木村 三浩(きむら みつひろ、1956年10月19日 - )は、日本の新右翼団体「一水会」代表。「月刊レコンキスタ」発行人。元統一戦線義勇軍議長。慶應義塾大学戦没者追悼実行委員会委員。比較憲法学会、三田文学会、日本ペンクラブ会員。一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事。国際組織NASYO(非同盟諸国学生青年会議)常任理事(1998 - 2003年)。愛国者インターナショナル世界大会(準)実行委員。モスクワ、パリ、ウイーン等、世界愛国者会議に数度にわたって出席。東京都文京区出身。1956年(昭和31年)東京都文京区小石川生まれ。小学3年で日野市に移る。ベトナム戦争中に隣の立川基地から旋回してくる米軍輸送機の飛行に疑問を持って育つ。日教組の教師と折り合いが悪く、ヤンチャな中学校時代を過ごす。高校は国士舘高校に入学。入学式で軍艦マーチにあわせて入場してくる学校長の演出に圧倒され共感する。高校の友人達と軍歌研究を行う。1972年(昭和47年)、群馬県前橋市で開催された日本教職員組合定期大会抗議活動に高校の先輩と共に参加。本格的に右翼活動に目覚める。1978年(昭和53年)、当時所属していた「日本青年社」の「尖閣列島領有決死隊」の一員として、尖閣諸島に上陸。灯台を建設する。以後、同島へは2回上陸し、領有権を主張する行動に務めた。1981年(昭和56年)、「反米愛国・抗ソ救国・民族自決・反権力」を掲げた新右翼「統一戦線義勇軍」の結成に参画し議長に。日本のアメリカからの独立を求める「ヤルタ・ポツダム体制打破」へ向けた活動を展開。とくに、右翼民族派では画期的な池子米軍住宅建設反対運動などの闘いを実践。1984年(昭和59年)7月、『新雑誌X』1984年8月号に同誌編集長丸山実と雑民党の東郷健が、昭和天皇がマッカーサーに犯されているイラストを掲載、このことが右翼から不敬とされ問題視される。これを掲載した東郷と野村秋介、鈴木邦男があるパーティーで肩を組んで撮られたスチールが『噂の真相』のグラビアを飾り、「新右翼は極めつけの不敬者と親しいのか」との批判が右翼内部から巻き起こった。これに対して何者かが『新雑誌X』の事務所と東郷健の自宅を襲撃。一方、木村は公開討論会を東郷に要求していたが、東郷はこれを拒否。偶然にも、新宿区の路上で東郷と出くわした木村が「あなたは東郷健でしょ?」と問うたところ、東郷は「私は違う」と否認した。木村はこの東郷のシラを切る態度に抗議して、殴った。その後、東郷本人は「肋骨を折られた」と言っている。そして、反権力を主張していたものの、東郷が被害届を出し、木村は傷害罪で逮捕される。1988年(昭和63年)、慶應義塾大学法学部政治学科(通信課程)に入学し、英語の単位修得に苦労するも、社会政治活動と両立させ、1996年(平成8年)卒業。同年、慶應義塾大学三田会の会員に。慶應義塾大学大学院法学研究科(科目等履修生)に入学。同大学のOB有志で学徒出陣塾員・塾生の出征兵士の資料などを学ぶ。1992年(平成4年)、一水会書記長となる。4月にバグダッドを訪問し、バース党との間に「反大国主義、民族自決」を原則とする議定書を交わし調印。「対米自立」という観点を堅持しつつ、国際的な視点から湾岸戦争以降のイラク、NATO空爆後のユーゴスラヴィア(現セルビア・モンテネグロ)などを訪問。そのほか、フランス、ドイツ、ロシア、リビア、シリア、マレーシアなど各国の民族主義政党・団体と交流し、民族派同士の国際連帯を構築している。イラクには二十回以上足を運んでいる。1998年(平成10年)、バグダッドに本部のある国際組織「NASYO」(非同盟諸国学生青年会議)常任理事に就任。2000年(平成12年)2月、一水会代表に就任。2002年(平成14年)、ロシア自由民主党のジリノフスキー党首が主催する「世界右翼政党会議」に参加。フランス国民戦線などと共に、「愛国者インターナショナル」会議に参加。南北問題の是正と反グローバリゼーションの活動を展開する。2003年(平成15年)3月、アメリカのイラク侵略攻撃に断固抗議。侵略直前、バグダードでの国際会議でアメリカの侵略戦争に抗議する。イラク攻撃の理由とされた「大量破壊兵器」保有疑惑については、一貫して「イラクは大量破壊兵器を保有していない」と攻撃前から主張。2007年(平成19年)1月、前年12月に処刑されたサダム・フセイン大統領の追悼会を日本で唯一行う。一水会機関紙「月刊レコンキスタ」では、追悼文を掲載。著名な講師陣を招いての一水会フォーラムの講演録をムック化した『せめぎあう言霊』を発刊。また、木村ゼミを主宰し、「右翼民族派の思想と行動」を毎月一回講義している。2009年(平成21年)度は第六期生まで数えている。2010年(平成22年)1月18日、フォーラム神保町と現代深層研究会主催の緊急シンポジウム「『新撰組』化する警察&検察&官僚がニッポンを滅ぼす!」に、青木理、魚住昭、大谷昭宏、岡田基志、郷原信郎、佐藤優、鈴木宗男、田原総一朗、平野貞夫、宮崎学らとともに参加した。フォーラムの中で木村は、ネット右翼について論評し、差別用語や蔑視する言葉、相手に対してえげつない言葉を使っているとして、「右翼の品格にあらず」と批判した。2010年(平成22年)5月、グルジアからの独立を果たした南オセチア共和国を一水会代表団として訪問し、ココイトイ大統領、外務大臣、国会議長らと会見した。その後、ロシアのモスクワにて北方領土問題の解決や日ロ関係の打開のため、ロシア外務省のガルージン局長と会談。2010年(平成22年)8月12、13日、東京にて「世界平和をもたらす愛国者の集い」を開き、国民戦線のジャン=マリー・ル・ペン党首ら欧州の愛国政党党員を招いた。翌日、彼らを率いて靖国神社を参拝する。2011年(平成23年)1月、オーストリア自由党の招待によりオーストリアを訪問し、シュトラーヒェ党首や党幹部と会見。一水会・オーストリア自由党との連帯友好を強化することで合意した。2011年(平成23年)3月、『朝日ジャーナル』の緊急増刊号が刊行され、日本再生のために「日本に存在する全ての米軍基地を撤去せよ」と対米従属からの脱却を訴える。2011年(平成23年)5月、黒海に隣接するアブハジア共和国を一水会代表団として訪問し、セルゲイ・シャンバ首相、マクシム・グヴィンジア外務大臣、ヌグザル・アシュバ国会議長などと会見。日本からミカンの苗木十本をアブハジアのクリチェンコ公園に植樹した。「日本政府には出来ない親日国家の芽を育てよう」との立場から民間交流を実施した。前年の南オセチア共和国訪問と同様に、アブハジア共和国訪問も月刊レコンキスタで詳細に報告されている。2011年(平成23年)8月、アブハジアの大統領選挙に際し、国際選挙オブザーバーとして同国を再度訪問。アブハジアの現状を『週刊朝日』にて発表。2011年(平成23年)10月、インドよりカント・スハイ国務大臣が来日し、歓迎で東京を案内する。2011年(平成23年)11月、駐日ロシア大使館の2名の外交官とともに靖国神社を昇殿参拝。2011年(平成23年)11月、パレスチナがユネスコに加盟したことで、月刊『レコンキスタ』にてワリード・シアム駐日パレスチナ代表(大使)にインタビュー。2011年(平成23年)11月、慶應義塾大学戦没者追悼会の実行委員として主に学徒出陣で二千数百名の塾員・塾生の追悼会を先輩・同志と挙行(3回目)。2011年(平成23年)12月、多摩武蔵御陵における第13回勤労奉仕活動を実施。2012年(平成24年)1月、日印国交樹立60年を記念して、インド政府より招待を受けて訪印。その模様を2月20日発売の『週刊朝日』で発表。2012年(平成24年)3月、日本民族派団体として初めて駐日ロシア大使ミハイル・ベールイとの単独インタビューを敢行。レコンキスタ396号紙上にて、「真の日ロ友好関係構築のために」と題して掲載。2012年(平成24年)4月、第4回アラブデー(在京アラブ外交団主催による日本・アラブ諸国の親睦レセプション)に招待され出席。2012年(平成24年)4月、駐日アメリカ大使として初めて広島平和祈念式典に参列したジョン・ルース大使へ、長崎原爆犠牲者慰霊平和式典にも参列を求める要請文を送付。 6月8日にもロシア大使館で催されたパーティーで会い、口頭で直接要請した。2012年(平成24年)9月14日、一水会結成四十年・レコンキスタ創刊四百号・一水会フォーラム通算五百回記念集会を東京・市ヶ谷にて開催。国会議員、ジャーナリストなど各界各層から四百名を超える来場者を迎える。2012年(平成24年)10月19日、国民戦線のブルーノ・ゴルニッシュが代表を務める欧州の愛国政党の連合組織「欧州民族主義運動同盟」の第一回会議に招待され、ハンガリーを訪問。23日、同国の愛国政党ヨッビクの主催するハンガリー動乱記念集会に参列。2012年(平成24年)11月、慶應義塾大学戦没者追悼会の実行委員として、先の大戦で亡くなった二千数百名の塾員・塾生の追悼会を先輩・同志と挙行(4回目)。2012年(平成24年)12月、世界の愛国者との交流を促進するため、一般社団法人「世界愛国者交流協会」を設立。代表理事に就任。2013年(平成25年)3月、ネパールを訪問し、マオイスト最高幹部のプラチャンダ議長と会見。ネパールと日本の交流強化を約す。2013年(平成25年)4月26日から27日にかけ、参議院議員会館前にて「主権回復の日」記念式典への断食抗議活動を実施。また、4月24日には安倍総理側近に建白書を手交。25日には総理官邸に赴き内閣官房と建白書について、約一時間にわたり意見交換、進言する。同建白書を5月1日付「月刊レコンキスタ」で内外に発表。2013年(平成25年)6月20日から24日にかけ、アブハジア共和国を訪問。アンクアヴ大統領と会見。「日本の友」として同国より歓待を受け、この訪問はアブハジア国内の権威あるニュース「アブハジアニュース」でも報じられた。詳しくは7月1日付「月刊レコンキスタ」内の「ワールド・パトリオティック・ニュース」にて掲載。2013年(平成25年)7月10日、元首相・鳩山由紀夫の「尖閣不適切発言」に対し、直談判すべく鳩山事務所を訪れ、同氏と討論に及ぶ。その議論をレコンキスタ411号一面に掲載。2013年(平成25年)9月18日、西側の偏ったシリア情勢報道のあり方についてシリア・アラブ共和国大使館を訪れ、代理大使のワリフ・ハラビと会談。詳細はレコンキスタ413号一面に掲載。2013年(平成25年)10月21日、学徒出陣70周年に際し、出陣学徒壮行会が行われた国立競技場において、「出陣学徒壮行の地」石碑前での戦没者追悼会を実行委員メンバーとして斎行。2013年(平成25年)11月2日、慶應義塾大学三田学舎にて学徒出陣等戦没者追悼集会幹事として参列。2013年(平成25年)11月24日、三島由紀夫、森田必勝の志を継承する「野分祭」を実行委員として斎行。2013年(平成25年)12月8日、「これでいいのか?! TPP12・8大行動」に実行委員会メンバーとして参加。日比谷野外音楽堂に2,700人が集結。銀座デモをおこなう。2014年(平成26年)1月17日、北朝鮮から帰国直後の議員アントニオ・猪木と会談。直近の北朝鮮事情と展望について語る。詳細はレコンキスタ417号一面に掲載。2014年(平成26年)2月11日、全国民族派統一行動実行委員として全国30都市で「建国記念の日」政府主催式典開催を要求する街宣活動を行う。詳細はレコンキスタ418号一面に掲載。2014年(平成26年)3月30日、「もうやめよう! TPP交渉 3・30大行動」に実行委員会メンバーとして参加。日比谷野外音楽堂に1,200人が集結。銀座デモをおこなう。2014年(平成26年)8月3日、「一水会ロシア・クリミア訪問団」団長としてオレグ・ベラヴェンツェフ・クリミア連邦管区大統領全権代表ほか政府高官と会見。イタルタス、リアノーボスチなどロシアの新聞、テレビで大きく報道される。詳細はレコンキスタ424号一面に掲載。2014年(平成26年)8月20日、「ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典」におけるプーチン大統領の行動への感謝奏文の返礼として駐日ロシア・エフゲニー・アファナーシエフ大使からプーチン大統領から公式メッセージが届けられる。2014年(平成26年)8月21日、アブハジアの大統領選挙に際し、二度目の国際選挙オブザーバーとして同国を再度訪問する。2014年(平成26年)9月24日の「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」準備会発足の設立メンバーに参加。「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」2015年1月24日設立の呼びかけ人として名を連ねる。2015年(平成27年)3月10日、昨年に続きクリミアを訪問。同道している元首相の鳩山由紀夫(友紀夫)とのクリミア訪問になった。2015年(平成27年)3月14日、ヨルダンを訪問して、弁護士のムーサ・アブドラと交渉。日本人の遺骨交渉が難しい状況であるが、現地で動く。2015年(平成27年)4月10日、湯川遥菜と後藤健二の遺品・遺骨の帰還をめぐって、ダーイッシュ(IS)と交渉にあたってきたヨルダン人弁護士、ムーサ・アブドラが来日して関係者と会い、交渉経過を報告し、返還のための諸条件を詰めるため、アンマンの日本大使館でビザを申請した。しかし、日本政府は同月22日に氏のビザ発行を拒否する旨をムーサ・アブドラに連絡。その理由は明らかにされなかったことについても語った。2015年(平成27年)4月30日、後藤健二の母、石堂順子と記者会見。湯川遥菜と後藤健二の遺品・遺骨の帰還をめぐって、ダーイッシュ(IS)と交渉にあたってきたヨルダン人弁護士、ムーサ・アブドラが日本政府より入国を拒否されていることを報告した。2015年(平成27年)7月27日、内閣総理大臣・安倍晋三宛ての「『戦後七十周年記念談話』をめぐる情勢についての建白書」を、内閣総理大臣補佐官事務所の衛藤晟一に赴き提出。2015年(平成27年)9月9日、参議院議員会館にて、参議院安保関連法制特別委員会委員長の鴻池祥肇に「全日本憂国者連合会議」の山口祐二郎が安保法制と沖縄をめぐる建白書の提出に立ち合う。同月24日、鴻池に一水会フォーラムでの講師を依頼。「安保法制に関しては丁寧に国民に説明する必要がある」とのことで快諾を得る。10月7日、第164回一水会フォーラムで鴻池が講師を務める。2015年(平成27年)9月10日、モスクワ、クリミアでの議会選挙補選に専門的な太場から選挙監視団員として訪問。クリミアタタール人の現状について視察。2015年(平成27年)11月14日〜19日、ロシア・モスクワ経由で、クリミア民族共生発展国際会議出席のため渡航。現地での会議で、オープニングに「民族の共生と発展の秘訣はそれぞれがエゴを抑えて相手の立場を認め、その言語や文化を尊重することだと考えられる。その自制は武士道の精神にも通じるものだ。」とあいさつ。また、ロシアのテレビトゥデイの1時間番組に、副首相のゲオルギー・ムラドフ、イタリアの政党「北部同盟」のジオマッテオ・フェラーリなどと出演。邦字紙では、11月18日付でロシアNOWに記事を紹介される。滞在中にロシア大統領全権代表のオレグ・ベラベンツェフと5回目の会談を行った。2015年(平成27年)11月19日、ジャーナリストの高野孟が編集長の雑誌『インサイダー』創刊四十周年パーティーの発起人を務め、出席。当日は元首相の鳩山由紀夫と菅直人、民主党最高顧問の参議院議員・江田五月、民主党の参議院議員・藤田幸久、公明党幹事長の衆議院議員・井上義久など国会議員多数のほか、元国会議員、地方議会議員、政府関係者が顔を揃え、パーティー発起人の田原総一朗、作家の島田雅彦、二木啓孝やTBSの金平茂紀をはじめとするジャーナリストら、200人を超える面々が集まる。2015年(平成27年)11月24日、「三島由紀夫・森田必勝両烈士 顕彰祭」を開催。記念講演の講師に軍事評論家の田母神俊雄を迎き実施。2015年(平成27年)12月7日、西部邁が発起人を務める「Omuniumgatherum(オムニアムギャザラム)忘年会」の賛同人として出席。富岡幸一郎、水島総、佐高信、寺脇研、窪田哲学が同じく賛同人として、立川談四楼による司会で、元首相・鳩山由紀夫、参議院議員の脇雅史と西田昌司、ジャーナリストや文化人など、約150名が出席。2016年(平成28年)4月12日〜20日にロシア訪問。14〜16日にヤルタ国際経済フォーラムに出席後、モスクワではロシア政府要路などと会談。また、ロシアの自由民主党のジリノフスキーの側近とも会談。2016年(平成28年)9月8日から21日までロシア各地を訪問し、現地の方々と会談・意見交換。北コーカサス・カフカスでは、プーチン大統領の側近であるオレグ・ベラヴェンツェフ北コーカサス連邦管区大統領全権代表と会談。9月18日にはロシア下院選挙がおこなわれ、今回も国際有識者として、クリミアの投票所を視察。ロシアで訪問や会談が新聞・テレビで報道される。
出典:wikipedia
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