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ワシントン・ステカネロ・セルケイラ

ワシントン・ステカネラ・セルケイラ (Washington Stecanela Cerqueira, 1975年4月1日 - ) は、ブラジル、リオグランデ・ド・スル州カシアス出身の元同国代表の元サッカー選手(フォワード)。SCインテルナシオナルやグレミオ、トルコのフェネルバフチェSK等の名門クラブに在籍して活躍。フェネルバフチェ在籍時には、UEFAチャンピオンズリーグの予選で当時小野伸二が在籍していたフェイエノールトと対戦した。しかし、クラブは本選には進めなかった。サッカーブラジル代表としても10試合3得点の成績を残しており、2001年に日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001にも出場した。フェネルバフチェ入団直後の2002年11月に練習後に胸痛を訴え、虚血性心疾患と診断され、その後2度にわたり経皮的冠動脈形成術を受けた。クラブ側が契約解除するなど一時は選手生命も危ぶまれたが、開胸せずに済んだこともありリハビリを経て復活。2004年に加入したブラジルのアトレチコ・パラナエンセでは、復帰戦でいきなりゴールするなど38試合で34得点を挙げ、ブラジル全国選手権の得点記録を塗り替えて得点王に輝いた。2005年より東京ヴェルディ1969に加入。リーグ戦で22得点を挙げるもチームは降格、契約非更新により退団し、翌2006年に浦和レッズに加入、26得点を挙げガンバ大阪のマグノ・アウベスと共に得点王に輝き優勝に貢献した。しかし2007年、浦和の監督に就任したホルガー・オジェックと起用法などで対立し、以下の様な造反行為を繰り返した。また、Jリーグ在籍3年目を迎えた事によって対戦相手のワシントンに対する研究が進み、マークが厳しくなった影響で前年までの爆発的な得点力を発揮出来なくなっていた。結局、これらがきっかけとなり、AFCチャンピオンズリーグ制覇やFIFAクラブワールドカップでの3位獲得に貢献したものの、クラブは契約更新を行わず、浦和を退団した。2008年、6年ぶりに母国ブラジルへ帰国しフルミネンセFCに所属。1年目にしてブラジル全国選手権の得点王を獲得。2009年1月、前年度の活躍が認められ、ブラジル全国選手権3連覇中の王者サンパウロFCへと移籍した。2010年7月、フルミネンセへ再移籍した。元浦和のエメルソンとチームメイトとなり、8月1日に行われたアトレチコ・パラナエンセとの試合ではエメルソンと共に出場し、ワシントンが2点、エメルソンが1点を取り、3-1で勝利。チーム26年ぶりのリーグ優勝を決めた最終節では、エメルソンの決勝点をアシストした。2011年1月、メディカルチェックでかねてから不安視されていた心臓に問題が見つかったため、現役を引退すると発表した。2012年、カシアス・ド・スル ("Caxias do Sul") 市議を務める。198||126||||||||||||12||9||||||||||||85||64||11||14||3||3||99||81295||199||||||||||||その他の公式戦|2007年||浦和||21||10||1||3||3!通算!!colspan="2"|AFCその他の国際公式戦

出典:wikipedia

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