交響曲 第12番ニ短調『1917年』作品112は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した12番目の交響曲。前作の交響曲第11番と同じくロシア革命の歴史を描いた続編としての性格が濃い作品で、第11番が血の日曜日事件を扱っているが、本作は1917年のウラジーミル・レーニンによる十月革命(ロシア革命)を扱っている。作曲者が「(この交響曲で私は)十月革命とレーニンを具体化せんとしたこの作品は、レーニンを偲ぶものである」とコメントしているように、この曲は1917年の十月革命が題材となっている標題音楽である。彼はこの題材で交響曲第2番と交響詩『十月革命』も作曲している。しかし当局の体制に迎合した作品と見做されたために作品の評価は低く、演奏会で取り上げられる機会は少ない。ちなみに、ショスタコーヴィチの交響曲全15曲中で、作品番号が連続しているのはこの第12番のOp.112と交響曲第13番のOp.113のみである。本作は一気に書かれたものではなく、作曲者が1930年代末頃(30代半ば)から着想していた作品を12番目の交響曲として実現・具体化したものである。ただし最初に着想したものと1961年に完成した本作とは大きく異なっている。当時ショスタコーヴィチはかねてからレーニンを題材にした大規模な作品(交響曲)を構想しており、この時は『レーニン交響曲』というタイトルで作曲を計画していた。そしてその作品を「6番目の交響曲」として発表していたが、折しも第二次世界大戦の始まりによってこの計画は立ち消えになった。その後20年ほど経った1959年夏に、戦争によって計画が頓挫したレーニンに捧げる作品を再び着手しようと試みて、1960年の中頃から作曲を開始したが、その年に病気によって一時的に中断したため、本格的に取り組んだのは1961年の春から夏までの期間であった。一気に取り組んだ理由はその年の10月に行われる共産党大会において発表するためであったという。完成は8月22日になされた。世界初演の直前の9月8日に作曲家同盟において、2台ピアノ版が試演されている(演奏はミェチスワフ・ヴァインベルクとボリス・チャイコフスキーが担当)。その年の10月1日にムラヴィンスキーによって行われているが、その数時間前にクイビシェフでアブラム・スタセーヴィチの指揮、地元のオーケストラによって同時に演奏されていた。またレニングラードでは同地のラジオとテレビで放送されている。公式初演が行われた10月1日は当局の第22回共産党大会の開会日であり、それに合わせて作品が披露された。このムラヴィンスキーの演奏は録音されており、現在でもCDで聴くことができる。フルート3(うちピッコロ持ち替え1)、オーボエ3、クラリネット3、ファゴット3(うちコントラファゴット持ち替え1)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、トライアングル、弦五部4楽章形式であるが、全て切れ目なく演奏される。演奏時間は約40分。「革命のペトログラード (英:Revolutionary Petrograd 露:Революционный Петроград)」「ラズリーフ (英:Razliv 露:Разлив)」「アヴローラ (英:Aurora 露:Аврора)」「人類の夜明け (英:The Dawn of Humanity 露:Заря Человечества)」本作の初録音は初演者のムラヴィンスキーによって1961年に行われているが(後に1984年に再録音している)、最近になって10月1日の初演時のライブ録音が発売されている。
出典:wikipedia
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