イーラーム州( استان ایلام Ostān-e Īlām)はイランの州(オスターン)。国土の南西部、イラクとの国境に位置する。州都はイーラーム。面積は19,086km²、管下にイーラーム、メフラーン、デフロラーン、ダッレ・シャフル、シールワーン・チャルダーヴォル、アイヴァーン、アーブダーナーンの各市(シャフル)がある。周囲は南でフーゼスターン州、東にロレスターン州、北にケルマーンシャー州があり、西では425kmにわたってイラクとの国境線を形成する。1996年現在、人口は488,000人。イーラーム州はイランでも温暖な地域にあたるが、北部、北東部の山岳地帯は比較的冷涼である。年間平均降水量は578mm。1996年の最高気温は8月中の38度、最低気温は2月に記録した0.4度である。冬の凍結が見られるのは27日間である。イーラーム州の最高点はザーグロス山脈の(Kuh-e Warzarin山)2790m。イランの他地域同様、住民はクルド、アラブ、ロルなどの複数民族からなり、アラブやロルはほとんどが南部に住む。
考古学的には約6000年前からイーラームには人が住んでいたと思われる。史料によるとイーラームはエラムの一地域であった。エラムおよびバビロニアの碑文銘などでは、イーラームは「アラムト」や「アラム」と呼ばれ、「山岳」あるいは「日出ずる国」の意である。その後はハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)に属した。州内およびロレスターン州で発掘されるサーサーン朝期の多数の遺跡の存在は、当時のこの地域の重要性を示している。11世紀後半から13世紀にかけてはクルドによる支配を受けた。1930年、国土の再区分によりケルマーンシャーの地域の一部となり、その後分州されてイーラーム州となった。イーラームにはさまざまな点で部族社会の名残があるが、1980年代以降、部族的あり方は大幅に変容している。イラン・イラク戦争で大打撃を受け、イラク軍の激しい爆撃により経済的インフラストラクチャーのほとんどが破壊された。イーラームはこれによりイランでも発展の遅れた地域となっている。2003年現在、イーラーム州の失業率は19. 9%に達する。1990年代後半以降、中央政府は産業発展を期してイーラームに投資をはじめ、日本の援助による石油産業関連施設も建設された。イラン文化遺産協会に174ヵ所が登録される観光セクターも期待されているが、まだ整備は整っていない状況にある。
出典:wikipedia
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