ヴィンセント・テラノヴァ(Vincent Terranova, 1886年5月15日 - 1922年5月8日)は、ニューヨークのマフィア、モレロ一家のリーダーの1人。酒の密輸で財を築き、ハーレム・タイガーと呼ばれた。ヴィンセント・モレロとも表記される。シチリア島コルレオーネ生まれ。地元マフィアのベルナルド・テラノヴァの3人兄弟の長男(次男チロ、三男ニコラス)。ジュゼッペ・モレロは異父兄にあたる。1892年一家で渡米し、ニューヨークからルイジアナ、テキサスを転々としたが、1896年頃、ニューヨークに戻り、イースト・ハーレム地区に定住して学校に通いながら家族の左官業を手伝った。モレロ一家(107丁目ギャングとも呼ばれた)の一員になった。1908年9月、ハーレムでイタリアンロッテリー(イタリア式富くじ)を運営していたライバルのサム・シッカ(Sam Sicca)を殺害した疑いで逮捕されたが、のち放免された。1910年、ジュゼッペ・モレロが監獄送りになると弟チロやニコラスと共にモレロ一家のリーダーの一人となった。1915年5月、ナポリ系ギャングの大物ジョシュ・ガルッチを、ブルックリンのカモッラ勢(ペリグリーノ・モラノやネイビーストリートギャング)と共謀して殺害し、その賭博利権を奪った。また冷蔵庫のない時代の生活必需品である氷の配給ビジネスに進出した。ブルックリンカモッラとの提携、その後の対カモッラ抗争で弟のニコラスと共に、ライバルの掃討や反逆者への制裁を主導した(マフィア-カモッラ戦争)。1916年9月、カモッラ勢によりニコラスが暗殺されると、カモッラに執拗に命を狙われたが、1917年11月、カモッラの主要リーダーが内部密告で芋づる式に検挙されて脅威は消えた。カモッラに取られたハーレムの賭場の縄張りを奪い返した。1913年、レイナ一家(後のルッケーゼ一家)のベルナルディナ・レイナと結婚した。禁酒法施行後、縁戚のヴィンセント・サレミやナポリ系の"ジョー・ペッポ"ヴィセルティとハーレム向けのアルコール密売を始め、財を築いた。1920年、ジュゼッペ・モレロが出所すると、モレロ一家が勢いを取り戻すのを恐れたトト・ダキーラがモレロ一家全員に死の宣告を出したとされ、抗争が勃発した。1921年10月、ヴィンセントの密輸仲間ジョー・ペッポが殺された。1922年5月8日、ハーレム116丁目の自宅近くで、走行中の車からショットガンで銃撃され、リボルバーで撃ち返したが、9発の兆弾を浴びて死亡した。モレロ派のジョー・マッセリアに密輸仲間のサルヴァトーレ・マウーロを殺されたウンベルト・ヴァレンティの仕返しとされる。ニコラ・ジェンタイルによれば、ヴァレンティはダキーラの部下だったがダキーラと喧嘩し、モレロ派と同じく死の標的にされていたが、ダキーラと和解してモレロ派を攻撃した。その後モレロ一家は、ヴィンセント暗殺の3か月後にヴァレンティを謀殺したマッセリアが一家を継ぎ、シチリアに潜伏していたジュゼッペ・モレロが復帰しアドバイザーとなった。指にダイアモンドリングをはめ、ピンストライプの高価なスーツとシルクのシャツを着こなし、ハーレムタイガーの異名があった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。