龍田(たつた)は、大日本帝国海軍の軽巡洋艦。天龍型の2番艦である。その艦名は、奈良県の竜田川から名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては2隻目にあたる。佐世保工廠で建造された。1917年7月24日起工、1918年5月29日進水、1919年3月31日に竣工した。1920年、シベリア出兵に参加、船団護衛に従事した。1924年3月19日には佐世保港外で演習中に第43潜水艦と衝突事故を起こした。この事故で第43潜水艦は沈没、乗員45名全員が死亡した。1923年の関東大震災ではその高速を活かし、呉から災害援助物資を満載して東京に急行した。1937年7月8日から1938年12月15日まで日中戦争で中国沿岸で行動した。 1941年9月1日、舞鶴を出港しトラックに進出、12月8日太平洋戦争の開始によりウェーク島攻略のため援護部隊としてクェゼリン環礁を出撃した。12月11日に行われたウェーク島攻略戦では日本軍は如月、疾風と2隻の駆逐艦を失い作戦は失敗に終わった。12月21日、2度目のウェーク島攻略作戦のため龍田を含む攻略部隊はクェゼリン環礁を出撃した。22日から23日にかけて行われた戦いで日本軍はウェーク島を占領した。1942年1月、日本軍はビスマルク諸島、ラバウル、カビエンの攻略を開始した。龍田はカビエン攻略部隊として同型艦の天龍等と共に1月20日にトラックを出港した。カビエン攻略は22日に行われ無血占領された。その後、龍田は3月8日に行われたニューギニア島ラエ、サラモア攻略作戦などを支援した。6月にはポートモレスビー攻略作戦のため出撃したが珊瑚海海戦の結果作戦は中止された。その後はガダルカナル島やポナペ島への輸送任務に従事した。1943年4月1日、練成部隊として第一艦隊第十一水雷戦隊が結成され、龍田はこの部隊の旗艦となった(この頃には最早天龍型が旧式などという贅沢は言っていられない時期であった)。1944年3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の護衛部隊旗艦として横須賀を出港、翌13日八丈島沖で米潜水艦サンドランス ("USS Sand Lance, SS-381") の雷撃で沈没した。龍田は5月10日に除籍された。龍田の司厨長が、醤油を基本とした調味液に漬け込んだ鶏肉に不足がちだった小麦粉の代用として片栗粉をまぶし、唐揚げ風に揚げた料理を発案した。その料理が評判を呼び『龍田式唐揚げ』として海軍で調理法が広まったのが、現在の「竜田揚げ」の由来であるとされる(諸説有り)。現在でも『竜田揚げ』と表記せず、『龍田揚げ』表記で提供されている店も多い。
出典:wikipedia
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