バックドロップはレスリングやプロレスで用いられる投げ技の一種。アメリカ合衆国ではベリートゥバック・スープレックス ("belly to back suplex")、日本では岩石落としという別名でも呼ばれる。一般的にはアメリカのプロレスラーで"鉄人"の異名を持つルー・テーズによって開発されたとされている。しかし、実際には大正時代にエド・サンテルが柔道の裏投げを弟子のティヤシュ・ラヨシュに伝え、彼が改良を加えて完成させた。このラヨシュは英語ではアロイジャス・マーティン・ルー・セスと名乗っており、これが日本で誤読されルー・テーズとなったとする説が有力。また、日本でルー・テーズがバックドロップを必殺技にしてリング上で活躍したため、ルー・テーズ=バックドロップのイメージが定着したのも誤解の原因であるといえる。ただ、バックドロップをメジャーなプロレス技として世間に広めたのは、紛れも無くルー・テーズである。だが、これ以前からレスリングではブリッジを活かしたバック投げ(バックスープレックス)が一般化しており、こちらがルーツであると言う見解も有力である。古くからの日本のプロレスラー(現在では天龍源一郎ら)やオールドファンは、バックドロップ自体のことを「ルー・テーズ」と呼ぶ。背後から相手の腋下に頭を入れ、両腕で相手の胴に腕を回しクラッチして持ち上げ、自ら後方に反り返るように倒れ込んで、相手の肩から後頭部にダメージを与える。技が開発された当初は開祖として有名なルー・テーズ他、主にレスリング出身の選手が好んで使用していたが、技としての手軽さと威力の高さに注目した各レスラーが使用し始め、現代では非常に多くの使い手が存在するが、その分受身も改良されてしまい、説得力のあるフィニッシュ・ホールドとして使用している者は限られている。日本人の使い手としては、テーズから伝授されたジャンボ鶴田が有名。現代においてバックドロップを明確にフィニッシュとして用いているのは渕正信、森嶋猛、小川良成、永田裕志、大矢剛功、山本尚史、百田光雄、後藤達俊、間下隼人等である。小川や永田はバックドロップ・ホールドも得意としており、フィニッシュにはこちらの方がよく使われている。ルー・テーズによって日本にもたらされたバックドロップは、日本プロレスの開祖・力道山を含む日本の強豪レスラー達を次々に沈めた技として、強い衝撃を人々にもたらした。それは後年、日本において多くの名手を生み出す要因となっている。アントニオ猪木も現役時代、延髄斬りを開発する前は卍固めと共にフィニッシュに用いていた。ウィレム・ルスカとの異種格闘技戦において放ったバックドロップ3連発のシーンは、長くワールドプロレスリング中継のオープニングを飾る1シーンとして使用されていた。一方、そのライバルであったジャイアント馬場は、己の長身でこの技を繰り出すことが非常に危険であることを自ら察知し、自らの肩越しに相手をスライドさせるようなドリー・ファンク・ジュニア式の抱え式バックドロップを使っていた。ジャンボ鶴田は、コーチとして来日したルー・テーズに直接教えを受けたことでバックドロップを必殺技として蘇らせた。後藤達俊の出したバックドロップを喰らった対戦相手の馳浩が、試合後に一時心臓停止したことがある。死亡例としては2009年6月13日三沢光晴が齋藤彰俊のバックドロップを受けてまもなく亡くなっている。この技は色々と加味されていて、バリエーションが多いのが特徴である。少しでも体勢が違えば別の技とされるプロレス界においては珍しく、多くはバックドロップとしへて扱われている。相手にバックドロップを見舞った後、ブリッジを崩さずに維持しつつクラッチを解かずにピンフォールを狙うもの。「岩石落とし固め」とも呼ばれる。日本では古くは、1967年に来日したダン・ミラーが公開。この時は「原爆固め」と紹介された。1984年2月23日、時のAWA世界ヘビー級王者ニック・ボックウィンクルに挑戦した鶴田がフィニッシュ・ホールドとして出した。形としてはヘソ投げ式で繰り出した。鶴田はこの技で最初の日本人AWA世界ヘビー級王者となっている。なおブリッジが崩れた場合は、そのまま倒れこみ式バックドロップ・ホールド(後述)に切り替えてフォールを狙う場合がある。このタイプの代表的な使い手は鶴田の他にはボブオートン・ジュニア永田裕志、諏訪魔がいる。
出典:wikipedia
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