仙台89ERS(せんだいエイティナイナーズ、)は、宮城県仙台市をホームタウンとしてB.LEAGUEに所属するプロバスケットボールチームである。89ERSがホームタウンを置く宮城県仙台市は、日本野球機構の東北楽天ゴールデンイーグルスと日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のベガルタ仙台も本拠地を置いている。仙台にある3つのプロスポーツチーム同士で、県内スポンサーを争奪し、金額では楽天に、スポンサー数ではベガルタに広告が集中しており、よって89ERSは広告収入に脆弱性がある。このような経営基盤の弱さのため、89ERSは設立から赤字経営であり、在籍している選手数もリーグ内で少なめであるが、2007-08シーズンには東地区1位となった。また、初めてとなるメインスポンサーである胸スポンサーの獲得にも成功した。運営費は、リーグ初年度の2005-06シーズンが約2億1000万円だった(参照)。89ERSの休日のホーム戦の観客は、その過半数を女性が占め、30歳代次いで20歳代が多い。これは、楽天の平日ナイターの観客が、男女半々で40歳代次いで30歳代が多く、ベガルタでは男性が過半数で30歳代次いで40歳代が多いのと比べて、観客層が若く、より女性が多い傾向が見られる。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、1年間の活動休止を3月17日付の公式サイトにて発表。その後、2011-12シーズンについては「経済面などでの条件付」でリーグ戦に参加すると発表し、後に正式参戦した。仙台都市圏内にある以下の施設で行っている。過去にアリーナMCを務めた人物過去のスポンサーチーム名は、チームの本拠地である仙台市に関する西暦年に由来する。以上、2つの西暦の下2桁の「89年」という年が、仙台にとって始まりを象徴する数字であると考えられ、「89年の人々」を意味する英語の「89ERS」をチーム名とした。なお、89ERSと同様に西暦年に由来するチーム名を持つ著名なプロスポーツチームには、アメリカ合衆国に本拠を置く以下の2チームがある。いずれの場合も、数字の後に小文字で「-ers」と続けるのが一般的。「仙台89ERS」の場合は、「-ERS」と大文字で書くのが正式である。そのほかにヒューストン・アストロズも創設当初はHouston Colt .45s (フォーティファイヴス)と名乗っていたが、これは現地の拳銃メーカーと、西部劇「コルト45」にちなむものである。なお、チーム名の英語表記は "SENDAI EIGHTY NINERS" であり、forty-ninersのように英語で一般的に見られるEIGHTYとNINERSの間のハイフンは不要である。2016年(平成28年)3月1日付で、運営会社の株式会社仙台スポーツリンクも、チーム名と同じ株式会社仙台89ERSへと社名変更した。bjリーグ初年度の2005-06シーズンはマーマドゥ・ディオウフ、アンドレ・ラリー、マイケル・ジャクソンらフォワード陣が、得点、リバウンド、出場時間などでチームをリードした。
開幕当初、89ERSはリーグで首位に立ったが徐々に順位を落とし、シーズン中盤にディオウフを怪我で欠いて以降は苦戦が続いた。シーズン後半に元福岡レッドファルコンズのガード上山博之、元ABAでフォワードのジミー・ミギンズを獲得。シーズン終盤のプレイオフ出場争いで大分を振り切りシーズン成績18勝22敗で上位4位に入り、プレイオフ進出を決めた。攻守の要マイケル・ジャクソンはシーズンのベスト5に選ばれた。プレイオフでは緒戦で大阪と対戦し敗退、三位決定戦では東京Aに敗れ初年度を四位の成績で終えた。プレイオフ争いを最後まで演じたが、2年連続出場はならず。少数精鋭を打ち出し、ボビー・セントプルーやパトリック・ワーティーらが活躍。日本人選手の底上げも成功し、激戦の東地区を1位で通過する。プレーオフは初戦で東京Aに敗れるも3位決定戦で福岡に勝利。プレーオフ初勝利を挙げた。フォワード・センターはボビー・セントプルー、クリス・ホルムを中心とした外国人選手、ガードはキャプテンの日下光、アウトサイドのシュートを得意とする高橋憲一、このシーズンから加わった志村雄彦を中心に起用。レギュラーシーズンで東地区3位となり、カンファレンスセミファイナルで東京A(東地区2位)と対戦したが2連敗で敗退。2月13日の沖縄戦ではbjリーグの1試合最少得点記録となる48点しか取れずに敗戦。しかしこの記録は翌日に富山によって更新された。レギュラーシーズンの成績はチーム史上最高勝率を記録して東地区2位となる。カンファレンスセミファイナルはレギュラーシーズンでの対戦成績が5勝1敗と相性の良かった新潟(東地区3位)をホームに迎えて行われたが、第1戦を落とす。翌日の第2戦は勝利したが、続く第3戦で敗れてファイナル4進出はならなかった。マック・ホプソンや前大分のマイク・ベル等を補強。シーズンでは東地区で2位をキープしていたが、3月11日に東北地方太平洋沖地震が発生。この地震の影響でチームは以後のシーズンの活動を休止し、リーグが定めた選手救済制度によりほとんどの日本人選手を他チームにレンタル移籍させることとした。創設時から指揮を執っていた浜口炎HCが退任し、新HCにロバート・ピアスが就任した。東地区6位でプレイオフに進出。カンファレンスファーストラウンドは東地区3位の秋田と敵地で対戦して第1戦に勝利したが、2,3戦目に敗れて敗退。新たなホームアリーナとなったゼビオアリーナ完成後初のシーズンとなったがシーズン序盤から勢いに乗れずに下位に低迷。2月23日には成績不振を理由にロバート・ピアスHCが解任され、間橋健生GMがHC代行を兼任する事になった。東地区7位でプレーオフ進出を6年ぶりに逃し、平均観客数も2,000人を切りチーム史上最低となった。河内修斗を新たなHCとして迎えた。シーズン終盤までプレイオフ進出争いに加わるも、最終盤で失速。東地区8位でシーズンを終え、2シーズン連続でプレイオフ進出を逃した。河内HCが続投。志村ら5名の日本人選手とホワイト、ハミルトン両外国人選手が残留。ケジュアン・ジョンソン、レジー・オコーサらが加入した。だが、オコーサがリーグ指定のメディカルチェックを通過できなかったため契約合意に至らず、代わりにディリオン・スニードが入団したが、開幕直前に椎間板ヘルニアを発症し契約解除された。開幕戦から3カードは外国人不足を否めず全て1勝1敗の成績だったが、新潟からエイドリアン・モスを獲得すると、上昇の兆しをみせた。しかし、ハミルトンが怪我の影響により契約を解除。再び勝ち星を伸ばせなくなった。その後ジェラル・デービスが加入し、リーグ戦中盤から終盤にかけて、チーム新記録となる11連勝・同ホーム10連勝を達成するなど好調を維持。過去最高勝率となる.712、東地区3位という成績で、3季ぶりにプレーオフ進出。ジョンソンが得点、スティールで二冠を取り、さらにベスト5とチーム初のシーズンMVPを受賞した。しかしプレーオフでは、6位の青森に連敗しシーズンを終えた。河内体制3年目。前年度主将の金子、高田が退団。主力だった和田が信州に移籍。外国人もホワイトを除き退団した。新戦力は共に仙台高校出身の片岡大晴(前 NBL北海道)と柳川龍之介(前 NBL広島)、前新潟の坂井耀平が加入。また、高岡大輔が3季ぶりに復帰した。外国人は、2011-12シーズンに岩手に在籍していたジャーマル・ボイキン(ルーベン・ボイキンの実弟)と2010-11シーズンまで仙台に在籍していたクリス・ホルムの二人が加入した。しかし、ホルムが9月に引退を表明し退団。新たに、ユタ大学出身のダリン・バチンスキーが加入した。開幕直後は、ホワイト、ボイキン両外国人、片岡らの活躍で開幕7連勝マークするなどここ数年では上々のスタートをきった。ところが、片岡が腰の負傷で1ヶ月近く離脱、志村も試合中ての接触で足を負傷するなど苦戦を強いられる状況であった。それでも、新加入の坂井が穴を埋め、両外国人の奮闘もあり、好調を維持した。さらなる成績向上にむけ、11月にバチンスキーとの契約を解除、新たに前福島のテレンス・シャノンを獲得した。その後も、勝ち星を重ね、首位で折り返したが、後半戦に入ると、信州、新潟に連敗し暗雲が立ち込めた。打開策として、3月からシャノンをスタメンに抜擢すると、これが上手くはまり、チームは再び勢いを増した。最終的に2位でシーズンを終え、震災から復活して以降最高の成績を記録、また、MVPにはホワイトが選出され、昨年のジョンソンに続いて2年連続でMVPを輩出した。ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。シーズンMVPベスト5得点王アシストリバウンドスティールフリースロー成功率ベストブースター賞89ERSのホームゲームにおいて、必ず行われるダンスが「ジンギスカンダンス」である。ダンスといっても、タオルや手ぬぐいなどを使った、いたって簡単な振り付けである。しかし、その簡単な振り付けと、乗りやすいダンスミュージックである「ジンギスカン」との相乗効果によって、ブースターに非常に人気のあるダンスになっている。対戦相手のブースターにも好評であり、一緒に踊る光景も見受けられることがある。このジンギスカンダンスは、仙台89ERSの名物になっている。ジンギスカンダンスの模様は、プロバスケ! bjリーグtvにて紹介された。
出典:wikipedia
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