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デューク・オブ・ヨーク (戦艦)

デューク・オブ・ヨーク (HMS Duke of York, 17) は、イギリス海軍の戦艦。キング・ジョージ5世級。艦名は最初はアンソンだったが、1938年12月にデューク・オブ・ヨークと改名された。ジョン・ブラウン社で建造され、1937年5月5日に起工、1940年2月28日に進水し、1941年11月4日に竣工した。竣工後、本国艦隊に所属する。1941年12月中旬、デューク・オブ・ヨークはアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領との会談のためアメリカへ向かうイギリスのウィンストン・チャーチル首相を乗せた。デューク・オブ・ヨークは12月22日にアナポリスに到着し、1942年1月にはバーミューダへの慣熟航海を行い1月17日にスカパ・フローへと向かった。1942年3月1日、デューク・オブ・ヨークは巡洋戦艦レナウン、巡洋艦ケニア、6隻の駆逐艦とともにPQ12船団の近接護衛を務めた。ジョン・トーヴィー大将が、ドイツの戦艦ティルピッツが船団攻撃に出撃して来るかもしれないと考えたため3月6日には戦艦キング・ジョージ5世、空母ヴィクトリアス、重巡洋艦ベリック、駆逐艦6隻が増強された。3月6日、ティルピッツは出撃し19時40分ごろにイギリス潜水艦により発見された。ヴィクトリアスの搭載機による不成功に終わった雷撃を除けば両軍の間に接触は無かった。1942年10月、デューク・オブ・ヨークはH部隊の新たな旗艦としてジブラルタルに派遣され、翌月にはトーチ作戦を支援した。デューク・オブ・ヨークはイタリア軍機による攻撃を受けたがそれらは比較的小規模であり空母ヴィクトリアスやフォーミダブル、フューリアス搭載機によって速やかに処理された。その後、デューク・オブ・ヨークはイギリスに戻り修理を受けた。1943年10月、リーダー作戦に参加し同年12月26日にはJW55B船団攻撃に出撃してきたドイツ海軍の巡洋戦艦シャルンホルストと交戦し、スタビライザー方式の主砲射撃方位盤により荒天の揺れを抑え、さらに正確なレーダー管制射撃によりこれを大破させた。シャルンホルストは最終的に軽巡洋艦ジャマイカや駆逐艦の雷撃により沈没した。(北岬沖海戦)1945年4月には太平洋艦隊所属となり、7月太平洋に到着し太平洋艦隊の旗艦として9月2日の日本の降伏調印式に参加している。1957年に除籍され、のち解体した。北洋船団護衛
北アフリカ
南イタリア上陸
日本本土上陸予備作戦など

出典:wikipedia

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