豊郷町立豊郷小学校(とよさとちょうりつ とよさとしょうがっこう)は、滋賀県犬上郡豊郷町大字石畑にある公立小学校。歴史的建造物として認知されている旧校舎の存在や、それを取り巻く保存活動、さらには旧校舎がアニメの舞台に設定されたことなどから、全国的にその名を知られている。〒529-1169 滋賀県犬上郡豊郷町石畑518学校の歴史は、1873年(明治6年)に四十九院村などの7つの村による連合が、成文学校、達務学校、先進学校の3つの小学校を設立したことにさかのぼる。これらの学校のうち、成文学校と先進学校は専用の校舎を持たず、成文学校は唯念時の庫裏、先進学校(→簡易科八町小学校)は常禅寺の本堂を使用した。その後、1886年(明治19年)の県令により1つの尋常科と3つの簡易科に再編され、このうち「尋常科至熟小学校」が現在の豊郷小学校に連なる。当初は成文学校を引き継ぐ形で唯念寺を利用していたが、1887年(明治20年)には当地出身の豪商・薩摩治兵衛をはじめとする有力者から寄付金を得て、校舎の新築がなった。しかし、初代校舎は生徒の増加に伴って手狭になり、同時に校舎の腐朽も進行していた。このため1937年に丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が学校の新築費用の寄付を申し出、後述する2代目校舎が建築された。大野和三郎が豊郷町長に就任すると、2代目校舎を取り壊して3代目校舎を新築することを突如発表した。歴史的建造物を守ろうとする住民により、市民団体「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」(以下「考える会」)が設立され、校舎の保存運動を展開。この取り組みは全国に報道され、注目を集めた。2代目校舎の保存はなったものの、3代目校舎の建築を阻止することは叶わず、2004年3月に3代目校舎が竣工、供用が開始されている。1887年(明治20年)に完成。両翼は取り壊され、本館のみが現存する。テラスを備えた和洋折衷建築が特徴で、2007年に登録有形文化財に指定されている。2代目校舎(旧校舎)に隣接するが、認知度は低い。今後は文化庁の補助を受け、建造当初の姿に復元する予定である。1937年(昭和12年)、本校出身で丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が私財を投げ打って建設した。設計はヴォーリズ建築事務所、建設は竹中工務店が担当し、神谷新一が現場監督となって指揮を執った。通常「旧校舎」と言えばこちらを指す。当時としては珍しい、壮麗な鉄筋コンクリート造の校舎は、「白亜の殿堂」ないし「東洋一の小学校」との異名を取った。また、暖房設備など当時最先端の技術を惜しみなく使用し、その総工費は365,000円に上っている(当時の豊郷町予算の10倍に相当)。階段の手摺には、イソップ寓話「兎と亀」をモチーフとしたブロンズ装飾が設置され、後述する保存運動のシンボルにもなっている。2009年(平成21年)春頃より放映された深夜アニメ『けいおん!』(京都アニメーション制作)に登場する架空の高校がこの校舎と酷似しており、モデルと認知されていることから、いわゆる「聖地巡礼」として訪れるファンも多い。また、地元商工会も町おこしを目的として同年6月に「けいおんでまちおこし実行委員会」を設け、旧校舎内にて「けいおん!カフェ」の開業や、ライブの開催を実行している。旧校舎内の音楽室に、はファンが持ち寄った「けいおん!」関連のグッズや楽器が多数展示されている。2014年(平成26年)9月には旧校舎2階の理科準備室にて、旧校舎完成時の記念式典の映像などを収めた16ミリフィルムが町職員の手によって発見された。2012年9月21日、文化審議会による登録有形文化財の答申があり、豊郷小学校旧校舎群も答申の対象となった。補修すれば2代目校舎(旧校舎)は十分使用に耐えうるとする、「考える会」側の主張を押し切り建設された。建設は高島市を本拠とする桑原組が行っているが、「考える会」はこの桑原組と大野町長との癒着を指摘している。大野町長は、「卒業前の6年生にも使わせたい」として2004年3月5日から新校舎への移転を始め、完成式典なども行われないまま同月8日から新校舎での授業を開始した。1999年(平成11年)に大野和三郎が新町長に就任すると、施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体するとともに新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町議会もこれを賛成多数で承認した。しかし、地元町民からは歴史のある校舎を取り壊すことに反対する意見が出され、賛成意見を大きく上回った。2001年(平成13年)10月に「豊郷町の歴史と未来を考える会」が設立されて大津地方裁判所に講堂の解体工事の差し止めを求める仮処分申請を行ない、2002年(平成14年)1月に裁判所は差し止めを認めた。町側はいったん地裁の判断を不服として高等裁判所に抗告したものの、講堂を保存する方向に方針転換。しかし、校舎に関しては解体の方針を変更しなかった。2002年8月、考える会は大津地裁に校舎解体差し止めを求める仮処分を申請し、12月19日に承認されるが、大野町長は地裁の判断や町民の意向を無視して同月20日に強行的に解体工事を開始。作業員が、解体中止を求めて抗議した女性を床に叩きつけるなど、暴行を加える様子もニュースで放送された。(町長や工事の作業員は、本件で2004年(平成16年)1月に書類送検された)。これを受けて町民は工事の差し止めを求めて校舎に立てこもり、町長も工事中止を発表する。かかる状況の中、大野町長は24日になって方針を転換し、新校舎を建設しながらも旧校舎を保存するとした。新校舎の建設に固執した大野町長の姿勢の背景には、多額の新築費用が生じる公共事業による地域活性化や、改修の場合には国による費用の補助割合が低く設定されていることを指摘する声もあるが、「考える会」によれば実際には国庫補助金は新築と改修で同額であり、町税の無駄遣いに過ぎないとする。また、改築の根拠の一つとなっていた耐震性については、耐震診断のデータに不自然な点があることが明らかになっている。日本建築学会は校舎の老朽化や耐震性の問題について、改修によって対処可能と指摘している。この後、2003年(平成15年)3月にリコールによって大野町長はいったん失職をしたが、同4月に統一地方選挙の一環として行われた町長選挙に立候補し、解体反対派候補の分裂もあって「歴史と未来を考える会」側の立候補者等を破り、町長に返り咲いた。2003年3月には住民によって新校舎建設の差し止めが請求されたものの、6月に着工した新校舎は2004年3月に完成した。考える会側は大野町長に対する損害賠償請求、校舎建設費の支出差し止め請求および賠償請求の3件の訴訟を起こしたが、損害賠償請求および支出差し止め請求については、町長に賠償を認め、また、支出差し止めを命じる判決が最高裁でそれぞれ確定。また、2007年(平成19年)12月には校舎建設費の賠償について、建設業者などが校舎保存のための寄付を行うことなどで和解が成立し、校舎改築問題に関する訴訟は全て終了した。なお、大野町長は2007年の統一地方選挙では町長選に出馬せず、県議会議員選挙に出馬したが落選、2011年の統一地方選挙で県議会議員(犬上郡選挙区)に当選した。その後、豊郷町は旧校舎の保存や管理を目的としたふるさと納税を募っており、また、2008年(平成20年)10月よりは、約5億5300万円をかけて旧校舎の耐震・改修工事を開始している。一方、考える会側も、設計事務所に旧校舎の耐震診断を依頼し、3階の一部への軽微な補強(約500万円)以外の工事は不必要との解析結果が得られたとし、また不必要な工事によって旧校舎の文化財的価値を毀損したとして、2009年(平成21年)3月に設計事務所と伊藤定勉町長に対し、設計監理業務の委託費約3000万円の返還を求める訴訟を起こした。旧校舎は耐震工事完了後の同年5月30日、町立図書館などが入居する複合施設として再出発した。
出典:wikipedia
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