『八つ墓村』(やつはかむら)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。本作を原作とした映画が3本、テレビドラマが6作品、漫画が5作品、舞台が1作品ある(2014年3月現在)。9度の映像化は横溝作品の中で最多である(次いで『犬神家の一族』が映画3本、ドラマ5本)。1977年の映画化の際、キャッチコピーとしてテレビCMなどで頻繁に流された「祟りじゃ〜っ! 八つ墓の祟りじゃ〜っ!」という登場人物のセリフは流行語にもなった。『本陣殺人事件』(1946年)、『獄門島』(1947年)、『夜歩く』(1948年)に続く「金田一耕助シリーズ」長編第4作。小説『八つ墓村』は、1949年3月から1950年3月までの1年間、雑誌『新青年』で連載、同誌休刊を経て、1950年11月から1951年1月まで雑誌『宝石』で『八つ墓村 続編』として連載された。作者は、戦時下に疎開した両親の出身地である岡山県での風土体験を元に、同県を舞台にしたいくつかの作品を発表している。本作は『獄門島』や『本陣殺人事件』と並び称される「岡山もの」の代表作である。作者は、農村を舞台にして、そこで起こるいろいろな葛藤を織り込みながらできるだけ多くの殺人が起きる作品を書きたいと思っていたところ、坂口安吾の『不連続殺人事件』を読み、同作がアガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』の複数化であること、そしてこの方法なら一貫した動機で多数の殺人が容易にできることに気がつき、急いで本作の構想を練り始めた。そこで『獄門島』の風物を教示してもらった加藤一(ひとし)氏に作品の舞台に適当な村として伯備線の新見駅の近くの村を教えてもらったところ、そこに鍾乳洞があると聞き、以前に外国作品の『鍾乳洞殺人事件』を読んだことがあることから俄然興味が盛り上がった。作品の書き出しに当たって、衝撃的な過去の事件「村人32人殺し」である昭和13年に岡山県で実際に起こった津山事件(加茂の30人殺し)が初めて脳裏に閃いた。本格探偵小説の骨格は崩したくはなかったが、当時の『新青年』は純粋の探偵雑誌というよりも大衆娯楽雑誌の傾向が強かったことから、スケールの大きな伝奇小説を書いてみようと思い立ち、それには津山事件はかっこうの書き出しになると気がついた。ただし、作品の舞台はわざと津山事件のあった村よりはるか遠くに外しておいた。物語は、冒頭部分を作者が自述、それ以降を主人公の回想手記の形式で進行する。山村の因習や祟りなどの要素を含んだスタイルは、後世のミステリー作品に多大な影響を与えた。村の名前は実在した近隣の地名、真庭郡八束村(現在の真庭市蒜山)が元である。前作『夜歩く』の一人語りと同様に、冒頭の過去談を除いては、主人公・寺田辰弥の一人語りの形式をとる。物語は全て彼の口から語られ、彼の体験の順に並ぶ。そのため、金田一による捜査や推理、それに説明は時系列上は遅れて出るところが多い。戦国時代(永禄9年=1566年)のとある小村に、尼子氏の家臣だった8人の落武者たちが財宝とともに逃げ延びてくる。最初は歓迎していた村人たちだったが、やがて毛利氏による捜索が厳しくなるにつれ災いの種になることを恐れ、また財宝と褒賞に目がくらみ、武者たちを皆殺しにしてしまう。武者大将は死に際に「この村を呪ってやる! 末代までも祟ってやる!」と呪詛の言葉を残す。その後、村では奇妙な出来事が相次ぎ、祟りを恐れた村人たちは野ざらしになっていた武者たちの遺体を手厚く葬るとともに、村の守り神とした。これが「八つ墓明神」となり、いつの頃からか村は「八つ墓村」と呼ばれるようになった。大正時代、村の旧家「田治見家」の当主・要蔵が発狂し、村人32人を惨殺するという事件が起こる。要蔵は、落武者たちを皆殺しにした際の首謀者・田治見庄左衛門の子孫でもあった。そして20数年後の昭和24年、またもやこの村で謎の連続殺人事件が発生することとなる。物語は、神戸に住む寺田辰弥の身辺をかぎ回る不審人物の出現から始まる。彼は母1人子1人で、戦争から戻ってくると天涯孤独の身となっていた。そして復員後2年近く過ぎたある日、彼の行方をラジオで捜していた老人と、弁護士の仲介で面会する。ところが、2人きりになったとたん、老人は血を吐いて死ぬ。落武者たちの殺害の首謀者である田治見庄左衛門の子孫。東屋と呼ばれる村の分限者(金持ち、資産家)。資産は昭和24年(1949年)当時の金額で1億2000万円以上にも達する。登場人物が非常に多く、人物相関が入り組んでいる上、トリックが複雑で巧妙なことから、映像化作品はいずれも大幅な改編省略を余儀なくされている。特に里村典子(さとむら のりこ)は、事実上のヒロインであるにもかかわらず、1951年の松田定次監督作と1996年の市川崑監督作の各映画版に登場する他は削除されている。1951年11月2日に公開された。東映、監督は松田定次、主演は片岡千恵蔵。『八つ墓村』最初の映画化作品。地方の旧家を舞台にした正統派のミステリー。片岡演じる金田一はスーツ上下にソフト帽というダンディなスタイルで登場。1977年10月29日に公開された。松竹、監督は野村芳太郎、主演は渥美清。この映画のキャッチコピーに使用された濃茶の尼(こいちゃのあま)のセリフ「祟りじゃ〜っ!」が流行語になったことでも有名。多治見家(本作では「多治見」と表記している)は岡山県の吹屋ふるさと村にある広兼邸でロケが行われた。配収19億9000万円を挙げた松竹映画の大ヒット作。1996年10月26日に公開された。東宝/フジテレビジョン・角川書店・東宝提携、監督は市川崑、主演は豊川悦司。1970年代に数多くの金田一映画を手がけてきた市川による映画化作品。物語は簡素化されているが、原作に比較的忠実に描かれている。特に、原作ではヒロイン的な扱いながら映像化の際は省略されることの多い典子の扱いが比較的重い点が特徴。この映画では、金田一は諏訪弁護士の依頼により村を訪れている。そのほか、犯人特定のきっかけが非常に露骨なものとなっている。この映画の主題歌「青空に問いかけて」は、テレビドラマ『俺たちの朝』の主題歌を作曲家・小室等がセルフカバーしたものである。NETテレビ系列の「怪奇ロマン劇場」枠(毎週土曜日22:30 - 23:26)で1969年10月4日に放送された。『サスペンスシリーズ 八つ墓村』は、NHK総合の「銀河ドラマ」枠(月-金曜日21:00 - 21:30)で1971年8月2日から8月6日まで放送された。全5回。『横溝正史シリーズII・八つ墓村』は、TBS系列で1978年4月8日から5月6日まで毎週土曜日22:00 - 22:55に放送された。全5回。『名探偵・金田一耕助シリーズ・八つ墓村』は、TBS系列の2時間ドラマ「月曜ドラマスペシャル」(毎週月曜日21:00 - 22:54)で1991年7月1日に放送された。『横溝正史シリーズ6・八つ墓村』は、フジテレビ系列の2時間ドラマ「金曜エンタテイメント」(毎週金曜日21:02 - 22:52)で1995年10月13日に放送された。『金田一耕助シリーズ・八つ墓村』は、フジテレビ系列の2時間ドラマ「金曜エンタテイメント」(金曜日21:00 - 23:22)で2004年10月1日に放送された。2008年12月10日から12月14日、劇団ヘロヘロQカムパニー、前進座劇場。『灰色の部屋 八つ墓村』は、1952年7月2日から7月23日までNHKラジオ第2放送で放送された。全4回。1996年7月15日から11月11日までTBSラジオで放送された。全18回。本作品の漫画との関係は横溝正史#経歴および金田一耕助#漫画化作品に譲る。
出典:wikipedia
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