスカルを殺してでも永遠に自分のものにしようとするが、寸前で思いとどまり、今までの自分の想いを告げる。最初はとまどったオスカルだが、そのうちに自分の中のアンドレへの想いに気づきはじめる。そんな中、フランス国内の情勢は急速に悪くなっていった。貧富の差が拡大し、平民の不満は頂点に達し、いつ貴族と平民が血と血で争うことになっても、おかしくない状況となっていく。ついにオスカルは、衛兵隊の指揮官として、パリ出動の先陣に立つことになる。いま、パリにゆけば、生きて帰れるかわからない。パリ出動前夜オスカルはアンドレに自らの思いを吐露し、二人はついに結ばれる。しかしアンドレは目が不自由なためにセーヌ河畔の橋上でオスカルの身を案じながら銃弾に倒れる。翌7月14日、悲しみを振り切り、気丈にも衛兵隊を率いてバスティーユに向かうオスカル。後に「フランス革命」と呼ばれた、平民が絶対王政の象徴だった、バスティーユ監獄を篭絡した日。オスカルは、弱き者の力になると、平民の盾となって貴族の部隊と戦うのだった。激戦の中、銃弾に倒れたオスカルは「バスティーユに白旗が!」と叫ぶ部下アランの言葉を妹同然の娘ロザリーの腕の中で聞く。フランス革命がなされたその瞬間に、生涯の幕を閉じるのだった。絶命したオスカルに「オスカル、オスカル…」と聞き覚えのある声が呼びかける。その声に目覚めてオスカルが立ち上がるとアンドレが現われる。一足先に戦死したアンドレが天国からオスカルを迎えに来たのだった。アンドレに抱擁されるオスカル。地上では実らなかった「身分違いの恋」をここに成就し、二人は天国へ旅立つのだった。原作漫画においては、オスカルがバスティーユ攻撃中に敵弾に撃たれた直後に、傷の手当てをするロザリーが「あ…アンドレ アンドレ 聞いてちょうだい お願いよ!! オスカルさまを…オスカルさまをつれていかないで つれていかないで お願い!!」というセリフや、オスカルの死後、二人の死を悼んでベッドで休んでいるマロングラッセ(アンドレの祖母、オスカルの乳母)の頭上にオスカルとアンドレ(の魂のようなもの)が二人寄り添う画は出てくる。しかし、一足先に戦死したアンドレの魂がそのあとバスティーユ攻撃で戦死したオスカルの魂を天国から迎えに来る明確なシーンを演じるのは宝塚歌劇団の舞台作品におけるオリジナルである。差異の理由は、原作はオスカルの死後も物語が続くが、「宝塚歌劇 ベルサイユのばら -オスカル編- -オスカルとアンドレ編- -アンドレとオスカル編-」においてはオスカルの戦死によって物語を終結させなくてはならない。また、“主役の男女二人(オスカルとアンドレ)はラストシーンに必ず出番がある”という宝塚歌劇独特のしきたりがあるため。オーストリア皇女・マリー・アントワネットは、政略結婚で14歳の時にフランス王太子、後のルイ16世の元に嫁ぐ。無知で幼く、単純に奇麗なドレスを喜ぶ少女であった。アントワネットは18歳の時にパリ・オペラ座の仮面舞踏会にて生涯の恋人、スウェーデン貴族のフェルゼンと遭遇する。その時、アントワネット付きの近衛仕官だったのが、金髪の男装の麗人オスカル。異国に生を受けた3人はその夜、運命の出会いを果たす。フェルゼンとの道ならぬ恋に思いを募らせるアントワネットに「国家の母としての義務を忘れるな」といさめるオスカル。アントワネットは「軍服を着ているうちに女の気持ちを忘れてしまった」とオスカルをなじった。しかしオスカルもまたフェルゼンへのかなわぬ思いに悩んでいた。親友として親交を暖めていたオスカルとフェルゼンだったが、オスカルの胸のうちには女としての想いが芽生えていたのだ。フェルゼンはアントワネットを深く愛していた。2人の愛が醜聞となりアントワネットを破滅させると感じたフェルゼンは男らしく身を引く決心をする。彼は、愛を胸に秘めてスウェーデンに帰国した。フランス国内の不穏な空気は高まり、貧しい民衆達の不満は爆発寸前だった。近衛隊から衛兵隊へ転属したオスカルは民衆達の暴動に備えて1789年7月12日、パリ出動を命じられる。オスカルの養育係の孫である平民のアンドレは護衛として常にオスカルに寄り添ってきた。彼は身分違いと知りながら心密かに長年オスカルを愛していた。オスカルも常に自分を支えてくれるアンドレの大きな愛に気づき、彼を愛するようになる。パリに進駐することになれば身分を捨て命をかけて戦わねばならないと覚悟したオスカルはアンドレとの結婚を決意し、ついに2人は結ばれる。オスカルは貴族の身分を捨て民衆と共に戦うことを宣言し、貴族側の軍隊との戦闘に突入した。アンドレはオスカルの身を案じながら戦死し、翌7月14日(フランス革命記念日)、民衆達はバスティーユ監獄を襲撃した。愛する人の死を耐えながら気丈に軍隊を指揮するオスカル。しかし彼女も銃弾に倒れ、部下の衛兵隊員アランの「バスティーユに白旗が!」という言葉を聞きながら息絶えた。革命の勢いに押された群集はベルサイユに押し寄せ、アントワネットは民の声にベルサイユを離れパリに行くこととなる。彼女の窮地を知ったフェルゼンは彼女を救うべく、命がけで急遽スウェーデンからフランスにやってきた。国王の処刑後、コンシェルジュリ牢獄に囚われていたアントワネットのもとにフェルゼンは彼女を脱獄させるためにやってくる。「別に囚われている子供たちを置いては行けない」と脱獄を断るアントワネットにフェルゼンは涙ながらに説得するが、アントワネットは拒み通す。アントワネットはフェルゼンの絶叫がこだまする中、フランスの王妃らしく誇り高く毅然として断頭台へと向かうのだった。原作漫画においては、コンシェルジュリー牢獄に移されたマリーアントワネットのもとにジャルジェ将軍が面会に訪れマリーに脱走計画を明かすが、「子供たちをおいて逃げるわけにはいかない」と拒否するシーンはある。しかしフェルゼンがコンシェルジュリー牢獄に極秘面会に訪れ、脱走を持ちかけるラストシーンは宝塚歌劇団の舞台作品におけるオリジナルである。差異の理由は“主役の男女二人(フェルゼンとマリー)はラストシーンに必ず出番がある”という宝塚歌劇独特のしきたりがあるため。1970年前後、宝塚歌劇団はスターを輩出し、ブロードウェイ・ミュージカルの翻訳上演も行なうなど、新機軸を打ち出してもいたが、テレビの普及や娯楽の多様化の影響を拭い去るには至らず、赤字決算となっていた。平日には客席に閑古鳥が鳴く日も増えており、歌劇団存続を危ぶむ声が歌劇団内部にも広がり始めた。危機感を感じたスタッフ(歌劇団専属演出家も含む)たちには「舞台に主に責任を持つ専属演出家をはじめ、ほぼ歌劇団内部の人間のみで舞台作りに携わる旧来からの制作体制では、現在の観客の嗜好に対応するのは困難では」との認識があり、その結果、新しい方向性を求めて外部からの演出家の招聘が行なわれ、その一環として、戦前からの宝塚ファンでもあった長谷川一夫も招かれ、1971年、宝塚歌劇団で『我が愛は山の彼方に』の演出を手がけた(脚本・共同演出:植田紳爾)。10世紀朝鮮半島を舞台にした『我が愛は山の彼方に』は長谷川一夫演出ということで話題作となり、観客動員で一定の成果を挙げ、宝塚歌劇団は長谷川一夫に更に演出を依頼、長谷川が、宝塚歌劇団での2作めは洋物(外国を舞台にした作品)を手がけたいと希望、また脚本・共同演出担当として、評価していた植田を指名した。長谷川の要望を受け題材の選定作業に入った植田は、交流のあったファンから、約半年前に「『ベルサイユのばら』は宝塚歌劇団にぴったりの作品。」と聞かされており、題材として検討(もっとも植田自身、ファンから初めて聞いた時は、宝塚歌劇団で漫画を舞台化した例もほとんどなかったため、真剣に考えていなかったという)。原作を通読した植田は「この作品は舞台化すればいける、ぜひ手がけたい」と手応えを感じ、企画案を長谷川に相談、はじめ長谷川は「描かれているのは王妃の浮気の話。清く正しく美しく(が方針)の宝塚ではやったらあかん」と指摘、主に物語の内容面から乗り気でなかったという。植田は「宝塚歌劇らしい作品にします」と脚本での工夫などを改めて言明して説得、なんとか長谷川の賛同を得て上演計画が動きだしたという。企画を聞いた宝塚歌劇団内部では首脳陣から「漫画が原作ではだめだ」と反対の声もあがったが、長谷川の賛同を得ていたこともあってなんとか上演が決定、原作者・池田は宝塚歌劇好きで、舞台化を快く了承(植田の回想によると「安めの原作料の支払いだけで上演許可をくれた」という)。多忙な長谷川が稽古や演出のために時間をとれる時期を考慮したうえで、月組公演として公演時期も正式に決定する。しかし、宝塚歌劇団から上演・配役が公表されると、原作ファンから「原作での八頭身のオスカルを日本人が演じるのは無理、イメージが壊れるから上演は中止してほしい」などと批判的な投書が多数届き、植田のもとにもたびたびカミソリを入れた脅迫の投書が送られてくる事態となる。上記のような逆風の中稽古が始まり、演技を磨くのはもちろん、生徒たちは、鬘や衣装がよく馴染むよう入念に調整、原作の絵柄を化粧台に置き、参照しながら化粧するなど、「原作のイメージが壊れる」と訴えるファンたちにも舞台を見て納得してもらおうと、様々な努力を払った。演出の長谷川も「漫画の舞台化なのだから、原作と全く同様に目を輝かせるのは無理でも、照明を活かして役者の目に星を飛ばせないものか」と着目、照明のあたり方を研究した末、2階席に視線を送れば照明が目にうまく写り込むことに気づき、最も照明を活かせる位置の座席番号を把握した。そして生徒たちにその座席番号まで指示して視線の配り方を徹底指導し(その際、2階席の手すりから1階席に落とし込むよう視線の配り方を指導した)、照明や衣装を活かして最大限に美しく演じる二枚目俳優らしい切り口で、劇画から飛び出してきたような舞台を追求していった。また、若き日に歌舞伎界で女形修業を積んだ後、映画界に転じて二枚目大スターとなった長谷川は、その経歴を生かして登場人物の男女を演じわけ、観客から見て美しいラブシーンを生徒たちに見せ「役者が苦労してこそ、観客には美しく見える。」という彼ならではの美学により、体の捻りを多用した演技を指導。彼の指導により生み出された数々の演技・所作は、長谷川の遺産ともいえる“型”として、最近の上演にまで受け継がれている。宝塚大劇場で迎えた初日は、開幕前、出演者全員が一言も発しない異様な集中力が漲っていた。そして開幕、終演後、「3階席から歓声が降ってきました。」と喜ぶ榛名由梨たちの声を聞いて、植田は作品の成功を確信したという。初日観客数は約9割の動員であったが、翌日から連日満員御礼の盛況が続き、思わぬ反響に歌劇団は沸き、「翌年に第2弾を」と決定する。翌年の上演は一本立て上演となり、花組公演に決定、トップスターの個性等からオスカルとアンドレを中心とし、一本立てとなってより長い公演時間を確保できることもあって、「今宵一夜」の場面等を植田が加筆、大当たり作品の第2弾とあって、植田がオスカル役に安奈淳を推したことが論議を呼んだりもした(当該公演の項目参照)が、結果は初演版以上の大ヒットを記録。結局77年まで、更に雪組、星組、月組による各本公演が続く大ブームとなった。ベルばらブームが歌劇団の話題のみにとどまらず、社会現象にまで膨らんだこともあって、「ブームは一過性のもの」との評も聞かれ、植田は「次に作る作品がベルばら以上の作品でなければ、ベルばらブームはたまたまのものだったと言われる」と痛感、次回作にはベルばらに物語、スケール、知名度等で匹敵する作品を、と考慮を重ねた結果、77年、植田脚本・演出で宝塚版「風と共に去りぬ」を上演、ベルばらに次ぐヒットを記録。以降「風と共に去りぬ」は78年まで全4組により上演、ベルばらも80年まで毎年地方公演で上演され、ブームの継続に貢献、2作品はその後折に触れて再演され続け、21世紀の現在に至るまで、歌劇団の財産となっている。月組初演を皮切りに4組で上演。宝塚歌劇75周年・フランス革命200年を記念して再演。宙組と星組が東西同時上演。ポスターを横尾忠則が担当。マリー・アントワネット生誕250年を記念して再演。宝塚歌劇100周年を記念して再演。※氏名の後ろの「()」の文字はその年当時の所属組※月組・雪組出演者以外は宝塚・東京共通。月組・雪組は宝塚のみ。花風みらいは、宝塚では1月19日より全日程、東京では全日程休演。
出典:wikipedia
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