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世祖 (朝鮮王)

世祖(せいそ、セジョ、永楽15年9月29日(1417年11月7日) - 成化4年9月8日(1468年9月23日)、在位:1455年閏6月11日(新暦7月25日) - 1468年9月7日(新暦9月22日))は、李氏朝鮮の第7代国王。即位前は晋平大君(しんへいだいくん、チンピョンデグン)→咸平大君(かんへいだいくん、ハムピョンデグン)→晋陽大君(しんようだいくん、チニャンデグン)を経て1445年に首陽大君(しゅようだいくん、スヤンデグン)に冊封された。孫に第9代国王成宗などがいる。第4代国王世宗の第2王子であり、第3代国王太宗の孫である。世宗の次男として生まれた。1452年に兄の文宗が没し、自らの甥にあたる端宗が11歳で即位すると、王を補佐する役割を担う。しかし、1453年に端宗を補佐する大臣らを除いて政権を掌握する(癸酉靖難)。1455年には譲寧大君や申叔舟、權擥、韓明澮らの後押しにより自ら端宗に退位を強要し、39歳(数え年)でそのまま即位した。王位に就くと、山のような上書を書いたり、また王宮の広場で座り込んで訴訟をする反対勢力を拷問や股裂きの刑罰等でことごとく粛清し、議政府署事制を廃して再び六曹直啓制を復活、王権を自身の元に集約する。1457年には、明において、当時上皇であった英宗が重祚した奪門の変が起こると甥で既に魯山君に降格されていた前王端宗を配流先で賜薬により毒殺している。晩年には自身の身体の皮膚が徐々に癩病(現在でいうハンセン病)に侵されるようになり、1468年9月7日に次男の海陽大君(のちの睿宗)に王位を譲って上王となったが、先述の通り翌日に52歳(数え年)で薨去した。強力な王権を維持するため、官制の改革、法制や軍制の充実に努め、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を開始した。

出典:wikipedia

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